にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険 ~ファクト・第6話『永遠の相のもとに世界を捉える』~
~ファクト・第3話『ラッセルのパラドクス』~での思考実験を思い出してみてください。「世界を正確に記述してください」という課題に対し、私たちは認識したもの、知覚したものをスマホで次々と撮影していきました。原理的には、その端末の中に『世界の記述』が溜まっていくはずですが、そこには常に『撮影者である自分』が欠落している…… そんなお話をしましたね。
今回は、そのスマホに収められた『世界』を上映すると、主体たる私はどうなるか? ということについて考えてみましょう。
今、スクリーンに映し出されている画像。それはまさに〝今〟という瞬間です。その一瞬前に映っていたコマは〝過去〟となり、次に控えているのが〝未来〟です(図1参照)。
コマが回れば、当然〝今〟は〝過去〟へと押し流され、〝未来〟だったものが〝今〟に取って代わります。時間の経過とともに、世界の景色は刻一刻と移ろっていくように見えます(図2参照)。
ところが、少し視点を変えてみてください。コマ(事実)は確かに流れていますが、それを見つめている「眼」はどうでしょうか。図3が示す通り、私たちが知覚しているのは、常に、そしてどこまでも『永遠の今』でしかありません。
私たちは『時間という川』の中を流されているつもりでいますが、論理的に言えば、流れているのは川(事象)のほうです。それを岸から眺めている私たちの認識そのものは、いわば『時間の川岸』に、『永遠の今』として固定されているのです。
……さて、この視点を持つと、最近の騒がしい政局や、将来への不安も、少しだけ違った形に見えてこないでしょうか。
その行為が正しかったかどうか、世界を変えられるかどうかも、私には分かりません。けれど、ファシストに全てを奪われるか、自らの意志を投じて、世界と関わるか。それは『永遠の今』、この瞬間にしか選べないことなのかもしれません。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。