【SQ5】Sleepy Hollow終章
理想郷(アルカディア)と呼ばれし世界の物語り。
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出立の日は快晴であった。大きな荷物を馬車に積み込み終えたジャンは、大きく伸びをして息を吐くと背後を振り返る。
「準備できたぞ」
「はーい。ちょっと待ってください、もう少しだけ」
地面にしゃがみ込んだステファンはそう応えつつ、クンクン鳴きながらまとわりついてくるカザハナを抱き留めて撫で回す。全身で別れを惜しんでいるひとりと一匹に肩をすくめ、ジャンはその隣に立っていたハルに歩み寄った。
「お前はいつ出るんだっけ?」
「五日後。カザハナも乗っていい馬車が少なくて」
ふうん、とジャンは頷く。動物を連れて歩くのもなかなか大変なようだ。
評議会から発令されたミッションを無事達成した彼らは、ひとまずアイオリスでの探索を切り上げる事にした。報酬もそれなりの内容を貰う事ができた。、『ヴォルドゥニュイ』は迷宮を踏破したし、ハルは元々迷宮の踏破には関心がない。大きな仕事を終えた今が、冒険者稼業にひと区切りつける丁度良いタイミングだった。無論、そこには「これ以上面倒な仕事を押しつけられてはたまったものではない」という思惑も無いではなかったが、それは云わぬが花というやつである。
ともかく三人は今回の区切りをもって冒険者としての一線を退き、それぞれの場所へ帰ることを決めた。そして今日、『ヴォルドゥニュイ』は諸々の後片付けを終えて一足先にアイオリスを発つ。
猟犬のふわふわの毛皮に顔を埋めながら、ステファンが情けない声を上げる。
「カザハナさんとお別れするの寂しすぎる~……ハルさんも一緒に来ませんか? こっちに来てジャンのところででも雇ってもらえばいいじゃないですか」
「勝手なこと言うなよ。カザハナにもそろそろいいオス見繕わなきゃだし」
「そんな……私の知らぬ間に人妻にまでなってしまうなんて……」
嘆くステファンの頬をカザハナがぺろぺろと舐める。彼女も寂しそうである。ぺたりと地面に落ちた尻尾を見て、ハルはやれやれと頭を振った。まあ、今後また会えるかも分からないし、別れの挨拶くらいは存分にさせてやってもいいだろう。
「……あんたらは帰ってから何するの。ボクは猟師に戻るけど」
「オレはまあ実家の手伝いだな。でもステファンがまたどっか飛び出していくかもしれねえし、その時は着いてくわ」
「私をとんだ冒険野郎か何かだと思ってませんか? まあ、行きますけど。そのうち」
「行くんだ。ほどほどにしときなよ」
呆れの滲むハルの言葉にステファンは声を上げて笑った。それからカザハナを抱きしめて頬ずりし、名残惜しそうにしつつも立ち上がる。ジャンも足下に置いていた荷物を担ぎ上げた。もう少し別れを惜しんでいたいのはやまやまだが、いい加減そろそろ行かねばなるまい。
「ま……元気でね。お兄さんにもよろしく」
「おう。お前も気ぃ付けて帰れよ」
「エ~ン……カザハナさ~ん、元気で長生きしてくださいね~……」
馬車の中から手を振るステファンに、カザハナがクーンと悲しげに鳴いて応える。ジャンが御者に合図すれば、すぐに馬車は動きだした。窓から顔を出した二人の姿が遠ざかっていく。ハルはしばし手を振り続けて、いよいよ二人の姿が見えなくなったところでふうと息を吐いた。座り込んで馬車が去った方向をじっと見ているカザハナの頭を撫で、彼女を促して帰路を歩きだす。
「……寂しくなるね」
小さく語りかければ、カザハナも同意するように細く鳴いた。今回のミッションも、それより前の一連の出来事も、うんざりするほど面倒で、同じようなことにはもう二度と巻き込まれたくないと心底思っているが……そこで出会った人々との交流は、決して悪いものではなかった。
いつもより足取りの重いカザハナの頭をもう一度撫でる。さあ、帰ろう。別れは寂しくはあるが、人生とはいつも別れの積み重ねであり、だからこそ人は先へ進まなければならないのだ。
故郷へ辿り着くには何日にもわたって馬車を乗り継いでいかねばならない。手持ちの金銭で運賃も生活費も十分すぎるほどにまかなえるが、それでも無闇に浪費するわけにはいくまい。財布を開いて中身を確認するステファンの対面では、ジャンが退屈そうに肘をついて窓の外を眺めている。
「来るときもこの道だったっけ?」
「そうですよ。街道沿いにまっすぐ来たでしょう」
「そうだっけか……なんか、もうめっちゃ昔の事みたいに感じるわ」
「まあ、気持ちは分かります。実際は二年も経ってないんですけどね」
ジャンは肩をすくめる。学院を卒業したステファンが急に「世界樹の迷宮に行く」などと言い出した時は本当にどうしたものかと思ったが、終わってみれば早いものだった。……いや、どうだろう。死線をくぐり抜けすぎて感覚が麻痺しているのかもしれない。こうなると心身が一般の生活に適応した状態に戻るまで少し時間がかかりそうだ。迷宮での経験もまあ無駄にはならないと思うが、いつまでも冒険者気分でいると日常生活に支障が出かねない。
と、そこでジャンはふとステファンに問いかける。
「ハルも言ってたけど、帰ったら本当に何すんのお前」
「はあ。何はともあれおばあさんのパンケーキが食べたいですね」
「そういう事じゃねえって」
「知りませんよ、どうするかなんて……本とか書きますかね。冒険記とか売れるでしょうし」
そう答えるステファンの口調はいかにもおざなりだ。ジャンは溜息を吐く。
「またどっか出かけるつもりなら、もうちょい後にしろよ。レイチェルがルナエ方面に戻る時うちに寄るって」
「ああ……その話。まとまったんですね。レイチェルさんの事ですからてっきり断るかと」
「オレもそう思ってたんだけどな」
ジャンの返答にステファンは首を傾げる。確かにレイチェルと彼女の相棒であるミルドレッドに関してはジャンが何かと目をかけていたが、まさかそこまでの信用を勝ち取っていたとは知らなかった。彼女たちはミルドレッドの体調が万全になるまでもうしばらくアイオリスに残るとの事だったので、実際にジャンの実家を訪問するのはしばらく先になるだろうが……。
「エドゥアールさんの気持ちにもなりなさいよ。自分を振った相手がいきなり訪ねてくるんですよ」
「良いんだよ、あいつは別に……」
うんざりしたようなジャンの返答を最後に、馬車の中は一時沈黙に包まれる。車を曳く馬の蹄の音と、車輪が回る音ばかりが響く。
道中、何度か客を乗せているらしい馬車や徒歩で街道を辿る旅人とすれ違った。彼らもアイオリスまで行くのだろうか。迷宮が踏破され、その内部の遺構や魔物の生態が明らかになりつつある今も、世界樹の魅力は人を惹きつけてやまないらしい。レムスからも、冒険者の数こそ減ったが観光客の増加や迷宮から産出される素材類の取引により街の経済発展は続いていると聞いた。少なくとももうしばらくの間は、アイオリスは世界樹の恩恵を受け続けるだろう。
街道からも世界樹の姿はよく見える。天高く聳える大樹の頂点には薄く雲がかかり、その威容は踏破される前となんら変わりない。伝承が存在しないと分かった今も、人々はその頂にそれぞれの理想を体現した夢幻を見るのだろう。そこにあるのはそんな甘ったるい幻想などではないと、二人は知っているが。
「頂上までいったら何かが変わるとか、」
おもむろにステファンが口を開く。ジャンは窓の外から視線を外して彼を見た。鞄から取り出した鉱石の欠片――ペツォッタ大鉱石と呼ばれる石だ。第四層で拾ったものが気に入ったようで、換金せずに持ち帰るのだと言っていた――を指先で弄びながら、ステファンは独り言のように続ける。
「そんな劇的な話じゃなくて良かった。私、それを確かめるために来たんです。知っているでしょう?」
「……おう。お前が良かったなら、良かったよ」
そう答えれば、ステファンはにこりと笑って鉱石を鞄にしまい込んだ。ジャンはもう一度窓の外を見る。自分は彼についてきただけの身なので世界樹にそこまでの思い入れは無いが……だが、彼ほど割り切ることは、しばらくはできそうにない気がする。
色々な事があった。だがそれも、いずれ過去になっていくのだろう。
二人を乗せた馬車は、規則的な車輪の音を響かせながら何事もなく街道を進む。踏み固められた道に微かな轍の跡が残ったが、それも少し時間が経てば風にさらわれて見えなくなった。
◆
面会室は予想に反して明るく、牢獄の一室にしては開放的な空気が漂っていた。恐らく意図的にそう設計されたのだろう、高い天井と壁の中ほどに開いた大きな窓――もちろん鉄格子はついていた――を見上げながら、ハルはゆっくりと部屋の中央に置かれた机へ近付いていく。
部屋を仕切る鉄格子の向こう側には既にブラニーがひとり腰かけている。会うのは久々だが、少々やつれたように見える――質素な造りの椅子に腰を下ろし、ハルは彼女へ話しかける。
「結局、どのくらいここに居ることになるわけ」
あまりにも直球な物言いにシュシャは盛大に顔をしかめる。不快感を隠そうともしない様子で溜息を吐き、彼女は低い声で答えた。
「まだ決まってない」
「ふうん。まあ、ボクには関係ないけど」
「じゃあ来るなよ……何なんだおまえ……」
ぶつぶつ文句を言っているシュシャから視線を外し、ハルは彼女の背後に目をやる。扉の向こうの廊下には見張りの衛兵がいるようだが、あくびを噛み殺すような声が微かに聞こえてくるのを鑑みるに、こちらの話を盗み聞こうというつもりは無さそうだ。
ハルは鉄格子に顔を近付けると、目を白黒させて距離を取ろうとするシュシャに声を絞って告げる。
「あんたの予想よりは短くなるだろうってさ」
「……は? 誰に聞いたんだよ」
「えらい人」
平然と答えるハルに何か言おうと大きく口を開いて、しかし結局なにも言わずにシュシャは黙り込む。俯いて何事か考え込む様子の彼女を、ハルはじっと見た。
探していた手記を彼女が提出してきたと聞いた時。ハルや『ヴォルドゥニュイ』を含む関係者の面々は大騒ぎになった――すぐに彼女を呼び出して事情を聞いたが、「言いたくない」の一点張りで一向に口を割らない。ひとまず手記は回収して解析に回したが、彼女に対する処分をどうするかについては散々揉めたものだ。
結局、相応の……否、相応よりもずっと多量の恩赦を与えようという事になった。理由は誰も言わなかったが、何となく察せられた。
彼女が手記を持ってきたその日、メレディスと呼ばれていた死霊は街から姿を消した。
最後に目撃されたのが迷宮入口である事から、捜索に行くべきかという話にもなったが、結局そのままにしておく事になった。死霊である以上放置しておいてもそのうち消滅するだろうし、何より解放されて自由の身になった以上どこへ行こうが彼の自由だ。わざわざ捜すまでもないだろうというのが、結論だった。
それを、真実を隠して散々こき使った上に無慈悲に捨て去ったのだと取るか、それとも彼が自ら選び取った最期の選択に水を差すまいとそっとしておいたのだと取るかは、人それぞれだろう。
「……まあ、今すぐに釈放とはいかないだろうけど、大人しくしておけば死ぬまで牢屋の中って事にはならないでしょ。良かったね」
他人事のような響きの言葉に、シュシャは返事をしなかった。てっきり文句を言い返されるものだと思っていたハルが僅かに目を丸くする中、彼女は静かな声で呟く。
「なあ……牢屋の中でも薬草師の免許って取れるのか」
「ボクに訊かれても困る。……でも、真面目に勉強する分には止められたりはしないんじゃないの」
「そうかよ」
ふんと鼻を鳴らして神妙に黙り込むシュシャをハルはまじまじと見る。途端に不機嫌そうに何だよ見るなよと噛みついてくる彼女に、思ったことを素直に告げた。
「更生する気があるんだね。意外だ」
「なんだとお!? このっ……」
声を荒げかけたシュシャだったが、はっと口を閉ざすと廊下へ繋がる扉を振り返った。……どうやらセーフのようである。扉の向こうから衛兵がやって来ないのを確認し、椅子の上でそっと居住まいを正すと彼女は溜息混じりに続ける。
「ちゃんとしようと思っただけだ。……また変な奴に捕まったりしないように」
「そう。まあ、頑張って」
淡々と、しかし本心からそう告げて、ハルは立ち上がる。面会時間の終了はまだ先だが、お互いにそう長々と話をする仲でも、はたまた街を去る前の別れを惜しむような仲でもない。
「じゃあね。あんたやればできるんだから、やる気があるなら何とかなるよ」
「……うるせー。もう会いに来るなよ脳筋畜生」
肩をすくめて、ハルは部屋を出た。見張りの衛兵に軽く会釈をしてそのまま建物の出口へ向かう。厳重な警備で守られた重い扉を抜けて外に出れば、立ち番の衛兵に預けていたカザハナが嬉々として振り返った。いかにも機嫌が良さそうだ。どうやら動物好きの衛兵にたくさん遊んでもらってご満悦らしい。
衛兵に一言礼を言い、帰路につく。『ヴォルドゥニュイ』が去ってからひどく寂しそうにしていたカザハナだったが、今の彼女の足取りは軽い。揺れる尻尾を横目に見ながら宿へ続く道を歩いていると、道中で冒険者の一団とすれ違った。ツルハシを担いでいるようであるし、四層に水晶でも採りに行くのだろうか。行くのはいいが、無事に帰ってきてほしいものだ――もし遭難でもしたら、自分たちが救助に駆り出されるかもしれないので。
とはいえそんな生活もあと数日で終わりだ。清々しい気持ちと僅かな名残惜しさを感じながら大きく伸びをして、ハルは少し先で立ち止まって自分を待つカザハナの元へ急ぐ。
面会室から自分の独房に戻ったシュシャは、ひとつ気合いを入れ直すと備え付けの机に向かった。ブラニーには大きすぎるサイズの椅子によじ登り、読みかけで放置していた本を広げる。葬儀屋のミーシャの力を借りて差し入れとして用意してもらったこの本は、薬草師(ハーバリスト)を志す者のための教本である。故郷にいた頃に数度読んだきりだったそれを、今、彼女は一から読み直している。
ハルに言ったことは本当だった。真面目にやろう、と思ったのだ。勉強は分からない事も多いし、奉仕作業の内容によってはすぐ疲れて横になってしまうし、日によってはイライラして本を読むどころではないし、色々な事はある。だがそれでも、少し落ち着いたらまたやってみようかな、という気になる。勉強を重ねて分かる事が増えると達成感があるという事にも気付いた。これなら何とか、投げ出さずにやっていけそうだ。
シュシャは、自分のことをどうしようもない奴だと思っている。だが、色々ありつつも何とか生きているし、しょうもないままでいるのは駄目だという気持ちもある。牢獄で暮らしていると何度も否応なしに自分を見つめ直すことになる。誤魔化しはきかない。変わるチャンスはきっと、今しかない。
厚い教本にちびた鉛筆でメモを書く。正直、恩赦を受けて社会復帰したところでこまっしゃくれた前科持ちのブラニーがまともにやっていけるのか……という不安はある。だが、それでもやるしかない。なぜなら、自分は本当は、悪い事には向いていないのだ。
ふと顔を上げる。高窓にはめられた鉄格子の向こうに青空が見える。雲ひとつない青の中を大きな白い鳥が横切っていくのを眺めながら、シュシャはくだらない空想に思いを馳せる。
たとえば誰に知られる事もなく消えていった魂が、鳥の姿に生まれ変わる。翼を広げて飛び立つ。誰にも縛られず、大空を渡って世界を見る。そう、罪や罰や運命や他の誰かの願いなど関係なく、自分の意志で。…………。
……どこからか衛兵たちが点呼を取る声が聞こえる。シュシャは我に返った。ぺちぺちと頬を叩き、再び机に向き直る。時折苦悶の声を漏らしながら、それでも彼女は勉強を続けた。吹き込んできた穏やかな風が、鉛筆が紙上を走る微かな音を窓の外へ運んでいく。