VRで行く19世紀のパリ『印象派画家と過ごす夜』
VRで行く19世紀のパリ
横浜で、印象派の展覧会を見た。といっても、ただの展覧会ではない。VRゴーグルをつけて、19世紀のパリへ行く展覧会だ。
これは「IMMERSIVE JOURNEY」というシリーズの第2弾作品で、『Tonight with the Impressionists Paris 1874 -印象派画家と過ごす夜-』というタイトルがついている。従来の「絵画を壁に飾って鑑賞する」という美術展の形を根本から変えようという試みで、360度のVR映像と音響効果を使って、まるで1874年のパリにタイムスリップしたかのような体験ができるという。
文化祭感のある会場で
VRという未来感。どんな新しい場所で行われるのだろうと思ったら、以前バンクシー展が開かれた、ちょっと文化祭感のある会場だった。そりゃそうだ。VRをかけるんだから、少し歩ける場所があるだけでいいのだ。立派な美術館である必要はない。
受付でVRの説明を受け、ゴーグルはスタッフの人が装着してくれる。頭を、ぎゅーっと締められる。かなり強く締める。重いゴーグルだから、ずれないようにするためなのだろう。こちらからは調節ができない。これでいいのだろうか。いや、きっといいのだろう。そう思いながら、締め付けられる感覚を受け入れる。
音と映像に包まれて
目の前にブルーの枠が見える。そちらに進めということらしい。耳のあたりから、音が流れてくる。案内役の女性の声だ。青いドレスを着た女性が、この旅の案内人になってくれる。作家をやっている設定の人物だったと思う。その女性の声、それから画家たちが話している声、そして周囲の環境音——19世紀のパリの街の音、人々のざわめき——それらが立体的に耳に届く。音の演出が、思った以上に凝っている。
歩き出すと、不思議な感覚に襲われる。本当に、そこを歩いているような気がするのだ。すごい、すごすぎる。パリの大通りの馬車、通りを歩く人々……ゆっくりと眺めたいほど、普通にそこに立っている時と同じ感覚で視界いっぱいに広がる。だけれども、どんどん進まされる。
1874年4月15日、印象派が生まれた夜
1874年4月15日。写真家ナダールのアトリエで開かれた第一回印象派展。印象派が始まった、まさにその日に、私はいる。モネやルノワール、ドガといった画家たちが、そこにいる。ネームプレートまで出てくる。彼らが喋っている。案内役の女性の声、画家たちの会話、周囲の音。情報量は多いけれど、それがこの体験の豊かさでもある。
ブルーの囲みの中に入ると、エレベーターを下がるような錯覚で、下の階へ下がったり、上に戻ったり、違う場所にタイムトリップしたり、もう、設定がドラえもんだった。
ああ、こんな場所で、印象派展が開かれたのか。なんだか感慨深い。Art-Teeを作るために、毎日のように見ている絵画が、目の前に広がる。夢のようだった。ルノワールはやっぱりイケメンだ。いた、ドガ先生も。というか、マネはちょっと一癖あった人だったのだろうか。巨匠たちの性格までもが、伝わってくる。
画家たちと同じ場所に立つ
画家たちに案内されて野外へ出ると、風景が広がる。印象派の画家たちが、実際に外で絵を描いている。光を捉えようとしている。その様子を、すぐそばで見ることができる。画家自身が、自分の作品について説明してくれる。こんな経験、今までの美術展では絶対にできなかった。
モネが「印象、日の出」を描いている場面では、バルコニーに立つモネの後ろに回り込むことができた。キャンバスを覗き込む。本当に、あの絵が、今、描かれている。リアルだった。
個人的に嬉しかったのは、バジールのアトリエに入れたことだ。以前、バジールの「画家のアトリエ」という絵を見たことがある。その絵の中に、実際に入り込めたような感覚。こんな贅沢な体験があるだろうか。あのバジールがピアノも弾いていた。
視覚が体を支配する
1880年頃の、絵画が所狭しと並べられた画廊のような空間も再現されていた。鉄道の駅も歩いた。19世紀のパリの空気を、確かに吸った気がした。列車に乗れそうなほどリアル。なんどか、ソファーに座りたくなった。歩いているときに、バランスを崩しそうになった。現実はフラットなのに。
とくに、川の上に置かれた板の上を歩かされる場面がある。実際には平らな床なのに、視覚の影響で、そろりそろりと慎重に歩いてしまう自分がいる。体は正直に反応する。
それから、現実世界の侵入。同じ会場で別の展示を見ている人が、視界に入ってくるのだ。何と同じ会場で2つのVR。エジプト展を見ているらしき人がしゃがんでいるのが見える。その人の体が、19世紀の印象派の巨匠と重なって見える。不思議な光景だった。怪奇現象のようだと思った。(笑)
孫悟空の輪っか
ただ、正直に言えば、途中から頭の締め付けが気になり始めた。最初はいいのだ。新しい世界に入り込む高揚感で、気にならない。でも、時間が経つにつれて、ゴーグルの重みと締め付けが、どんどん意識の前面に出てくる。孫悟空の輪っかのように、頭が一回り小さくなったような圧迫感。自分では調節できないから、我慢するしかない。指で少しずらしてみるけれど、根本的な解決にはならない。
それから、老眼はどうなんだろう? ゴーグル越しの映像が、クリアに見えているのか、それとも元からぼやっとしているのか、よく分からない。まあまあ見えている。見えてはいるのだけれど、もう少し鮮明に見えたらよかったのに、という思いが残る。
終わったあと、ゴーグルを外して、頭が解放された。血が戻り、現代の横浜に戻ってくる。頭の締め付けの感覚は、しばらく残った。このビデオを観ながら、ソファ―でぐったり。ソファーで休んでいたのは、私だけではない。
VR時代の幕開けを体験する
もう一回やりたいかと聞かれたら、正直、微妙だ。でも、それは体験の内容が悪いからではない。この締め付けさえなければ、もっとゆっくり時間をかけて見られたなら、かなり良い時間になったはずだ。印象派が生まれた夜のパリを、もっと堪能できたはずだ。
初めてのVR体験。初めてのゴーグル。技術的には本当によくできていた。美術鑑賞の形が、確かに変わろうとしている。絵を見るだけでなく、その時代に入り込む。画家と同じ空気を吸う。そういうことが、可能になった。
頭は痛かったけれど、印象派が生まれた夜のパリを歩いた記憶は、確かに残っている。リアルだった。次はもっと、快適なゴーグルで、もっとゆっくりと、19世紀を旅してみたい。