vol.182「渋谷金王丸」について
「平将門魔法陣」のおかげで寺社めぐりがすっかり気に入ったのは良いものの、豆田マジメに平安時代まで戻されたまま、帰り方が分からずフラフラ歩いていたところ、渋谷と言う地名が目についた。見れば「渋谷金納八幡宮」とある。
なになに?──
「シイノキやクスノキ、ケヤキ、イチョウなど豊かな社叢を擁するこの神社は1092年に創建された古社。応神天皇(八幡大神)を御祭神としています。記録によれば、河崎元家の子・重家が「渋谷」氏に改めた際、渋谷城内にあった神社を「渋谷八幡」と号しました。つまり、この場所こそ「渋谷」の始まりといえます」
──とな?
知らぬ。知らぬぞ。渋谷氏って誰ぞな? しかも渋谷城なんて聞いたこともないでおじゃるぞ。渋谷って地名は人名から来てたのかえ? は、初耳ぞよ!?
● まずは金王八幡宮について教えてくれろ!
公式回答 ↓
当八幡宮は、第73代堀河天皇の御代、寛治6年正月15日(1092)鎮座いたしました。桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当平武基は源頼信による長元の乱(1028-1031)において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、その内の日月二旒を秩父の妙見山(武甲山)に納め八幡宮と崇め奉りました。
武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役(1083-1087)の源義家の軍に300騎余を従え一番で参向し、仙北金沢の柵(秋田県仙北郡金沢)を攻略しました。その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の日月旗を乞い求め、月旗をもってこの地に八幡宮を勧請しました。
重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城とし、渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。これが渋谷の発祥ともいわれています。渋谷城は、東に鎌倉街道(現 八幡通り)、西に渋谷川が流れ、北東には黒鍬谷を有し、さらに数箇所に湧水があるという好条件を備えていました。
しかし、大永4年(1524)1月13日に起きた、北条氏綱と上杉朝興の「高輪原の戦(現 品川区高輪付近)」で、渋谷氏が交戦中だった北条軍の別動隊に襲われ、焼き払われてしまいました。現在、境内に渋谷城砦の石が保存されています。
渋谷氏が武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領していたので、当八幡宮は八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り 宮益坂 道玄坂(旧大山街道)を中心とする、渋谷、青山の總鎮守として崇められています。当八幡宮は、古くは単に八幡宮又は渋谷八幡宮と称しておりましたが、渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになりました。
、、なるほど分からん! けど、とりあえず平安時代末期に源頼朝の上の世代の源氏を支えた渋谷氏ってのがいたのは分かったぞ。代々木から赤坂、麻布まで支配してたとか、すげえじゃん渋谷氏!
● で、渋谷金王丸って誰なのさ?
公式回答 ↓
渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)は、渋谷平三重家の子で、永治元年(1141)8月15日に生まれました。重家には子がなく夫婦で当八幡宮に祈願を続けていると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢をみて立派な男子を授かりました。そこで、その子に明王の上下二文字を戴き「金王丸」と名付けました。
金王丸17歳の時、源義朝に従って保元の乱(1156)で大功を立て、その名を轟かせました。続く平治の乱(1159)では義朝は敗れ、東国に下る途中立ち寄った尾張国野間の長田忠宗の謀反により敢えない最期を遂げました。金王丸は、京に上り常磐御前にこのことを報じたのち渋谷で剃髪し、「土佐坊昌俊」と称して義朝の御霊を弔いました。(平治物語には、金王丸は出家して諸国を行脚し義朝の御霊を弔った、とあります。)金王丸は、義朝の子である頼朝との交わりも深く、頼朝が挙兵の折は、密かに当八幡宮に参籠して平家追討の祈願をしました。
壇ノ浦の戦いののち、頼朝は義経に謀反の疑いをかけ、これを討つよう昌俊(金王丸)に命じました。昌俊は断ることもできず、文治元年(1185)10月、百騎ばかりを率いて京都に上り、同月23日夜義経の館に討ち入りました。けれども,義朝と常磐の子を討つに偲びなかったのか、昌俊は、はじめから義経を討つ考えはなく、逆に捕らえられて家人とともに六条河原で梟首されたました。金王丸の名は『平治物語』『近松戯曲』などに、また土佐坊昌俊としては『源平盛衰記』『吾妻鏡』『平家物語』などにみえ、その武勇のほどが偲ばれます。
そして金王丸の名声により、当八幡宮を金王八幡宮と称するようになりました。当八幡宮に伝わる「毒蛇長太刀」は金王丸が所持していたもので、長田の館の奮戦で「鉾先に向かいその刃風に触れる者生きて帰る者なし、鰐口は遁れるとも毒蛇の口は遁れ難し」と言ったことにより名付けられました。
当八幡宮の境内にある金王丸御影堂には、金王丸が17歳で出陣の折、自分の姿を彫刻し母に形見として残した木像が納められています。(写真)渋谷氏の後裔は全国各地に連綿と続いておりますが、明治の元勲東郷平八郎元帥も渋谷氏子孫の一人です。金王丸の木像は、3月最終土曜日に斎行される金王丸祭で特別開帳されます。
、、なるほどやっぱり分からん! けど、とりあえず源頼朝とも親交が深くて、義経の館に討ち入って死んだ人物だってことは、何となく理解した。こりゃ、この時代の影に埋もれた知られざるレアキャラを見つけてしまったのではあるまいか?
● 知る人は知ってる金王桜と豪華な御社殿
金王桜は、長州緋桜という種類で、雄しべが花弁化したものも交じり、一枝に一重と八重が入り混じって咲く珍しい桜です。当八幡宮の「社傳記」によれば、文治5年(1189)7月7日 源頼朝が藤原泰衡退治の下向の時、渋谷高重の館に立ち寄り当神社に現在社宝とされる太刀を奉納しました。
その際金王丸御影堂へ参り、父義朝に仕えた渋谷金王丸の忠節を偲び、金王丸の名を後世に残すべしと厳命し、鎌倉亀ヶ谷の館にあった憂忘桜をこの地に移植させ、「金王桜」と名付けたとされています。また、江戸時代盛んに作られた地誌にも紹介されており、江戸三名桜の一つに数えられました。金王桜は、現在に至るまで代々実生より育て植え継がれ、守り伝えられています。
御社殿は、徳川2代将軍秀忠の世、慶長17年(1612)に青山忠俊と春日局によって造営されました。竹千代(後 家光)9歳、弟国松(後 忠長)7歳の頃、3代将軍は国松であろうとの風説が行われました。竹千代の乳母春日局と守役青山伯耆守忠俊はこれを憂い、伯耆守は氏神として信仰していた当八幡宮に熱心に祈願をこめ、春日局もまた護摩料金八十両を奉納しています。その後、家光の具足始めの儀が行われることとなり、これ神明の加護と伯耆守は数多の材木を、春日局は金百両を寄進し社殿を造営しました。
この社殿は、権現造りで江戸初期の様式を現在にとどめ、都内でも貴重な建築の一つに数えられます。近世の神社建築としてはあっさりした姿で、豪華ではあるが極めて優しげな彫刻が各所に施されています。特に拝殿正面左右の窓のような狭間には漠と虎が彫られ、獏は世の安寧、虎は正しいまつりごとへの祈りの心が込められています。
なんと。たいそう丁寧な扱われようであるが、頼朝の願いも虚しく知らん人は知らんですよ金王丸。それに渋谷に城があったことも知らんかったですよ。
● ブラタモリで注目された渋谷城の存在
渋谷城 砦の石
この辺り一体の高台は,平安時代末期から渋谷氏一族の居館跡で、東に鎌倉街道(現八幡道),西に渋谷川が流れ,北東には低い谷地形(黒鍬谷)があって,館を囲んているうえ,かつては数ヶ所に湧水があるという好条件を備えていました。しかし,その館いわゆる渋谷城は大永四年(1524年)北条氏と上杉氏の合戦のとき,渋谷氏が高輪原で北条氏と交戦中,北条の一軍により焼き払われてしまいました。
渋谷城がどれほどの規模・構造だったのかは、よく分からない。NHKブラタモリの番組中に,金王八幡宮で所蔵している渋谷城の模型が映し出されたが、台地の周囲を川が囲んでいるような感じであった。境内には,「渋谷城 砦の石」と名付けられた石が残されているが、これが、かつての渋谷城の何の石なのかも、まるで分からない。ただ、改めて境内から周囲を見回してみると、渋谷川が流れる方向、あるいは八幡道が通る方向に向かって、かなりの傾斜で坂が下っていて、ここが台地の際であったことが分かる。館を構えるには適した地形だったのだろう。
末社の「金王丸御影堂」には17歳の金王丸が出陣する際、母親に残すために自身で彫った本人像が安置されています。この木像を拝めるのは年に一度。毎年3月最終土曜日に行われる「金王丸御影堂例祭(金王桜祭)」で開帳されます(写真撮影不可)。生きるか死ぬかわからない戦を前にして、元服前の彼は母親を思い、ひと彫ひと彫、祈りをこめて手を動かしたのでしょう。
ところで金王丸が信仰していたのが、渋谷最古といわれる「渋谷氷川神社」。かつては金王桜もこの神社に植えられていたそうです。神社の境内では金王丸の名前を冠した奉納相撲「金王相撲」が行われ、当時の習俗をあらわした本にも江戸市中から多くの見物人が訪れ、時の将軍も「渋谷の相撲なら見物に行こう」と言ったとか。
む〜、子供の頃から渋谷で遊び、今もよく飲みに行ったりする渋谷に、そんな歴史があったとは。しかも源平合戦の初戦あたりからとは恐れ入りました。まさか800年以上経ってもまだなお大切に祀られてるとは本人も思わなかったでしょうな。
金王丸さんには、ぜひ一度生き返って今の渋谷をご覧になっていただきたい。
すぐ心臓止まるかもしれませんが。
参考
https://www.konno-hachimangu.jp/yuisho.html
https://www.inet-shibata.or.jp/~iide/jikosyoukai/shibuya/tokyoushibuya.htmlhttps://note.com/sugat/n/n1843343ae135
https://jonan.i-nest.co.jp/1324/
https://hotyuweb.blog.fc2.com/blog-entry-1250.html