赤岳
八ヶ岳の主峰、赤岳に登って来ました(ステーキを食しました)。
美濃戸口から入って赤岳鉱泉で一泊のゆったりコース。降雪がそれなりにあったり、最近では一番冷え込んだ日だったり、地蔵尾根を登りきれず19時過ぎて赤岳鉱泉に引き返して来た人から話を聞かされたりしたもので結構身構えていましたが、おかげさまで普通に登って、普通に降りてくることができました。
今回の核心はピークハントではなく、完全に赤岳鉱泉です。八ヶ岳で働く人々がテーマの映画「小屋番」を見たことも手伝って、山行そのものよりも宿で一人で過ごす時間を何より楽しみにしてました。寝床となった大部屋も食堂もあったかいし、飲み水無料。書棚の大量の漫画は読み放題と、噂に違わぬホスピタリティー。スタッフの皆さん全員が生き生きと楽しそうに働いている姿を眺めながら、宿についてしばらくは人からもらった口語自由律短歌の冊子をめくったり、ぼーっとこれまでの自分の仕事について考えたりしてました。
上高地の山荘で働いたことはあったけど、本格的な山小屋は未経験。楽しい仕事もきつい仕事もやってきたけれど、一番記憶に残っているのは在籍期間が短かっため職歴に書くこともない、某ニュースサイトの記者職です(労働条件が悪く早々に退職)。特に印象深いのは、犬猫の殺処分をする行政施設へ取材へ行ったこと。昔から犬猫をはじめ動物は大好きで、なので記事はどちらかというと「殺処分=悪」というスタイルで書きました。記事はまぁまぁバズってちょっと得意だったのですが、中で働いている人の気持ちを考えるとどうにも素直に喜ぶことはできませんでした。
その後、ヨガをはじめてベジタリアンになりました。自然と「不必要に動物を殺す人間=よくない」と思うようになりました。もちろん不殺生の教えが大切なことは間違いないし、苦しめられている動物がかわいそうなのは当然です。でも、最近は「人が嬉しそうに食べてるものにケチつけるようなまねはしたくないな」と思うようになりました。なんというか、前よりも人が好きになったのかもしれません。
今の仕事では毎日色々な人と出会います。町中のそこかしこの建物で、みんなが働いている姿を目にします。実際にどんなことをしてるのか、知らなかった部分が見えてきて、自分たちの毎日がどれだけ多くの人の仕事に支えられているかを理解します。ヨガの仕事もそうだけど、自分はそんなみんなを支えてあげるような仕事が好きなんだな、と思います。
そんなこんなを考えていると、気づけばあっという間に晩御飯。赤岳鉱泉の名物といえばボリューム満点のステーキです。罪悪感とか背徳感とか感謝とかが入り混じったおよそ10年ぶりのステーキの味はまさに筆舌に尽くしがたいというやつで、牛に謝りつつも、しっかり残さず食べました。笑。
翌日の山行はおかげさまで?絶好調。寒いしずっと曇っていたけれど、なんといっても風がない。冬山に来るたび爆風にあおられて心身共に凍えていましたが、今回は頂上付近以外はそよ風程度。あまりにあっけなく登頂できたので、物足りない気持ちすらありました。
山を甘く見ているつもりはないし、そもそもアルパインの人がやるようなリスクの高いことはしませんが、やっぱり簡単に登れてしまったらつまらない。それに、そもそも頂上に立つことそれ自体へのこだわりが年々薄れてきています。
昔ネパールでトレッキングをしていたときは、「真剣にトレーニングをしていつか世界一のエベレストに行ってみたい」などとありがちな夢も持ちました。でも、エベレストは多くの人が訪れてゴミでいっぱいだと耳にして、そんな気持ちも萎えました。いつか、自分にとって一番の場所はわざわざ訪れるものではなく、自分で作るものだよな、と思うようになりました。
ヨガの故郷、インドでは古くから哲学の研究が盛んです。そこには様々な思想があって、その捉え方も人によって異なるためあまり軽々しくそのあたりに触れる気にはなれません。でも、僕がなんとなくしっくりきている思想の1つに、「人生は自分が主演・監督の映画を見ているようなもの」という例えがあります(映画を見ている自分はなんなのか、という話はまたの機会)。
自分の人生が本当は実体のない作り物だと思うとなんだか虚しいような気もするけれど、劇中のことだとわかっていても登場人物には共感するし、感動もすれば腹も立ちます。面白ければ何回でも観たいと思います。それに、何よりこの映画には
「全部映画の中のことだから何があっても結局は大丈夫。作品のテイストはお好きにどうぞ」
という文言が添えてあるわけです。なんともいきな計らいです。
どれだけ失敗しても大丈夫。映画は他にもたくさんあります。