裁判は真実発見の場ではない
尋問期日が済んだ。
不貞かそうではないかという争いの訴訟(男女関係ありは争いなし)。
請求する側に落ち度がないのは間違いないだろう。
問題は、請求される側(依頼者)が、相手が妻子持ちだと知っていたかどうか。
尋問終了後、裁判官より心証が示された。
それを前提に、今後の方針を考えることになる。
裁判というのは、決して真実発見の場でなどない。
ある証拠から、一般通常人の立場でどう考えるか、どのように見立てるか。
そして、やはり当事者が上手に話せるかどうかも、要素としては小さくない。
上手に話せない人は、割を食うことになる。
代理人として、これはこの人はウソを言ってないよな、と思って(信じて・・ホントの意味で)、裁判に取り組む。そして、尋問の準備をする。
なんとか、この人の本当のところを裁判所に知ってほしいと、証拠の出し方等も自分なりにいろいろ考えて臨む。
これを出すか、出さないか。
これを尋問で聞くか、聞かないか。
ギリギリまで悩み、そして当日を迎える。
こちらの意図したところと全く違った認定を、裁判所がしてしまう。
全く違った証拠の解釈を、裁判所がしてしまう、
なんていうこともある。
もちろん、相手のあることなので、全体として相手を勝たせた方がよいという価値判断が働くこともあるのだろう。
そこは、こちら側の論理では受け入れられないけれども、裁判官の立場からは仕方ない面もあるのだろう。
いずれにしても、代理人としては、あそこはこうすべきだったとか、こうすべきではなかった等、後悔でもないけれども、思い返すこともある。
自分でない代理人がついて訴訟がなされれば、違う結果も出たのではないかと思うことはしょっちゅうである。
特に、尋問終了後の、和解勧試の場面ではそのように思うことも少なくない。
「裁判は真実発見の場ではない」とはいえ、
そう割り切って日常業務に携わることは容易ではない。
やはり、自分の力のなさがこのような流れ、結論を導いているのだろうなどと、思えてならない。
そんなこと言ってみても仕方がないのだけれども。
日々の取り組みを常にどう改善できるか、常に考えて行くしかない。