初期ウースターのカップと正統派カットタンブラー。
初期ウースターのティーカップ(ソーサー直径 13,7 cm、カップ高さ 4,6 cm、直径 8,6 cm)、イギリス製、1755~75年。カットタンブラー(高さ 8,9 cm、直径 7,7 cm)、イギリス製、1830〜40年。どちらもとても良い物、カットタンブラーはこの時代にしてはやや軽め、最近これくらい古い正統派カットタンブラーが中々手に入らない。初期のウースターのカップも久し振りに仕入れた。もし誰か初めてのお客さんが来られてこの二つを選んで買って行かれたら、何て素敵な趣味の方なのだろう、と僕は思う。どちらもとても良い。自信を持ってお勧めします。
今ホームページのトップ画面の写真は約十三年前のフェルメールの店内、まだお店が新竪町にあった頃(何れトップ画面は変わるのでこのページの最後にも載せて置きます)。改めてこの写真を眺めて思った、この頃はこの頃で楽しそうな良い店だったな、と。今よりも商品のクオリティーは低いけれど、詰まり雑多な物もあったりして、楽しそうな店だな、と思う。もうこの頃に後戻りは出来ないけれど、今の店より楽しい部分もあるように思う、全体としては今の店のほうが深化しているしクオリティーも高いけれど、この頃のフェルメールにしかない魅力もあった。この十数年で時代も結構変わった、それもある、だから単純な比較は難しいが、昔の我が店も面白くないことはなかったな、と。
最近、抹茶碗を幾つか買った、骨董もあれば現代の作家物もある、勿論自分が買える範囲の物なので高い物ではないが。でも上手に探せば、それと運もあるが、それなりに面白いのが手に入る。先日も桃山時代の井戸茶碗の写しを作る現代作家の物を手に入れた、九十代の作家だ。これが中々に良いのだ、桃山時代の本物の井戸茶碗何て僕には出光でショーケース越しに見るしかない物なので、上等な現代物で満足するしかない。金沢に大樋焼という焼き物があるがこれも俗に「脇釜」と言って「主流」ではない色んな陶芸家がいてそこが面白味だ。僕は性格が捻くれているので「主流」よりも「傍流」に興味がある、だから皆が余り注目しない人のを買う、大樋焼も確か江戸期の傍流の人のを去年買った、結構良い。
主流と傍流。これはものの見方によって逆転する、主流だから偉いとは限らない、傍流が輝きを放つことも忘れてはならない、音楽でも文学でも絵画でも、傍流が見せてくれる「風景」というものがある。「主流」だけを見ていてもものの本質(実相)は見えないのだ。「主流」が本質的「本流」とは限らない。何が「表」に出て「裏」に廻るのかは時代の運もあれば、作り上げられた価値体系の虚構がそれを決めているのだ、その虚構は一度築かれると中々にカタイのだ。『傍流の風景』、こんなタイトルの本を書いたら面白いと思う、文化人類学者の山口昌男さんだったら付けたかもしれないようなタイトルだ。