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Daisuke & Kana

たまたま助かってたまたまここにいる

2018.08.18 06:55

髄膜炎の赤ちゃんに後遺症 家族の選択

僕が生後6ヶ月のとき、高熱を出してぐったりしたことがあったそうだ。

母が「これはただごとではない」と救急病院に駆け込んでついた診断が「細菌性髄膜炎」であった。

医師は「お母さん、覚悟してください」と告げ、母は目の前が真っ暗になったそうだ。


その時僕の容態は全く予断を許さない状況だったらしい。

生後半年なので覚えていないのは無理もないが、本当に厳しい状態だったのが伺える話がある。

医師が母に伝えたところでは、この病気は3つの出口があるそうだ。


一つは薬が効果を現し何事もなく快方に向かう。

一つは薬が効いて命は助かるが何かしらの障害が残る。

一つは薬が効かず命を落とす。


僕に対して使われた抗生物質は非常に強いものであったらしい。

仮に助かったとしても後遺症で歯が黄色くなると伝えられた母は「そんなのいいですからお願いします」と言ったそうだ。

歯が黄色くなるくらいで済めば御の字で、実際僕の隣のベッドにいた同じ病気の子は命が助かったものの耳が聞こえなくなってしまったと聞く。


僕はといえば、こうしてのんきな文章を書いていることからも分かるように3つのうちの1番いいところから出ることができた。

薬も効き、後遺症も特になく生還したのである。

多少歯は黄色くなったものの、基本的には元気で過ごすことが出来ている。


冒頭のような記事を目にするとき、よく考えることがある。

同じ病気にかかって障害が残ってしまった隣のベッドの子や記事の中で紹介されていた亡くなってしまった子と、僕との違いはいったい何だったのだろう、と。

僕の母の発見が早かったとかそういう要因は当然あるだろうが、決定打になっているような気がしない。


言ってしまえば僕にはどうも、たまたまとしか思えない。

僕が元気で後遺症が残らず記事の子が亡くなってしまったのも、ちょっとした要因が違えば容易に逆の結果になっていたような気がしてならない。

自分の力では制御できないなにかの流れが偶然そうなった、というように感じる。


もっと言えば、僕がここまでこうして生きてこられたのは自分の力ではない。

そして普段はそんなこと忘れているが、ふとしたきっかけでああそうだったな、とそれを思い出す。

そんな気がするのである。