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寄り添い通話フラット

「人の役に立ちたい」は本当は自分のため

2026.02.15 03:35


誰かの役に立ちたい、と思います。

承認欲求は、たしかに少しあります。

でも、過度に評価されたいわけではありません。点数をつけられたいわけでも、拍手がほしいわけでもない。ただ、自分がここにいて、何かをしているという実感がほしいのです。

たとえば、町の道路のごみを拾ったとき。

誰かに「ありがとう」と言われなくても構いません。見返りを期待しているわけではないのです。でも、「あの人、たまにゴミ拾ってるよね」と、どこかで認識されていたらいいな、とは思います。名前を知らなくてもいい。顔を覚えられなくてもいい。ただ、存在が風景の中に少しだけ残っていたら、それで十分なのです。

それ以上に大事なのは、ごみを拾っている自分自身を、自分がどう思うかです。

「こういうことをする自分、嫌いじゃないな」と感じられること。それがあるだけで、その日の自分を肯定できる気がします。

人の役に立ちたいという気持ちは、立派なことのようでいて、ときどき扱いが難しい感情です。役に立てなかった日には、自分の価値まで下がったような気がしてしまうからです。何も成し遂げていない一日を、失敗のように感じてしまうこともあります。

でも本当は、役に立つことはもっと静かで、小さなものなのかもしれません。

道に落ちていたゴミを拾うこと。誰かの話を最後まで聞くこと。場の空気を少し和らげること。それらは数字にも評価にもなりにくいけれど、確かに誰かの世界をわずかに動かしています。

私は、「人の役に立ちたい」という気持ちは、「生きている実感がほしい」という願いと、とても近いところにあると思っています。誰かの役に立ったと感じられた瞬間、自分の輪郭が少しはっきりするからです。

だから、承認欲求があってもいいのだと思います。

それを恥じる必要はありません。大切なのは、他人の評価だけに自分を預けないこと。自分が自分の行動をどう感じているかを、ちゃんと見てあげることです。

今日拾ったゴミの数を、誰も数えていなくてもいい。

でも私は、そのことを覚えていたい。

そうやって、自分の実感を、自分の中に積み重ねていきたいのです