“アイドル”や“何者か”を目指す君への手紙 二百十二通目『「稽古が楽しい」と言っているようではダメ』
◆“アイドル”や“何者か”を目指す君への手紙 二百十二通目『「稽古が楽しい」と言っているようではダメ』
君は、「稽古が楽しい」と言ってはいませんか。
その時点で、君がどの程度のレベルの人かがわかってしまいます。
たいしたレベルではないはずです。
なぜそれがわかるかを伝えましょう。
どんなに華やかなステージであっても、その裏側には、地味で、長くて、終わりの見えない反復があります。それが、「練習」や「稽古」です。
ある人は言います。「稽古は辛いです」。また別の人は言います。「稽古は楽しいです」。
君は本当はどちらですか?
実は、どちらであっても「伸びていける人」の言葉ではないのです。
「辛い」という人は、意識が「未来の結果」ではなく「現在の負荷」に向いています。
「キツい」「苦しい」「しんどい」「つまらない」「面倒くさい」。これらは、自分がどれだけ消耗したかを数えているだけです。
「成長」というものは、「消耗量」で決まるものではありません。どれだけ「昨日」より出来ることが「増えた」かで決まるのです。
「楽しい」という人も残念ですが、まだ足りていません。
「楽しい」という感情はとても大切です。でも、それが「うまく出来なくても楽しい」 「出来なくても雰囲気がいいから楽しい」「習っているのが楽しい」
これでは、成長しません。
脳は不思議なもので、「満足」してしまうと改善を止めてしまうのです。
人が一番伸びるのは、「少し難しくて」「出来そうで出来ない課題に集中している時」に「出来るようになった時」です。こ瞬間に、脳は強く上書きされるのです。
つまり、本当に見るべきなのは「辛いか」「楽しいか」ではないのです。
どれだけ「昨日の自分」より「前に進めたか」なのです。
「出来なかったターンが回れた」「出なかった声が出た」「人に伝わる表現が出来た」
こういった変化を自分で実感できた時なら、「稽古が楽しい」と言っても良いのです。つまり、「楽しさ」は、入口ではなくて、「成長」のあとにやってくる「ご褒美」なのです。
「稽古」とは、自分をギリギリまで磨きあげることです。そんな状態でなければならないのに「楽しい」と余裕を見せられるはずがあるでしょうか。
君が「稽古は辛い」と感じるなら、見る場所を変えてみてください。
逆に「稽古は楽しい」で終わっているなら、もう一段階深く潜ってみてください。
芸能の世界では、最後は積み重ねの量でしか勝てないのです。
地味で、静かで、逃げ出したくなるような時間。
その中でどれだけ自分を更新できたか、どれだけ昨日の自分を超えられたかが、すべてなのです。
厳しいようですが、「稽古が楽しい」と言っているようでは、まだまだ足りていないのです。
「自分を磨ける余裕がある」という証左なので、楽しい時間を維持するのではなく、「自分を高める」ことにもっとフォーカスを当てるようにしてください。
以上
「“アイドル”や“何者か”を目指す君への手紙 二百十一通目」は2026年2月4日の記事
「“アイドル”や“何者か”を目指す君への手紙 二百十三通目」は2026年2月18日の記事