令和7年11月度 御報恩御講 拝読御書
令和7年11月度 御報恩御講 拝読御書
『兄弟抄(きょうだいしょう)』
建治(けんじ)2(1276)年4月 聖寿55歳
我が身は過去に謗法の者なりける事疑ひ給ふことなかれ。此を疑って現世の軽苦忍びがたくて、慈父のせ(責)めに随ひて存の外に法華経をす(捨)つるよしあるならば、我が身地獄に堕つるのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちてともにかな(悲)しまん事疑ひなかるべし。大道心と申すはこれなり。各々随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせ(責)めいだし給ひて候
御書 981㌻15行目〜982㌻1行目)
【背景・概要】
本抄は、建治(けんじ)2(1276)年4月、日蓮大聖人様御年55歳の時、身延の地から武蔵国池上(東京都大田区)に住む池上右衛門大夫宗仲(兄)・池上兵衛志宗長(弟)の兄弟に与えられたお手紙です。池上兄弟は、建長 8(1256)年頃に四条金吾と共に大聖人様に帰依したと伝えられ、鎌倉の檀越(だんのつ)の最古参と考えられます。池上兄弟の父・池上左衛門大夫康光は、極楽寺良寛の熱心な信者であったため、兄弟二人が大聖人様に帰依することに強く反対しました。また良寛の策謀もあって、父・康光は兄の宗仲を勘当し家から追い出す一方、弟の宗長に家督相続をするとの甘言をもって大聖人様から退転させようとしたのです。兄弟は信心を取るか、親の意向に従うかの狭間で悩み、大聖人様に度々御相談し、御教示を賜りました。
本抄では、まず法華経が最も勝れた経典であることと、法華経の信仰を捨てる罪の大きさを説かれています。そして、第六天の魔王が信心を妨げること、時に父母の身に入って孝養の子を責めることがあると明かされ、このたびの父の勘当をはじめとする今世の苦しみは、過去世の謗法の罪を軽く受けるものであると御教示されています。さらに種々の譬えをもって、兄弟や女房が異体同心することの大切さを説かれ、諸難に負けることなく信仰を貫くよう激励されて、本抄を結ばれています。
【語句の解説】
・謗法…誹謗正法の略で、正しい法(教え)に随わず背くこと。
・悲母、慈父…子を慈しむ父と慈悲深い母のこと。
・大阿鼻地獄…無間地獄のこと。八大地獄(八熱地獄)の最下層にあり、五逆罪(殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧)や誹謗正法(謗法)という仏法上最も重い罪を犯した者が堕ちる地獄。
・大道心…大いなる道心(仏道を求め精進する心)のことで、ここでは不退転の信心を指す。
〔通 釈〕
我が身は過去世に謗法の者であったのだということを決して疑ってはならない。これを疑って、現世の軽い苦しみを耐えて忍ぶことができずに、慈父の責めに随って意に反して法華経を捨てるようなことがあるならば、自分自身が地獄に堕ちるだけではなく、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて共に悲しむことになるのは、疑いのないことである。大道心というのは、まさにこのことである。それぞれが大いに法華経を信じてきた故に、過去世の謗法の重罪を責め出して(今世に軽い苦しみとして受けて)いるのである。
【御妙判を拝して】
拝読の御妙判では、(一)転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)。(二)魔所為(ましょい)。が示されています。
(一)転重軽受とは、「重きを転じて軽く受ける」ということで、大聖人様は「我が身は過去に謗法の者なりける事疑ひ給ふことなかれ」と仰せられ、末法の現代に生きる我々は、過去に謗法を犯した重罪の人々であり、本来重い罪を受けなければいけないところ、妙法蓮華経の正法を信心しているため、重罪が軽罪との功徳を受けていることを示されています。
次に(二)魔所為とは、父・康光や極楽寺良寛による信心を止めさせようとする魔の用(はたら)き・邪魔です。当時の武家社会にあって、親の命令は絶対であり、父が信心に反対している状況は、兄弟にとって想像を絶する困難であったに違いありません。しかし大聖人様は、そのことに執(とら)われず、どこまでも正法を実践していくよう御指南され、この御教導により兄・宗仲は、二度の勘当を受けても強信を貫き、弟と共に二十年以上の長きにわたって粘り強く、父への折伏を続け、そしてついに、父を入信に導くことができたのです。
この喜びは、想像に絶するものだったことでしょう。大聖人様が、諸御書に御教示される通り、折伏は容易なことではありません。特に、家族や身内への折伏は強い反対を受けるものです。しかし、幾多の困難を乗り越えて折伏成就した時、折伏した人と折伏された人に真の歓喜があるのです。池上兄弟は、過去世の謗法の重い罪を信心することにより軽い罪へと転重軽受する功徳を戴きながら、しかし度毎に魔の所為により、池上兄弟のような強信徒であっても右往左往している様子が窺えます。大聖人様は、兄弟に「法華経をす(捨)つるよしあるならば、我が身地獄に堕つる」と、信心を退転すれば地獄に堕ちて重罪を受けてしまうばかりではなく、「悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて」と、信心を退転し折伏を止めてしまえば、家族も地獄以上の無間地獄へ堕ちる重罪を受けてしまうと仰せられています。
これは、家族に限ったことではなく、親しい友人や知人にも当たります。特に曽(かつ)て一緒に信心に励んで退転してしまった学会員等に対し、この御指南を肝に銘じ、慈悲の心を持って、折伏成就まで魔の邪魔が入っても、継続して努めきることが大事であり、本当の慈悲の行いだと思います。総本山第二十六世日寛上人は「常に心に折伏を忘れて四箇の名言(みょうごん)を思わなければ、心が謗法になるのである。口に折伏を言われなければ、口が謗法と同じになる。手に数珠を以って本尊に向かわなければ、身が謗法と等しくなるのである」(趣意・御書文段608㌻)とも御指南です。今月の御妙判をしっかりと心に刻み、池上兄弟のように家族を親族を友人を折伏成就に努め、さらに転重軽受の功徳を得られるよう精一杯励行しましょう。
以上