母を送る ミノルタAL-F
昨年の夏の話です。
弟からの1本の電話で僕の夏は一変しました。
「実はな・・母さんが緊急入院して正直あまりよくないんだ・・・」
そこから母を見送るまでの三週間の、名古屋と千葉とを5往復する慌ただしい日々の始まりでした。
土日休みの弟と、平日休みの僕とがそれぞれ休みを何とかやり繰りし、どちらかがいつでも病院に駆けつけられるよう自宅で待機しました。
さすがに重篤な母を見舞うのにカメラ持っていくのも何だなぁ・・・とカメラに類するものは一つも持って帰りませんでしたが、途端に時間を持て余しました。
と言うのも、母の入院しているICUの面会時間は一日30分×2回と決まっており、それ以外の23時間は母のために具体的に何かを出来るわけではないのです。
一応帰省中は、自宅にいる時以外でもいつでも病院に駆けつけられる範囲内でしか外出しませんでしたが、それでもカメラがないとどうにも手持無沙汰です。
そこで以前からちょっと目を付けているカメラ屋さんに出かけました。
以前そこを通りかかった時に、ショーウンドウの中に中古のフィルムカメラが結構な数展示されているのを見たような記憶があったからです。
津田沼の高山カメラさんという小さなお店です。
訪ねてみますと予想通りそこには60~70年代のものと思しきフィルムカメラが数十台展示されています。
母には悪いと思いつつもワクワクしながら物色しましたが、僕はすぐに一台のカメラに惹きつけられました。
ミノルタAL-Fというレンジファインダーカメラです。
1967年製の古いカメラですが、外観はすこぶる綺麗です。
物凄く気さくな店長さんにショーケースから出してもらいました。
仔細に見ますと、シャッター優先AEのようです。
試しに電池を入れてもらいますと、露出計が反応します。
シャッター速度もそれなりに正確に切れているようですし、絞りも連動しています。
委託商品とのことですが、前のオーナーが大事に保管していたのでしょう。
ケース付きで2000円。
迷わず持って帰りました。
中古カメラの1本目はたいていフジの業務用400を詰めます。
試し撮りも兼ねて自宅付近の商店街を撮り歩きます。
子供の頃に毎日おつかいに行っていた商店街もすっかりシャッター通りになっています。
しかしそんな中、驚くべきことに高校生だった弟が通っていた喫茶店がまだ当時のまま営業中でした。
恐らく当時としても冴えない喫茶店だったと思うのですが、「なぜこんな店に高校生が通っていたのか?」と弟に聞いたところ「制服のままタバコ吸ってても何にも言われなかったから」とのことでした(笑)
世の中どこに需要があるか分かりません。
買い物がてらちょっと足を伸ばして隣町まで行ってみました。
病院への行き帰りの道中にも持ち歩きました。
自宅の中を撮ったりもしました。
露出もかなり正確ですし、とにかくよく写ります。
一時ヘビーに持ち歩いていたハイマチックEもそうですが、この時代のミノルタの(っていうか国産の)レンジファインダーカメラにハズレはありません。
38mmの使いやすい画角に、f2.7という無駄に他社より0.1明るいレンズがミノルタっぽくて好ましいです。
僕の育った千葉県船橋市習志野台というところは、古くから人が住んでいた場所ではなく、戦後に雑木林を切り開いて人々が入植した町です。
ですから僕の卒業した小学校の校歌は「♪雑木の林~ 松の森~ 果てなく続く~習志野の~♪」という歌い出しでした。
マンモス団地の出現にともなって商店街も発達したのでしょうけど、この街のピークは恐らく昭和40年代まででしょう。
日本中で起こった現象と同じく、大型スーパーが出来ると周辺商店街は途端にゴーストタウン化しました。
基本的にここは「終わった街」です。
しかしここで暮らす人々がそれで決定的に不便になったかと言えばそうでもないんでしょう。
幾つかの店は当時と変わらずしぶとく営業中でした。
それはこの50年前のフィルムカメラが、現在のデジタルカメラに比べて、画質や使い勝手が決定的に劣っているわけではないのと似ているのかもしれません。
葬儀の最中も何となくシャッターを切っていました。
こんな写真、親族じゃなきゃ絶対撮れませんよね。
他で撮ってたら叩き出されますよ(笑)
このカメラが2000円というのは安くていい買い物が出来たことは間違いありませんが、概ね60~70年代の国産レンジファインダーカメラの中古相場ってそんなもんです。
コニカC35もミノルタハイマチックFもそんなものでした。
そしてこのAL-Fが同時代のレンジファインダーカメラに対して、機能性とか携帯性で決定的なアドバンテージを持っているわけではありません。
しかし僕はしばらくこのカメラを持ち歩こうと思っています。
ほとんど口を利くことはおろか意思疎通も出来ない日々でしたけど、それでもこのカメラは僕と母の最期の時間を共有したカメラだからです。
いささか感傷的過ぎることはよく分かってますけど、このカメラでシャッターを切る時に、ふとこの夏の日々のことを思い出すのは、それほど苦い思いばかりじゃない気がするんですよね。不思議なことに。
母が逝く日、徹夜で付き添った病室から夜明けの街並みを撮った一枚です。
そこから見下ろせるのは、いつもと同じような人々の営みが始まるところでした。