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音に連れていかれた夜 |反田恭平 × Japan National Orchestra

2026.02.03 23:00

コンサートを聴いた、では足りない。

音楽に“持っていかれた”夜だった。


前半はショパン。

後半はチャイコフスキー。


同じヘ短調。

でも向かう方向は、まったく違っていた。


🎹 ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op.21

フレデリック・ショパンが19歳のときに書いた協奏曲。

祖国を離れる前、若い恋心とともに生まれた音楽。

技巧を誇るための曲ではなく、

ピアノが“歌う”ための音楽。


この夜は、

反田恭平がピアノを弾きながら指揮をした。


その瞬間、構図が消えた。

ピアノとオーケストラが向き合う形ではなく、

音楽の中心にひとつの呼吸があるだけ。


観客も“外側”にいられない。

気づけば、音の中に座らされている。


とくに第2楽章。

恋というより、

言葉にできない想いを抱えたまま

静かに呼吸している音楽だった。


感情を押し出していないのに、音が生きている。

繊細なのに、芯がある。


母が

「こんなに引き込まれたの初めて」

と言ったのが、何よりの証明だった。


🎻 チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 Op.36

後半、Japan National Orchestraがフル編成で並んだ瞬間、空気が変わった。

ピョートル・チャイコフスキーが精神的に極度の緊張状態にあった時期、

「避けられない運命」として書いた交響曲。

美しい、というより——

神経がむき出しの音楽。


正直に言えば、

「チャイコフスキー、ここまでやるか」と思った。


コントラバス6台。

舞台の奥から唸る低音が、空気そのものを震わせる。


これは旋律を味わう曲ではない。

神経を聴く曲だ。


うねる弦。

弦を叩くような奏法。

ピチカートだけで進む奇妙な楽章。

追いかけ合う金管。

絶えず動き続ける打楽器。


すべてが「役割」ではなく、「衝動」として鳴っている。


この交響曲は、悲しいというより、

神経がむき出しになった音楽に感じられた。


落ち着く場所がなく、

エネルギーが常に揺れ動いている。


作曲当時のチャイコフスキーの精神状態が、

そのまま音になったようだった。


狂っているような

神経がざわつく

身体が熱くなる


感情の描写というより、

心理状態そのものが音になった交響曲。


圧倒された。

先週、辻井伸行さんのピアノソロで「金平糖の踊り」を聴いたばかりだった。

こんなチャイコフスキー、知らなかった。



🎼 反田恭平の“動き”

この夜、

もう一人の主役は、反田恭平の身体だった。


腕で振っているのではない。

全身で、音楽を通している。


途中から、

彼の姿がサムライというより、

『ファンタジア』のミッキーマウスに見えてきた。


腕で振っているのではない。

全身で音楽を通している。

跳ねるような動き。

集中の圧力。

演奏者へ向けて放たれる焦点。


音楽のエネルギーを一点に集め、

演奏者も聴衆もそこへ吸い寄せる。


だから弦が波になる。

だから音が生き物のようにうねる。

密度で押してくる指揮だった。


このチャイコフスキーは、

「難曲に挑んだ」というより、

「どうしても通したい音楽がある人の演奏」に見えた。


もちろん本当のところは分からない。

けれど、聴いている側が

「この曲、きっと憧れていたんじゃないか」

と感じてしまうほど、意志のある響きだった。


🎶 結び

ショパンが内側へ連れていき、

チャイコフスキーが神経を揺らし、

反田恭平の身体がその流れを舞台に通した。


そして、

集中力が途切れないオーケストラがそれを支えた。

音楽が生き物になった夜。

言葉が追いつかないのは、当然だった。


一緒に行った母にとって、

反田恭平の演奏は、これが初めてだった。


アンコールで演奏された

チャイコフスキーの

《白鳥の湖》ハンガリーの踊りは、

趣味で続けているバレエを通して

よく知っている曲だったらしい。


音楽が、

記憶と身体を同時に連れていく。


あの夜は、

母にとっても、

静かで、密度の高い贅沢な時間だった。