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みむら屋樹海支店

【SQ5】Sleepy Hollow5

2026.01.24 04:13

『ここが、最後の階層だ。……綺麗だね。ほら、星海がすぐそこに見える』

『本当だ。近くで見ると、こんな風なんだな』

『どう? きみが行った世界でいちばん高い場所より、ここの方が高いんじゃない?』

『まあ、恐らくはな。でも、あそこから見た空の方が蒼いはずだ。絶対に』

『そっか。きみがそこまで言うんだから、きっとそうなんだろうな』

『思えば随分遠くまで来た。あの頃の記憶より、この世界にいる時間の方が長いかもしれない』

『それって良いこと? 悪いこと?』

『……良いことだよ。お前と一緒にいる時間がそれだけ積み重なったってことだ』

『あはは、珍しいな。きみがそんなこと言うなんて』

『うるさいな……俺がこんなこと言っちゃ悪いか?』

『まさか。ねえ、着いてきてくれてありがとう。きみがいなきゃ、僕はここまで頑張れなかったよ』

『ああ……』

『僕はまだやらなきゃいけない事がたくさんある。大事なものを捨ててでも、僕は僕なりの総ての正義を成し遂げたいんだ。……これからも一緒に戦ってくれるかい?』

『……ああ……お前が望むなら。誰を救ったとしても、誰を踏み躙ったとしても、関係ない……お前の正義が俺の正義だ』

『…………』

『行こう……エノク。帰り道までもうすぐだ……』


     ★


 体調が悪い。

 第四層の遺物を回収してからしばらくの間、迷宮に入らない日が続いた。ジャンとハルが『残響に集う蟲』に吹き飛ばされた時の傷が思ったより深かったのである。ここで無理をして取り返しのつかない事になってもいけないし、二人が完全に快復するまではしっかり休んで英気を養おう、との事だ。……ジャンは療養中にも関わらず兄の相手をさせられて大変だったようだが。ちなみに当のエドゥアールはつい昨日馬車に乗って故郷へ帰っていったらしい。最初から最後まで唐突な男であった。

 そういうわけで、メレディスも宿の部屋に籠もって本を読んだりぼんやりしたりと緊張感のない時間を過ごしていたわけなのだが、近頃どうも調子が悪いのだ。体がだるく、頭が回らない感じがある。当然、異変に気付いた時点で衛兵に報告して医者に診てもらっているのだが、病気らしき様子は見受けられないとの診察だった。

 溜まった疲労や精神的な負荷が体に悪い影響を与えているのだろう、と言われて、メレディスも何となく納得した。慣れない探索で知らぬ間に疲れが溜まっていてもおかしくはないし、精神的な問題なら身に覚えがありすぎる。とにかくゆっくり休むのがいいとも言われたので指示どおりゆっくり休むことにしたのだが、数日が経っても不調は治らないままだった。むしろ悪化しているような気さえする。

 ベッドに寝転がったまま、メレディスは溜息をひとつ吐く。リラックスできるからと処方してもらった香の匂いが鼻腔いっぱいに広がって、なんだかちょっと喉の奥がすうすうした。なんというか、精神的な部分が原因なら、早めにミッションを終えて冒険者もどきの身分を卒業した方が具合も良くなるのかもしれない、案外。


 ステファンが迎えに来た時、メレディスは棺の手入れをしていた。ぼんやりと、何の意識もしないまま同じところを延々と拭き続けているところに急にノックの音が響いたものだから驚いて、うっかりバランスを崩して棺をひっくり返してしまった……という一連の流れを見ていたステファンは怪訝な表情で首を傾げる。

「何やってるんですか?」

「ああいえ、何でも……」

「今日これからいけます? 無理と言われても困りますけど」

 その言葉を受けて、メレディスは急いで立ち上がった。断る理由は無い――相変わらず体調は悪いが。

 第五層は世界樹の迷宮の最上部に位置する原生林であり、迷宮自体の複雑な構造もさることながら棲息している魔物も一体一体が強力であるという「最後の壁」に相応しい場所だ。少人数ギルドでの迷宮踏破をやってのけた『ヴォルドゥニュイ』や何度か単身で訪れたことがあるというハルも、正直なところこの階層を熟知しているわけではないという。理由は単純で、両者とも避けられる戦いは可能な限り避けるというスタンスで探索を進めていたためだ。

「一手間違ったら死ぬような相手ばっかりだしな。それならそもそも相手しない方がいいし」

 と、目の前にある謎の装置に手をかざしながらジャンが言う。彼の掌が装置の中央から放たれる青い光に触れると、不思議なことに一行の体はふわりと宙に浮いた。シュシャが小さく悲鳴を上げて手足をばたつかせるがどう頑張っても地面には下りられない。空中で忙しなく犬かきをするカザハナをなだめながら、ハルが溜息まじりに呟く。

「魔物だけじゃなくて、これもあるし」

「うっ浮い……!? 何だよコレ! 何の魔法だ!?」

「それが魔法じゃないっぽいんですよねえ。アルカディアには存在しない技術なんじゃないですか? 知りませんけど」

 ステファンの曖昧な返答にシュシャはうぐーっと呻いて黙り込む。納得いっていなさそうな表情の彼女の首根っこをジャンが掴み、振り返る。彼に頷き返したステファンがメレディスの腕を掴んで、ハルはカザハナを腕に抱えた。

 探索に慣れていない二人が状況を理解できずにいる間に、ジャンはゆっくりとカウントを始める。いーち、にーの、さん、で彼が一歩足を踏み出した瞬間、一行の体は勢いよく引っ張られるかのように加速して勢いよく直進した。シュシャの絶叫が一直線上に尾を引く。刹那のうちに流れていった景色に目を白黒させながら、メレディスは自身の腕を掴むステファンに問う。

「なっなんですかこれ!?」

「だから私も分からないって言ってるじゃないですか。次、あっちです」

 と、ステファンが地図を見ながら西の方向を指さす。ジャンは気の抜けた返事をすると、先程と同じようにタイミングを合わせてから足を踏み出した。当然、状況に適応できる時間などない。足下をすさまじい速度で通り過ぎていく水場を見下ろしながら、メレディスはにわかに気分が悪くなってくるのを感じた。ただでさえ体調不良なのである、少しは手加減してもらえないものだろうか、などと思いはすれど言い出せるはずもなく。

 結局移動が止まったのは、現在地も分からないほどにあちこち飛び回った先で先程と同じ装置を見つけてからだった。先頭にいたジャンが再び青い光に手をかざせば、浮いていた体は何事もなかったかのように地面に落ちた。冒険者三人は慣れた様子ですとんと降りたが、既に限界を迎えていたメレディスは着地に失敗して崩れ落ちる。腕を掴んでいたステファンがあらら、と彼を支えた。

「まあ慣れてないとこうなりますよねえ」

「ちょっと休むか。こいつもだいぶ……アレだし」

 ジャンがそう言ってシュシャの体を掲げる。彼女は彼女でだいぶグロッキーなことになっていた。真っ青な顔でぶつぶつ文句を言っているが、ジャンはそれを聞き流して彼女を地面に下ろす。

 なんとか身を起こして例の装置にもたれかかったメレディスは、気分の悪さをこらえながら周囲の景色を眺めた。第五層は人工物らしき建造物の内部に存在する古代の森だ。その様相は樹海というよりは植物園や庭園のそれに近い。無機質な構造体の中で遙か昔の時代の植物たちが繁栄するさまは、原始的でありつつも整然としていて、混沌とした美しさがあるように思える。

 今のメレディスの記憶は、この森から始まっている。

「そういえば、あいつ出てこないね」

 空中移動で乱れたカザハナの毛並みを整えながらハルが呟く。彼の言わんとしていることをすぐに理解したのか、ジャンがああ、と頷いた。

「アルコンな。オレらがここに来てることくらいは分かってそうなもんだけど」

「忙しいんじゃないですか? ほら、例の戦いの痕跡もまだちょくちょく残ってましたし」

「……おまえらこんなとこに知り合いがいるのかよ?」

 なんとか喋る気力を取り戻したらしいシュシャが弱々しい声で訊ねてくる。三人は顔を見合わせて、口々に答えた。

「ボクは会ったことない」

「知り合いといえば知り合いですね。親しいわけではありませんけど」

「実際見るとちょいビビるよな。変わった色だし、なんかキラキラしてるし」

「まじで何なんだよおまえら……意味わからん……冒険者きらい……」

 力なく呟いて膝に顔を埋めるシュシャを見て、ハルが肩をすくめる。毛並みがふわふわに戻ったカザハナがシュシャに寄っていくのを横目に、ステファンがふとメレディスを振り返った。

「アルコンさんの事なら、あなたの方が詳しいんじゃないですか?」

「ああ、そうだよな。オレらが来るまであいつがお前を保護してたわけだし」

 唐突に話を振られたメレディスは思わず黙り込む。少し考えて、ゆっくりと口を開いた。

「確かにそうですけど、あの時は俺もまだちょっと朦朧としていて……世話をされたのは覚えてるけど、どんなやりとりをしたのかまでは、あまり」

「ふーん。まあ記憶喪失だもんな」

 あっさりと納得した様子で頷き、ジャンは辺りを見回す。休息を取るためとはいえ迷宮であまり長時間同じ場所に留まるのはまずい。まだ少しくらくらする頭を押さえながら、メレディスは立ち上がった。少し離れた場所にいたシュシャも緩慢な動作で腰を上げる。彼女に寄り添っていたカザハナがもういいのか、とでも訊きたげに視線を向けてくる。メレディスは苦笑してふわふわの頭を撫でてやった。このパーティーでいちばん優しいのは、恐らくこの賢い猟犬だ。


 倒せそうな敵は倒して、倒せそうにない敵からは逃げるというのが、ここにいる冒険者三人のあいだの不文律であるらしい。珍しく単体で出てきたファイアアントを丁重にひねり潰して顎――素材である。何に使うのかと訊けば、グローブの甲に装飾して防具にするらしい――を剥ぎ取るハルを横目に、ステファンが地図を見ながらうーんと唸る。

「この先のFOEってあれでしたよね? あの殴ってくる……爪の長い……」

「あと鳥な。どっちも追ってはこないから慎重にいきゃどうにかなるだろ」

「いちおう浮揚魔法(レビテーシヨン)かけておきますか。鳥はどうせ同じ場所を回ってるだけですし、まあいけるでしょう」

 そう言って何かしらの詠唱を始めるステファンを、何というわけでもなく見つめていたメレディスだったが、ふと上着の裾を引かれる感触に振り返る。振り返ってみればいつの間にかすぐそこにシュシャが立っていた。いつも通りのしかめ面でメレディスを見上げながら、彼女は小声で言う。

「おまえ……具合が悪いのか?」

 唐突な問いに、メレディスは咄嗟に答えることができなかった。ええと、と呟いて視線を逸らす彼を見て、シュシャはますます表情を険しくする。

「体調不良なのに迷宮なんかに来るな」

「……あー……お医者さんはストレスが原因じゃないかって。それなら早くミッションを済ませた方が、根本的解決になると思わない……?」

 半ば言い訳するような調子でそう言えば、シュシャは何か言いたげに口を開いて、しかし結局何も言わずに黙り込んだ。どうしたのかとメレディスが問い返す前に、彼女はふいとそっぽを向くと彼の元から離れていってしまった。戸惑うメレディスに、探索の打ち合わせを終えたハルが声をかけてくる。

「何してるの。行くよ」

「あっ……はい!」

 荷物を抱え直し、慌てて彼の元へと駆けていく。シュシャのことは相変わらずよく分からないが、話なら迷宮の外でもできるだろう。今は探索に集中しなければならない。

 扉を抜けた先の大広間には、先のステファンとジャンの会話どおり二体の魔物がいた。一体はその場に佇んで微動だにしない、巨体に鋭い爪を持つ魔物で、もう一体はいやに丸いフォルムの雀らしき鳥だ。同じ場所をぐるぐる周回している雀に視線を送りつつ、ジャンが一行を振り返って告げる。

「あのデカいやつ。基本動かねえけど近付いたらぶん殴ってくるから気を付けろよ」

「気を付けても殴られたら死ぬだろ……!」

 シュシャがじっとしたままこちらを見ようともしない魔物を見つめて呟く。メレディスはまさか『ヴォルドゥニュイ』は殴られたことがあるのだろうかと思ったが、それを訊いたところでどうなるわけでもないしな……と口に出すのはやめておいた。殴られた時の様子とか詳細に言われたら怖くなっちゃいそうだし。

 爪の魔物から距離を取りつつ、東側から回り込むようにして広間を進んでいく。幸い巡回している雀とも鉢合わせずに通り抜けることができた。やはり強大な魔物の縄張りには侵入したがらないのか、FOE以外の魔物が周囲にいる気配は無い。この調子なら何の心配もなく広間を抜けて目的の場所へ辿り着けそうである。

 大広間の北側にはふたつ扉が並んでいる。目的地は向かって左側の扉の先だ。先頭のジャンが向こう側の様子を窺いながら扉を開こうとする、その瞬間、傍らの茂みの奥で何かが動く音がした。

 シュシャがわっと声を上げてしりもちをつく。ハルが弓を構え、茂みの奥に向かって矢を放った。幸い相手に襲ってくるつもりは無かったようだ。矢傷を受けた黒い山羊が茂みの奥から駆け去っていくのを見送りながら、一行はほっと胸をなで下ろす。

「……先に攻撃して怒らせたらどうすんだよ!?」

「群れてない個体なら倒した方が早い」

 冷たく言い返したハルに、シュシャはぐぬぬと唸って彼を睨みつける。明らかに納得いっていなさそうな彼女を苦笑しつつ見ていたメレディスは、ふとその足下に薬草や小瓶がいくつか転がっていることに気付いた。しりもちをついた時に、弾みで鞄から転がり出てしまったのだろうか。

 シュシャも落とし物の存在にすぐ気付いたようだ。むっとした顔でしゃがみ込み、彼女は落とした品々を次々に鞄へ突っ込む。メレディスは小走りで広間の中央付近、現在地からは少し遠い場所まで向かった。小瓶がひとつ転がっていってしまっている事に気付いたのである。

 しかし、随分と離れた場所にまで転がってしまったものだ。落下の拍子に弾みがつきすぎてしまったのだろうか。拾い上げた瓶に割れや欠けがない事を確かめて、メレディスは四人と一匹の方を振り返る。……全員ぎょっとした顔をしている。いったいどうしたのかと首を傾げるより先に、メレディスの頭上にゆらりと影がかかった。

 あ、と思って、視線をそちらに向ける――自身の領域を侵犯された爪の魔物『打擲の剛激手』が、ぎらついた目でメレディスを見下ろしていた。

 防御をする暇もなかった。とてつもない衝撃が全身を襲い、気付けばメレディスは茂みの中へ勢いよく突っ込んでいた。

「うわー!! なにやってんだおまえーっ!」

「だから気を付けろっつったのに……」

 顔を青くしたシュシャが真っ先に駆けてくる。茂みに埋まって頭をぐわんぐわんさせていたメレディスは、彼女の支えで何とか起き上がると力なく呻きを漏らした。

 めちゃくちゃな力で弾き飛ばされたわりには案外平気なようである。微妙に焦点の合わない視線を持ち上げて魔物の様子を確認する。……元通りじっとしている。どうやら本当に近付かない限り何もしてこないらしい。

 シュシャが薬草と包帯を取り出し、大慌てで治療を始める。

「あああんなのわざわざ拾いに行かなくてよかっただろうが! バカ! アホ! 脳みそ詰まってるのか!」

「そ……そこまで言わなくても……」

「うるさーい!!」

 異様に怒っているシュシャに、メレディスは思わず困惑する。それからしばらく考えて、もしかしたら彼女は「自分のせいでこんな事になった」と思っているのではないだろうか? と思い至った。それなら尚更別にそこまで言わなくとも良いのに、という気分になる。この魔物の存在を忘れて不用意に近付いたのはこちらなのだ。悪いのは自分である……などと言ったところでまた怒られる予感がしたので、メレディスは沈黙を選んだ。云わぬが花である。

「盛大に吹き飛びましたね」

 シュシャに続いてやってきたステファンがそう言ってメレディスの顔を覗き込む。彼の掌の中では魔法の発動機が淡い光を放っていた。

「びっくりしましたよ、急な事でしたから。でもまあ発動が間に合ってよかったです。本当に気を付けてくださいね、私が魔法をかけていなかったら本当にベチャっとなってた可能性がありますから」

「べ、ベチャっと……」

 自分の体が粘性のある擬音で表現される状態になっているのを想像したメレディスは思わず身震いした。自覚は無かったが、ミッションの終わり際だからといって気が抜けていたのかもしれない。最後まで気を引き締めていかねばならない。これで死んでしまっては、本末転倒である。


 ……憤然とした表情のまま、シュシャはメレディスの治療を続けていた。ステファンがレビテーションをかけていたお陰で大きな怪我は無いようだ。骨に傷がいっている様子でもない。しかし、それはそれで妙な気がする。あれだけの衝撃で吹き飛ばされたのに、全身かすり傷や打撲程度で済むものか?

 首をひねりながらメレディスの背後に回る。そこで見たものに、彼女は言葉を失った。

 メレディスの背中に、細い枝が一本突き刺さっている。

 悲鳴を上げなかったのが奇跡だったかもしれない。枝はちょうど鉛筆くらいの長さで、刺さっても致命傷にはならないだろうが決して無視できるようなサイズでもない。シュシャはメレディスの横顔を見る。彼は何事もないかのように、ステファンと話を続けている。

 息を呑んだ。震える手を伸ばして、枝を掴む。ゆっくりと引き抜いてもメレディスは何も反応しなかった。早鐘のように打つ鼓動を抑えながらシュシャは枝を見た。破れた上着を見た。その奥の傷口を見た。

 傷口からは血の一滴すら出ていなかった。穴のあいた皮膚の奥に覗く肉は、潤いもなく冷えきっていた。まるで血が通っていないかのように。

「――――」

「おーい、大丈夫か?」

「動けるんなら早く行こう。さっさと抜けた方がいいでしょ、こんな迷宮」

 ジャンとハルの呼びかけに応じて、メレディスがゆっくりと立ち上がる。そのまま緩慢ながらもしっかりとした足取りで茂みを出ていく彼の背中を、シュシャは見なかった。その場には彼女と、掌の中の小枝だけが残される。ハルがこちらを呼ぶ声。足早にやってきたカザハナが控えめな仕草で袖を咥える。シュシャはじっと覗き込んでくる猟犬の瞳を見つめ返し、やがて枝を放ると彼女に連れられるようにしてその場を離れた。


 探していたものは、思っていたよりもあっさりと見つかった。すっかりお馴染みになった無骨な箱は、地図に記された地点に、見える形で置いてあった――ただ、取り出すのには少し骨が折れた。地表に飛び出した木の根に取り込まれるようにして半分埋まっていたのである。

 原生林を構成する樹木は生命力に溢れ、手持ちの道具では太い根を切断する手段もない。仕方なく周囲の土を掘り返して何とか取り出したが、結局かかった手間と時間は今までの例ととそう変わりなかった。見つけた時は簡単に持ち帰れそうだと思ったのに、とんだ思わせぶりである。

「でも、なんで根っこの下なんかにあったんだろうな」

 と、手を土まみれにしたジャンが首を傾げる。彼の隣で掘り返した土を埋め戻していたステファンが振り返り、肩をすくめた。

「この森、例の戦いで滅茶苦茶になったのを直したって話でしょう。その時に何かあったんじゃないですか」

「ああ……って事は、これも隠してたのが騒ぎのせいで表に出てきて、その上で根っこに取り込まれたとかそんなんかもな」

「さっさと開けよう。変な物入ってなきゃいいけど」

 ハルが呟く。ステファンがいつもと同じように封印の魔法を解き、箱の蓋に手をかける。心なしかいつもより警戒しているよう三人の姿に、メレディスはいったいどうしたのだろうと疑問に思った。

 ゆっくりと開いた蓋の隙間から、危険なものが飛び出してくる……というわけでもなく、中には今までとまったく同じ光景が広がっていた。綺麗に折り畳まれた数枚の地図が行儀良く箱に収まっている。その数はきっちり五枚、今まで見つけたものとすべて合わせれば二十五枚。世界樹の迷宮の全階層の地図が、これで揃った。

「さすがに書き込みが多いな」

 とジャンが言って、広げた地図をメレディスに差し出してくる。メレディスはそれを受け取ってひととおり目を通した。確かに今までより、地図の端に書かれたメモの数が多い気がする。

「浮いて移動する、とか、端が無い、とか書いてあるみたいです。なんだか……苦戦してたみたいですね」

「ふうん。ひとりで踏破するようないかれた冒険者でも苦戦するんだ」

 ハルの呟きにメレディスは思わず苦笑する。いかれた……とは薄々思っていたが、実際に言われると反応に困るというものだ。記憶を失う前の自分なら怒るなり何なりしたのだろうか。

 地図以外の物が箱に入っている様子はない。一行はほっと息を吐いた。ひとまず、これで全ての遺物を回収し終えた。あとは評議会に事の次第を報告し、地図を提出すればミッションは完了である。

「まあ……お疲れ様でしたって事で。どうします? これから打ち上げでもしますか?」

「報告が先でしょ。ていうか、どのくらい報酬が出るのやら」

「そのへんも含めてレムス様と話しとかないとなあ。無報酬ってこた無いと思うけど」

「これでタダ働きだったらボクはもう里に帰る……」

 冒険者三人がなかなか差し迫った話をしながら帰り支度を始める。会話に混ざるタイミングを逃したらしいカザハナがちょこちょことメレディスの傍に近寄ってきて、構ってほしそうに彼を見上げた。お望みどおり彼女の頭を撫で回してやりながら、ふとメレディスは辺りを見回す。結局、アルコンは姿を見せなかった。彼女も忙しいだろうし、会えなくて残念というほどでもないが、少し話をしたかった気持ちはある。

 顔を出さないだけで、今もどこかで自分たちを見守っているのだろうか……ぼんやりとそう考えていたメレディスだったが、糸の用意を終えたステファンに呼ばれてはっと我に返った。いけない、またぼんやりしてしまっていた。

 彼の代わりに返事をしたつもりか、カザハナが元気よくわんと一声応える。メレディスは苦笑しながら踵を返して三人の元へ向かおうとして、寸前で足を止めた。少し離れた場所で、何か考え込むように俯いてひとり立ち尽くすブラニーの姿が目に入る。

「……シュシャ?」

「!」

 弾かれたように振り返った表情はいつもよりも随分と張り詰めている気がする。どうしたのかと訊ねようとしたが、それより早くシュシャが三人の元へ歩いていってしまったのでそれは叶わなかった。糸を広げたステファンの元へ足早に近付いていく彼女の背中を、半ば呆然と見ていたメレディスだったが、上着の裾を咥えたカザハナに促されて歩きだす。とにもかくにも、色々あったミッションもこれで終わりだ。


 迷宮入口から二手に分かれて解散するのはすっかりお馴染みになったいつもの別れ方だった。今日のハルとカザハナはシュシャを送っていく当番だ。

 跳ねるように石畳を歩いていくカザハナの、ご機嫌に揺れる尻尾を見ながら、ハルは取り留めのないことを考える。今日の晩飯は何にしようだとか、そういえば探索中『ヴォルドゥニュイ』に回復薬を貰ったから後で返しておかないとだとか、もしミッションの報酬が出たらカザハナに高級な肉でも買ってやろうだとか……考えていたところで、彼は足を止める。

 足音が遠い。そう気付いて思わず顔をしかめる。これでは、自分が種族の差にまったく気を遣わないひどいやつみたいではないか――これでもちゃんと意識して、ゆっくり歩幅を狭くして歩いているというのに。

 当然そのままにしておくわけにもいかないので、ハルは溜息をひとつ吐いて背後を振り返る。

「何、どうしたの」

 彼の数歩後ろを俯きがちに歩いていたシュシャは、急に声をかけられて驚愕した表情で顔を上げた。先に行っていたカザハナが何だ何だと戻ってくる。つぶらな瞳で見上げてくる彼女の鼻先に掌をやりながら、ハルはいかにも思い詰めている様子のシュシャに告げる。

「何かあるんなら言いなよ。そんな態度されてるとこっちも困るし」

「…………」

 シュシャは眉をひそめて、再び視線を足下に向けた。ちょうど多くの冒険者が探索に出ている時間帯ということもあって、迷宮入口と市街地とを繋ぐ道に人影は少ない。遅れて樹海に入るらしい知らないギルドの一団が通り過ぎていくのを横目に見ながら、ハルはシュシャの返答を待った。まだ高い陽が石畳の道に影を三つ、黒々と落としている。

 シュシャが口を開いたのは、退屈したらしいカザハナが地面に座り込んでクンと鼻を鳴らし始めた頃だった。意を決したように大きく息を吸って顔を上げ、彼女はきっとハルを睨みつける。

「メレディスの事だ……」

 絞り出した声は震えている。僅かに目を細めて次の言葉を待つハルに、シュシャは言葉を選ぶように区切りながら続ける。

「今まで気付いてなかったわけじゃない。でも、あたしの知らない魔法か何かがあるんだと思ってた。……違ったんだな。どうせおまえらは知ってるんだろ。それで隠してたんだ、あたしにも、あいつにも」

「…………」

「本当の事を言え。あいつは、「何」だ?」

 沈黙。ハルは体を反転させて、シュシャと真正面から向き合った。底冷えするほどに涼やかな青い瞳が、肩を強張らせたブラニーをじっと見下ろす。


     ◆


 体調不良が治らない。

 ベッドに横たわりながら、メレディスは力なく呻く。ミッションが完了しても、先日からの原因不明の不調が治る気配は見られなかった――むしろ日を追うごとに状態が悪化している。体が重く、立っているだけでも目眩がするような心地がするので、彼はすっかり寝込んでしまっていた。医者に診せても相変わらずだ。精神的不調が原因でここまで体調が悪くなることがあるのだろうか、と疑問に思うが、専門家にそう言われてしまっては仕方ない。

 そんな調子なので見張りの衛兵たちも気を遣ってかあまり声をかけてこない。メレディスとしては自分のこれからの処遇がどうなるのか早めに知りたいところなのだが、それもまだ教えてもらっていない……もしかしたら自分がこんな調子であるせいで評議会での話し合いも進んでいないのかもしれない。そうだとしたら申し訳ない限りだが、どうしても体に力が入らないのだ。

 一度、『ヴォルドゥニュイ』とミーシャが揃って見舞いに来た。メレディスの前ではいつもと同じようにのどかな調子で話していた彼らだったが、部屋を出ていった後、重い体に鞭打って窓の外を覗いて見たその表情は険しかった。ただ事では無い雰囲気で言葉を交わしながら去っていく三人を見送りながら、メレディスはいよいよ認めざるを得なかった。

 彼らは重大な何かを隠しているのだ。自分に関する重大な何かを。

 しかしその何かがいったい何なのかメレディスには見当がつかない。順当にいくならこの倦怠感が実は重い病気によるものであるとかそんなところであろうが、何となく、そうではない気がした。もしそうだとしたら黙っておく理由などないし、何より医者が何も処置をしないのは不自然だ。

 ひとつ溜息を吐いて、メレディスは天井をじっと見つめる。分からないことばかりだ。ただでさえ自分のことすら分からないのに。


 ……廊下から聞き慣れない音がしたのは、ちょうど日付が回った頃の事だった。何か重いものが崩れ落ちるような音である。灯りを消した暗闇の中でじっと天井を見つめていたメレディスは、はっとそちらを振り返って無理やりに体を起こした。枕元に置いてあった魔力で稼働するランプに灯りをともし、扉の方向を照らす。同時にゆっくりと扉が開いて何者かが部屋へ入ってきた。

 思わず身構えるメレディスだったが、現れた人影の正体に気付くとはっと息を呑む。

「……シュシャ?」

 彼女は返事をしなかった。メレディスの手元のランプに照らされて濃く影の落ちた顔は、険しく歪められている。

 後ろ手に素早く扉を閉めると、シュシャはメレディスの元へと近付いてくる。そこで初めて、メレディスは周囲に奇妙な匂いが漂っていることに気付いた。ハーブのつんと甘い感じと、煙たい感じが混ざり合った匂い……スモークだ。まさか衛兵を眠らせてやって来たのか、とは訊けなかった。こちらを見るシュシャの目が、あまりに鬼気迫っていたからだ。

「あたしは」

 聞こえた声は震えていた。暗闇の中、メレディスを睨みつけるように……しかしまっすぐに見つめながら、シュシャが言う。

「良いやつなんかじゃない……あいつらに協力したのも、金がもらえるからで、深い理由があったわけじゃない。貰った金で実家の弟を職人の弟子に入れて、ばばあにロバを買った。良いことがしたかったとかそんなんでもない。ただ、その時、目の前ではミルドレッドのやつがずっと寝たまま、ほとんど死にかけてて」

 呼吸をひとつ。壁に長く落ちた影が心許なげに揺れる。

「自分のために使ったらバチが当たるんじゃないかって思っただけだ……あたしはいつもそうだ。ラクライみたいに開き直れるような度胸も無いくせに、真面目にやるのは面倒臭がって、結局こうなる。いちばんバカなのはあたしだ……でも、おまえはそうじゃない」

「シュシャ、何を」

「冒険者どもも、評議会も、おまえにいちばん大事なことを隠してる」

 メレディスの手の内でランプがかたりと音を立てた。濃い暗闇が部屋の隅にわだかまっている。呼吸ひとつがいやに大きく聞こえる……廊下の衛兵が目を覚ます気配は、まだ無い。

 シュシャは視線を彷徨わせた。唇を微かに開いては閉じ、何度も瞬きをして、迷いを振り切るように顔を上げて彼女は吐き捨てるように告げる。

「おまえはメレディス・コーディアじゃない。あいつは死んだ。五層での戦いの後、そのままくたばったんだ」

「……え?」

「おまえは死霊(・・)だ」

 部屋の中は水を打ったように静まりかえっている。絞り出すようなシュシャの声だけが、色濃い影に包まれた部屋に落ちる。

「メレディスが自分の肉体と魂を材料に召喚した死霊が、おまえだ。……記憶喪失だったんじゃない。はじめから記憶なんて無かったんだ」

 だから、とシュシャが言葉を続けようとしたその時、彼女の背後で足音が響く。

 はっと振り返れば、規則的に響いていたそれが部屋の前で止まった。閉ざされていた扉が開く。微かに開いた扉の隙間に指がかかり、それから一気に押し開く。

 部屋の中にいたメレディスとシュシャが何か行動を起こす前に。扉を叩きつけるように開いて押し入ってきたジャンは、無言でシュシャの体を抱え上げた。悲鳴を上げて手足をじたばたさせる彼女を押さえ込みながら、彼は静かな声で言う。

「せっかく減刑が目前だったってのに、脱走するなんてな。どういうつもりか知らねえけど、何にせよ今日からまた牢屋に逆戻りだぜ」

「やめっ……下ろせっ」

 暴れるシュシャだが、か弱いブラニーの膂力で鍛え上げられた冒険者の力に敵うはずもない。溜息を吐いていっそう強く彼女の体を拘束しながら、ジャンはメレディスに視線を向けた。メレディスは立ち尽くすばかりで何もできない。僅かに開いた唇の隙間が震えるのを見て、ジャンの瞳が静かに細まる。彼が口を開いて何かを言おうとした、その瞬間に廊下から背の高い人影がするりと顔を出した。

「本当なのか、って訊きたいんでしょう」

 ステファンはそう言ってメレディスに視線を向ける。彼の背後で起き上がった衛兵が階下へと駆け下りていくのが見えた。窓の外から微かなざわめきが聞こえてくる。徐々に慌ただしくなる外の空気を気にした様子もなく、ステファンはジャンを押しのけて一歩前に出た。ジャンが咎めるように彼を見上げる。

「おい」

「いいでしょう、もう。どうせいつか分かる事だったんです……それに、残っている時間も少ない」

 ステファンの赤い瞳がちらりとシュシャを向く。抵抗は無駄と悟ったのかすっかり大人しくなっていた彼女は、びくりと肩を強張らせて床に顔を向けた。

「彼女の言ったことは本当です。メレディス・コーディアは死の直前に、自身の魂から作った死霊を、自身の肉体に詰め込んだ。そうして生まれたのがあなたです。もしかしたら、彼は死してなお甦って望みを叶えようとしたのかもしれませんが」

 と、彼は重い溜息を吐く。

「死者を生き返らせる術は、それこそ古い時代から多くの魔道士が追い求めては破れ続けた永遠の命題です。いくら才能ある死霊遣いといえどそう上手くいくはずが無い。死霊は死者の魂を原料にして作られますが、死者そのものではありません。召喚されたあなたもまた、彼の肉体と魂を持っていれど、彼そのものではなかった」

「――――」

「記憶が戻る(・・)のを望んでいました。そうでなければ分からない事も、報われない事も多すぎる。ですが結局あなたはあなたのままでしたね。……いいえ、本当は、誰も期待していなかったんです」

 ステファンが腰のポーチに手を伸ばす。そして流れるようなごく自然な動作で取り出した縺れ糸をメレディスに放った。魔力の織り込まれた糸は本来ならば魔物に使うものだ。普段使うそれよりも遙かに少ない量でも、アースランの肉体など容易に捕縛できる。

 ランプを取り落として膝をつくメレディスに、ステファンはゆっくりと歩み寄ってくる。

「この期に及んで善し悪しを問う気はありません。我々は初めから承知の上でした。メレディス・コーディアではないあなたを、身代わりに立てて罪を償わせようとしたわけです。ええ、随分揉めました。それでも」

 頭上に落ちた影を、メレディスは呆然と見上げる。床に転がったランプに照らされて明るく浮かび上がったステファンの表情は、押し殺した憂鬱の滲むそれだ。右手の内で発動機が光っている。もしもの事があれば魔法の光は容赦なく自分を貫くだろう。これまでの探索で魔物たちにしてきたのと同じように。

 メレディスから目を逸らさずに、魔道士は静かな声で言う。

「けじめは必要だ――もうすぐいなくなるあなたではなく、残されるもののために」

 複数人が階段を駆け上がってくる重い足音。部屋に駆け込んできた衛兵を振り返り、ステファンはもう一度メレディスを一瞥するとすっと身を引いて部屋を出た。ジャンが何も言わずそれに続く。彼の腕の中で途方に暮れたように俯いていたシュシャが、はっと顔を上げて再び暴れだす。

「おい待てっ……なあ! おい! 本当にそれでいいのかよ……!」

 彼女の叫びは誰にも届かなかった。縺れ糸に自由を奪われて床に伏したままのメレディスは、もはや自身を取り囲む衛兵たちの顔を見上げることもできなかった。

 体が重い。もう立ってなどいられない。