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Fashion Source: Art of Being

英語で観たら、別の作品になった夜

2026.01.29 23:00

フィリピンの英会話の先生が、一本のアニメを勧めてくれました。私がよくアートの話をするからでしょう。「これ、絶対好きだと思う!」

作品はNetflixで配信中の『プリズム輪舞曲(Love Through a Prism)』。1900年代初頭のロンドンを舞台に、日本人女性が美術学校へ留学する物語です。設定に惹かれ、私はさっそく再生ボタンを押しました。


日本語音声が、壁になる

日本のアニメなのだからと、最初は迷わず「日本語音声」で観始めました。 けれど、どうにも物語に入り込めません。

ロンドンを舞台に外国人のキャラクターが流暢な日本語を話す違和感。アニメ特有の誇張された表情や描写が、どこか「漫画っぽすぎる」と感じてしまう。作品を楽しむというより、どこか冷めた目で「評価」している自分がいました。

その違和感を先生に伝えると、彼女は目を輝かせてこう言ったのです。 「英語で観てみて!ブリティッシュ・イングリッシュが最高なの。特にキットの声が素敵なんだから!」


「理解」から「体感」へ

アドバイス通り、英語音声・日本語字幕に切り替えてみました。 すると、不思議な変化が起きました。

耳から入る英語は、もはや「記号」ではなく、心地よいリズムや温度感を持った「響き」として流れてきます。字幕は最低限の意味を補うだけで、あとはその場の空気に身を任せられる。

気づけば、私は物語のなかに溶け込んでいました。 あんなに気になっていたキャラクターとの距離感や違和感が消え、1900年代のロンドンの空気が、そのまま肌に伝わってくる感覚。同じ作品なのに、全くの別物へと変貌を遂げたのです。


ハンドルを身体に渡す

ここで気づきました。変わったのは作品ではなく、私の「入り口」だったのだと。

日本語で観ていたとき、私の「思考」がぎゅっとハンドルを握りしめていました。即座に意味を理解し、ジャッジし、粗探しをする。 けれど英語に切り替えた瞬間、思考は一歩下がり、ハンドルを「感覚」へと譲り渡したのです。

「理解する前に、入る」

入り口を変えるだけで、物語は勝手に流れ出す。 その心地よさに抗えず、気がつけば一日のうち全20話まで一気に駆け抜けてしまいました。