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長野県摂食症自助グループ「パステル・ポコ」

□光宗薫 モデル・アイドルを経て「摂食障害」…

2026.02.11 00:00

『プレバト』に出演している光宗薫さんのインタビュー記事を読んで、胸がぎゅっとなりました。
モデル、AKB48、そして画家・俳優へ。華やかに見えるキャリアの裏で、光宗さんは長いあいだ「摂食障害」と「ひきこもり」を経験していました。
この記事は成功談というよりも、「生きづらさの中で、どうやって自分の存在を保ってきたか」という話のように感じました。

光宗さんはもともと集団行動が苦手で、中学の頃から学校に毎日通うことができなくなり、高校も1週間で辞めてしまったそうです。
「人生のレールから外れたように感じて、この先どうしようと思っていた」と語っています。そんなとき、友人に誘われてモデルオーディションに参加し、それが芸能界に入るきっかけになりました。神戸コレクションでグランプリを獲得し、モデルとして活動を始めますが、スタイル重視の世界で骨格の違いに悩み、「何を頑張ればいいのかわからない」という感覚に陥っていきました。

その流れで受けたのがAKB48のオーディションでした。「活動の幅も広いし、自分の内面も出せるかもしれない」と思い、合格。
「スーパー研究生」として注目されますが、知名度だけが先に上がり、心の中はずっと不安だったといいます。
「期待してるよ」「頑張ってね」という言葉を100%真面目に受け止めてしまい、「うまくできなかったら失望される」「価値がないと思われる」という錯覚に追い込まれていきました。

実は芸能活動を始める前から、摂食障害の症状はあったそうです。モデル時代は毎日10キロ走り、摂取カロリーは1日1000キロカロリー以下に抑える生活。拒食状態のままAKBに加入し、「ちょっと太ってもいいんじゃない?」と言われると、それもそのまま受け取ってしまい、「一気に太らなきゃ」と2カ月で7キロ増やしたといいます。
そこから適切な食事量がわからなくなり、過食が止まらなくなってしまいました。そして加入から約1年で、体調不良を理由に活動を辞退することになります。

ひとり暮らしの限界を感じ、母の住む大阪に戻りますが、摂食障害を明かしていなかったため、ほかに行き場がなかったといいます。
当事者会に行ってもタレントだと気づかれてしまい、安心して悩みを共有できる場所をつくれなかった。
施設に入ったこともありましたが、出るとまた際限なく食べてしまう。先生からは「自分の心の不安を取り除く環境をつくらないと」と言われ、人前に出ず、家にいるという選択をしました。

その間、テレビも見ず、携帯も解約し、知り合いとも連絡を取らず、外にも出ない生活。「人間を見るのもつらかった」「自分の形を感じたくなかった」と語っています。
鏡を見るのも嫌で、母とも1年間、一言も話さなかったそうです。母が起きたら寝て、母が仕事に行ったら起きる。
そんな生活の中で、食べ物は母が徹底的に管理し、冷蔵庫には入れず、常温で保存できるものは金庫に入れて鍵をかけるほどでした。「責めずにやってくれたことに感謝している」と振り返っています。

そんな生活の中で、光宗さんを支えたのが「絵を描くこと」でした。日付の感覚がなくなっていく中で、絵を描くことが日記がわりになっていったといいます。
最初に描いたのは食べ物で、「食べたい」という欲求が強く、ハンバーガーやピザを写真を見ながら模写していたそうです。涙が出たときには、自分の顔の写真を撮って描くこともありました。

「自分の存在が消えていきそうな中での、存在確認だったかもしれません」と語っています。
絵にすれば、対象を客観的に「ただの形」として見ることができて、少し楽になる。「自我から解放されたかったんだと思います」と。

毎日絵を描くようになって、精神的にも少しずつ安定していきました。「今日も描けた」という達成感の積み重ねが、自己肯定につながっていった。
そして1年ほどたった頃、「この絵を人前に出したらどうなるんだろう」と思うようになります。
それまでは自分を隠そうとしていたのに、日記のような絵や泣き顔まで出したら、どんな反応が返ってくるのか。それは「自滅行為」のように感じるほど怖かったけれど、それでもその先を見てみたくなったといいます。

このインタビューを読んで強く感じたのは、
摂食障害は「痩せたい病気」ではなく、「自分がここにいると感じられない苦しさ」なのかもしれない、ということです。

期待に応えなきゃ、ちゃんとしなきゃ、失敗したら価値がなくなる。自分の身体を感じたくない、人の目がつらい。そうした感覚は、摂食障害の当事者の心そのもののようにも思えました。

光宗さんの回復のきっかけは、特別な治療法というよりも、安心できる環境と、責めずに支えてくれる母の存在、そして毎日絵を描くという小さな習慣でした。

「存在を感じられる瞬間」が少しずつ増えていくこと。それが回復なのかもしれないと、このインタビューは教えてくれている気がしました。


Yuu🌼