平和祈念資料館
お正月明けに沖縄に行った際、初めて
「ひめゆり平和祈念資料館」と
「沖縄県平和祈念資料館」を訪れました。
ヨガを通して戦争に触れるようになり
もっと色んな側面を知りたいなぁと思いました。
戦争に触れるつもりはなくても
現地の方に戦争のお話や
世代間トラウマのお話を伺える機会が
なぜか沖縄に行くと与えて頂いていて、
それはヨガを始めるずっと前から。
戦争を経験された方は
自分から辛い経験を話すことは
少ないそうなのですが
貴重な経験だったなぁと思います。
以前の私なら資料館に行くことに
恐怖もありました。
体質的にまぁまぁ繊細で過敏でもあるので。。
でも今は恐怖は全くなかったのです。
それはヨガを通して
自分の身体に向き合ってきたから。
今の自分の中に湧き起こる
“現実を知りたい”
“聴きたい”
という静かな欲求。
それに素直に従いました。
*
ひめゆり平和祈念資料館にまず先に行きました。
入り口でお花を購入して
ひめゆりの塔に献花もさせて頂きました。
ひめゆり学徒隊については
1度は耳にしたことがあるという方が
ほとんどかと思います。
ひめゆり平和祈念資料館が一体どういうところなのかを
HPの設立についてからコピペしておきます。
沖縄戦は、90日余の死闘で、
日米双方に20万余の犠牲者を出しましたが、
その12万余は沖縄住民でした。
米軍は、沖縄戦を、
本土攻略の不沈空母として確保する
重要作戦と位置づけ、
日本軍も、米軍の本土上陸を
一日でも長く阻むための持久戦と位置づけました。
沖縄守備軍は、この至上命令をうけて、
玉砕方針で沖縄戦に臨むこととなり、
県民の根こそぎ動員が企てられました。
米軍進攻に備える沖縄守備軍は、県下女子中等学校の生徒らに看護訓練を強化し、米軍が上陸すると、ただちに学徒隊を編成して、戦場に駆り立てました。なんの法的根拠もなく、生徒らの戦場動員を強行したのです。
1945年3月23日深夜、女師・一高女の寮生全員と自宅通学生の計222人、職員18人が南風原にある沖縄陸軍病院に配置されました。その他、在地の部隊に動員されて、戦線に組み込まれた教師生徒もいました。
生徒らは、ただ祖国の勝利を信じて、砲煙弾雨の中、身の危険も顧みず、負傷兵の看護や死体処理、医療器具・薬品・食料や水の運搬など、命ぜられるまま、献身的に協力したのです。
5月下旬、日本軍は南部に敗走し、南風原陸軍病院や各地の野戦病院も南部へ撤退しました。そして、すでに壊滅状態となっていた日本軍は、喜屋武半島の戦場の真っただ中で、学徒隊に解散命令を下したのです。
年端も行かない生徒らを、米軍の包囲網の中で、投降を許さず、地獄の戦場に放り出したこの解散命令が、学徒隊の犠牲を更に悲惨なものにしました。陸軍病院に動員された240人中136人、その他の地域でも91人、学徒職員併せて227人が尊い生命を失いました。
あれから40年余、言語を絶した当時の惨状は、片時たりとも私達の脳裏を離れません。私達は、真実から目を覆われ、人間らしい判断や思考も、生きる権利さえももぎ取られ、死の戦場に駆り立てられた、あの時代の教育の恐ろしさを、決して忘れません。
ひめゆり平和祈念資料館HPより
文字で読むだけでもとても悲惨な状況だったことが
伝わってきますよね。
でも私は実際に行ってみると、
若くして戦地に行った彼女達の
本当に熱い想いと献身の気持ちを感じました。
戦地に行く前の明るく希望を持って
学業に励んでいる姿なども展示されていました。
そこから、戦地に自分の意志などなしに
行かないといけない状況。。。
そのギャップにも胸が痛みました。。
こんな悲惨な目に遭うために
勉強していたんじゃないんだよな。。って。
それでも戦地の暗い洞窟の中で
負傷兵の看病をする時には本当に献身的に
一生懸命行っていたことが本当に伝わってきました。
ひめゆり学徒隊は薄暗い洞窟に
二段ベッドが並べられている病院で
負傷兵の手当てをしていました。
極限状態の戦争の中で
脳症患者もたくさんおり、
汚物の処理や食事の準備、水くみ、
身体にウジが湧いている人のウジをとったり、
手術の手伝い、亡くなった方や切断された手足を運んだり、、
と目を覆いたくなるような現状でした。
それでも寝食もままならい状況で、
とても献身的に働いていたことが伝わってきました。
生き残った方の証言VTRや文章を拝見して
より凄まじさが伝わってきました。。。
そして胸の痛みと。。。
日本の本土上陸の時間稼ぎをするために、
沖縄県で上陸戦を行ったというところも
私はグッときました。
日本軍が沖縄に来るとなった時、
沖縄県民の人たちは、日本軍が助けにきてくれた〜
と思ったそうです。
実際、表向きはそんなふうだったようで、
でも上層部の狙いは本土上陸を阻むための時間稼ぎに
沖縄を犠牲に。。
当時の方々の裏切られた気持ちは大きいだろうなと思います。
実際に行って資料館を見てみている間、
ずっとひめゆり学徒隊の方達の熱い想いを
受け取っているように感じました。
平和への強い想い。。
女性の献身や母性も同時に感じました。
これは頭で理解して
戦争反対〜!というものとは全く違う
優しさに満ちた献身でした。
心からの平和への想い。
彼女達の想いに出会うことができて
本当に良かったと思います。
正直、見終わると
同志に出会ったような不思議な感覚になりました。
優しさを分けてもらったのかもしれません。
本当に行って良かったなと思います。
激しい戦渦の中、解散命令を出され
学徒隊として働いた後も悲惨な状況に投げ出された彼女達。
集団自決した方達や
ガマ(洞窟)から逃げ出そうとした瞬間、
アメリカ軍の爆弾が投げ込まれ即死した方達。。
生き残り、伝え続けてくださっている方達。。
様々な戦争の終わりを迎えられました。
全ての方の癒しを心から願います。
そして、伝えていただいた想いを
私の勇気にして歩んでいきたいと思います。
*
*
翌日、「沖縄県平和祈念資料館」に行きました。
ここは昨年、天皇皇后両陛下と愛子さまも訪問されたところ。
広大な平和祈念公園の中にあります。
展示資料がすごく多くて、
今回は3時間ほどかけて見ましたが
全ての資料を隅々まで読み切ることは出来ない程でした。
沖縄県の歴史(琉球王国から日本になるまで)、
戦争が起こった理由である資源の奪い合いの話、
日本の戦争全体の歴史、
沖縄での地上戦に至るまでの経緯、
沖縄戦の内容・証言、
戦後のアメリカの統治、その後。。。
と沖縄戦に関して長い時系列で学べます。
そしてリアルな声が
たくさん伝わるようになっていました。
ひめゆり平和祈念資料館は
ひめゆり学徒隊であった女学生の方々の
熱い想いが本当に伝わってきて
想像以上の現実でしたが
胸が痛んで辛いとは違う感覚でした。
ですが沖縄県平和祈念資料館は
正直、さらに戦争の悲惨さを
訴えられている感じがして
とても胸にぐっときました。。。
色んな事を感じました。。。
一番胸にずしーんときたのは
やはり1人1人の戦争の話。。。
本当に1人1人様々な経験・思いを持ちながら
生き抜こう、
戦おう、、としていたこと。
子供を守ろうとしていたこと。
助けることを諦めたこと。
理不尽に命を奪われたこと。。
沢山の方が精神疾患を抱えたこと。。
本当に信じられない現状、
人が人では無くなった現状が
伝えられていました。
戦争の人の精神、心を
破壊してしまう力の強さに圧倒され、
考えさせられました。
戦争の原因の1つは
資源の争奪であったり。。
一体何に振り回されて
多くの人がこんな苦痛を
味わわなければいけなかったのか。。
色んな想い、声を聞かせてもらったと思います。
資料の展示が一通り終わると
水平線が彼方に見える広くて青くて、
綺麗な海が見えました。
肉眼ではもっと綺麗で大きいです。180度海が見えます。
この海を見ていると
「どう生きますか?」と問われているようでした。
少しこの景色から離れられず
ぼ〜と見ていました。
私の心身も大きな海に癒され
改めて、この出来事を乗り越えた
先代の方達はすごいなと思いました。
世代を越えて様々な事を引き継ぐけれども
“乗り越えた”ということも引き継がれているんだよな、
と思いました。
この資料を本当に見れて良かったと思いました。
戦争の現実、そして平和の大切さを
伝え続けている場所があることに
本当に感謝でした。
*
*
旅先ではヨガをしないこともありますが
今回の沖縄滞在では毎朝ヨガと瞑想の時間を
しっかりとっていました。
そして、沖縄県平和祈念資料館に行った翌日の朝、
ヨガをしていたら、下腹部にすごい違和感を感じました。
なんだろうか。。これは。。
少し探求していると、
戦争の現状を知り、想いを寄せたことで
私のお腹の中心の中心の
今まで触れられなかったところが解放されたようでした。
でも瞑想が終わっても若干、違和感は残っていて、
その後、お腹の大きなデトックスが起きました。。
痛いとか、気持ち悪いとかではなく
解放されたものが出てくるというか。。
1日ぐらいかけて。。
きっと今までは表出することが出来なかった
私のコリがかなり解放されたのでしょうね。
私さえ覚えもない、
記憶もないものもあったと思います。
私のものではないもの。
苦しい、悔しい、辛い、憎い、怒り、絶望、、、
消化されなかった想い達。。
それらが臓器に蓄積されていたのでしょう。
腹部に緊張がずっと蓄積されていたのかもしれません。
私としては、出し切るととてもお腹が柔らかく
身体全体軽い!!!
前よりもさらに今ここに居やすい♡
戦争の声に耳をすませたから起きた身体の反応でした。
沖縄県に学ばせていただけたお陰です。
いつも泊まるEMのホテル。
今回はとても広いベランダがあるお部屋で
のびのび太陽、南国の植物、海が見える環境で
ヨガが出来たことも本当に良かったです。奇跡のお部屋でした。笑
ベランダがとにかく大きい!ウォーキングメディテーションも出来ちゃう!
今回の滞在中は
お腹に特に意識を置いてヨガをしていました。
その結果かもしれません。
今回、自分の身体を通して色々学んだことを
また活かしていきたいと思います。
本当に私たちの身体には
色んな普段聴かれることがない声が眠っています。
それは自分が蓋をした声かもしれないし
記憶にない声かもしれない、、
そこに耳をすませてあげることには
少し勇気がいるかもしれません。
でも自分をどんどん知ることが出来るきっかけになります。
私は1番の力って【自分をどれだけ知っているか】
なんじゃないかと思っています。
自分に向き合うってめんどくさそうだし
時によってはしんどい時もあると思います。
私が高校生の時、鏡を見るのが嫌だったのって
自分と向き合いたくなかったからかもしれません。
でも、向き合うと自分の良さや
素晴らしいところにも
気付いていきます。
ぜひご自身を大切に、見てあげてください♡^^
あなたが自分の光を見てあげれば、
あなたの光を待っている人も見ることが出来ます。
私たちの1番の仕事は、
幸せであることだと思っています。
傷を背負って生きることではありません。
私自身が幸せであることで、
平和に貢献出来たらなと思っています。
これからもよろしくお願いいたします^^
※命の繋がりを感じるヨガは戦争トラウマに特化したものでは無く、命の繋がりを感じることで、より自分自身を解放してくプロセスです。その中で、戦争に触れることもあるため、こういったことにもより学びを深める努力をしています。
最後に今回はこの歌を載せたいなぁと思いました。
Mrs. GREEN APPLEのPart of me。
ミセスの大森さんの死生観を歌ったもの。
宜しければ聞いてみてください。↓