ゾロ目に意味をつけなくなった人は、現実をコントロールしたくなくなった人である
最近、ゾロ目を見ても何も思わなくなった。
以前は、
「何かのサインかな?」
「流れが来てる?」
そんなふうに、一瞬だけ意味を探していた気がする。
でも今は、ただ
「あ、見えたな」
それで終わる。
少し前の自分だったら、
これは「冷めた」とか「感度が下がった」と
解釈していたかもしれない。
けれど実際は、たぶん逆だ。
ゾロ目に意味をつける、という行為は
スピリチュアルかどうか以前に、
現実を把握し、予測し、コントロールしたい神経の動きだ。
・この先はうまくいくのか
・今の選択は合っているのか
・私はズレていないか
そういう不安が、
「意味」を必要とする。
ゾロ目は、
その不安を一瞬落ち着かせてくれる装置になる。
でも、神経系が少し安全になると、
その装置自体が不要になる。
実際に起きていることは、とても単純だ。
ゾロ目が目に入るのは、
網様体賦活系(RAS)が
「それを拾う設定」になっているだけ。
注意が向いているから見える。
見えるから「多い」と感じる。
そこに、意味はない。
意味をつけるかどうかは、
出来事の側じゃなく、
こちらの神経の状態で決まる。
ゾロ目に意味をつけなくなったとき、
起きている変化はこうだ。
- 先を読もうとしなくなっている
- 答え合わせをやめている
- 「今」を疑わなくなっている
つまり、
現実を操作しなくても大丈夫な位置に、神経系が戻っている。
これは諦めではない。
放棄でもない。
むしろ、
「信頼が増えた状態」に近い。
現実をコントロールしたいとき、
人はサインを探す。
現実と同じ速度で生き始めると、
サインはただの現象に戻る。
ゾロ目も、
他人の視線も、
偶然の一致も。
そこに意味を乗せなくても、
日常はちゃんと流れていく。
ゾロ目に意味をつけなくなった人は、
スピリチュアルを卒業した人ではない。
「不安をなだめるための意味」を
もう必要としなくなった人だ。
そしてそれは、
思考の変化というより、
神経系の居場所が変わったサイン。
もし最近、
ゾロ目を見ても何も起きなくなったなら。
それは、
あなたが何かを失ったのではなく、
余計な力を抜いたというだけかもしれない。
現実は、
もう操作されなくても大丈夫な場所にある。
ただ、それだけのこと。
また、書きます。