北欧の長者屋敷
幸せと仕合せ
カーラジオから心地よい音が聞こえてきた。シンプルだけどあったかいウクレレの音だ。ほっこりする口笛のあと、まるい言葉で紬がれた歌が温かくて爽やかな気持ちにしてくれた。平井大の名曲「Slow & Easy」、この歌の中で二度繰り返される「幸せは『作るもの』じゃなくて『気づく事』なんだって きっと」というフレーズに心を奪われた。
実はその数日前、我が家に近所のお寺の住職ともう一つのお寺の檀家総代が来られた。しばらくご用件を伺った後、玄関までお見送りすると、「陽気ぐらしっていいですね」と総代さんが仰った。咄嗟のことで気の利いた言葉が浮かばず「はあ、ありがとうございます」としか、私は応えられなかった。情けないことである。
陽気ぐらしってなんだろう。皆が幸せになること?でも幸せは人によって違うよね。じゃあ幸せってなんだろうと考えているとき、幸せは『作るもの』じゃなくて『気づく事』というフレーズに出会ったのである。
では教祖はどのように教えて下さっているのかと知りたくて「おふでさき」を紐解いた。1711首ある「おふでさき」には、次のような一首があった。
「しやハせをよきよふにとてじうぶんに みについてくるこれをたのしめ」(おふでさき 二号42)
おふでさきに「しやハせ」を含むおうたはこれだけである。
この「しやハせ」は仕合せであろうと思う。良きにも悪しきにもなる仕合せ、即ち、めぐり合わせは親神のご守護に感謝し、心のベクトルを変えることによって良きようになるのだから愉しみにしていなさい。と解釈している。
そうか、だから中島みゆきさんの「糸」のラストの歌詞
『逢うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせと呼びます』は
「幸せ」ではなく「仕合せ」なんだ。良くも悪しくも固い絆に結ばれてめぐり合うこと、それが「仕合せ」なのだと心の底にストンと落ちた。
世界幸福度ランキング
世界幸福度ランキングという国連の調査がある。日本は昨年より順位を4つ下げて55位であるが、この調査で今年まで8年連続世界1位という驚くべき国がある。北欧の国フィンランドである。
サンタクロース、ムーミンの故郷であり、自然が豊かで充実した社会福祉国家というのが我々のイメージである。オーロラを連想する人も多い。
しかし、フィンランド人だってそう簡単にオーロラを見ることはできない。また、いつでもムーミンやサンタクロースに会えるわけでもないし、彼らに会えたからって幸福度世界1位の理由であるとは限らない。実際の暮らしを知る人は少ないのだ。そこでちょっと行ってみた。
フィンランドの首都ヘルシンキへは、ロシアによるウクライナ侵攻以前なら関空から直行便で行けば10時間もかからなかった。そう、意外と近いのだ。
だからと言ってそう簡単に行けるところではない。“ちょっと”と書いたことにはいろんな偶然と幸運によるところが大きいのだが、それはちょっと内緒にしておく。
ヘルシンキバンター空港に降り立ち、地下深くにある空港駅までエスカレーターで降りた。有事には防空壕にもなるらしい空港駅のホームは、平日の午後6時ごろだというのに人が少なく閑散としていて驚いた。後で知ったのだが、北欧には夏至祭という国民の休日があり、人々は前後に休みを取って湖畔のコテージ等でのんびりするか海外でバカンスを楽しんでいるとのことだった。
おしゃれな列車の窓から緑豊かな森と蒼く透き通った空、ぽっかりと浮かんだ真っ白な雲が見えた。途中の停車駅でまた驚いた。乗客が自転車を押しながら乗り込んで来たのだ。駅のホームを見ると自転車に乗ったままスイスイと移動している、いいなあと思った。さらに、終点のヘルシンキ中央駅でまたまた驚いた。秀麗な駅舎に改札口らしきものが見当たらなかったのだ。大丈夫なのかと余計な心配をしたが、時々車内で乗車券の検査があり、違反者にはかなり高額なペナルティが課せられるそうである。
さて、6月のヘルシンキは日照時間がとても長い。午後11時頃が日の入りで、やっと暗くなりかけたかと思うとすぐに夜明けがやってくる。
街は清潔で治安が良く、独りでも安心して歩ける。空気が澄んでおいしく、水道水がそのまま飲める。ほとんどの家庭では靴を脱いで家に上がる。シャイで真面目な人が多く、そう、どこか日本と似ているのだ。
ホテルで旅装を解き、娘のアパートで夕食をご馳走になった。彼女の夫はフィンランド人である。フィンランドの家庭料理はシンプルだが素材の旨味が味わえてとてもおいしい。茹でたての新ジャガ、ホームメイドのライ麦パン、ハムとチーズとサラダ、いろんな風味が味わえるニシンの酢漬け等をキリっとしたフィンランドビールで頂いた。会話を楽しみながら豊かな時間がゆっくりと過ぎて行った。
教祖逸話編78「長者屋敷」
「お屋敷に居るものは、良いもの食べたい、良いもの着たい、良い家に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。良いもの食べたい、良いもの着たい、良い家に住みたい、とさえ思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで。」
この逸話は教祖が桝井キクさんにお聞かせ下されたものである。キクさんは逸話編16「子供が親のために」に登場する。
15歳の少年が危篤に陥った母親の為に片道約5.5㎞の道のりを歩いて教祖にお願いした。しかし教祖は
「伊三郎さん、せっかくやけれども身上救からんで」と仰った。
とぼとぼと歩いて帰るが、自宅で苦しむ母親の姿を見て、また教祖にお願いした。結果は同じであった。だが、苦しみ悩んでいる母親の姿を見たとき、子供としてジッとしておられず、またお屋敷に帰って3度目のお願いをしたところ
「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る。」と仰せ下さり、救からん命を救けて頂いたという有名なお話である。この時に助けられたのが桝井キクさんであり、この少年が後の桝井伊三郎先生である。
さて「長者屋敷」のお話をお聞きかせ下されたのは、前後の逸話から判断して明治12年から13年ごろだと思われる。当時のお屋敷には、難病のおたすけを願う人たち、不治の病を救けられた人々など教祖を生き神様として慕う非常に大勢の人々がお参りしていた。
そのことを快く思わない世間からの反対攻撃や嫌がらせ、さらには官憲による取り締まりによってお道への迫害がだんだんと厳しくなっていった頃である。さらにはコレラの流行という社会的大問題も起こっていた。
その当時、キクさんは55歳、救けられてから15年ほど経っている。伊三郎さんは30歳、3年ほど前に結婚したばかりである。お二人とも常に教祖のおそばにおられ、草創のお屋敷になくてはならない人であったであろうと容易に推察できる。その中でのお言葉である。
何事も喜びなさいよという励ましの意味かそれとも大変な中を不足せずによろこんで通っているなあというお褒めのお言葉か浅学の筆者にはわからない。しかし、当たり前のことに気づき、感謝することが長者屋敷の特徴だといえるのかもしれない。
当たり前が有難い
食事をしながら娘夫婦との会話を楽しんだ。フィンランドの生活について尋ねてみると、病気の治療費、大学までの学費、給食費が無料、育休や失業保険等も手厚く、社会福祉は確かに充実している。また、ジェンダーレスが進み、社会的、文化的な性差がほとんどない。しかし税金がとても高く通常の消費税率は24%(現在は25.5%)、食品等でも14%である。所得税も高いし家賃も物価も高い。就職もそうそう簡単ではない。でも、税金の使い方がクリーンであり、努力した人には相応の対価が保証されているので多くの国民は納得しているとのこと。
一方、精神疾患や心の病を抱えている人が非常に多く、アルコール依存者が日本の約3倍もあり、自殺率はEUの平均を超えている。さらには若者のホームレスと薬物乱用障害が増えるなど深刻な社会問題を抱えている。
それにもかかわらず8年連続世界一の国なのである。その秘密は、やはりちょっと行ったくらいでは分かるはずがないと諦めかけた。だが、娘の夫との何気ない会話の中でヒントを見つけた。
「一番にしあわせなときは何?」という問いに彼は暫くじっと考えた後でこう答えた。
「家族といて、本を読んでいるとき」
そうなのだ。仕合せは普段の生活の中に存在しているのだ。安全でジェンダーレスが進んだ社会、高度に充実した社会福祉制度、豊かな自然、これらの明るい部分には当然暗い影が生じる。しかしかれらはいかなる状況にあってもたくさんの仕合せに気づき、小さなことを喜ぶことが上手なのである。つまり教祖が仰せになった「長者屋敷」にも通じるのである。
ただ、かれらは個々の生活での幸福を感じ取り、その幸福感の集合体としての結果が幸福度ランキングに現れているのだろうが、陽気ぐらしとは少し違うような気がする。
では、陽気ぐらしっていったい何なんだろう。お道の原典では
いまゝでと心しいかりいれかへて
よふきつくめの心なるよふ (おふでさき 十一号53)
月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから (おふでさき 十四号25)
皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。
めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。 (おさしづ 明治30年12月11日)
と教えて頂いている。
つまり元を知って初めて陽気ぐらしの真髄が味わえるのである。
でも難しいなあ……。
これを一言で説明するなんて至難の業だ。でも論文じゃあないんだから、まあいっか。と先延ばしすることにした。ところがうかつにも諭達第4号にその答えがあったのだ。
「一れつ兄弟姉妹(きょうだい)の自覚に基づき、人々が互いに立て合いたすけ合う陽気ぐらしの生き方が今こそ求められている。」
力でもって支配し相手をねじ伏せること、即ち権力に隷属させたり、改宗を迫って一つの価値観に縛るのではない。
親神様のもと、私たちは“きょうだい”であることを自覚し、国や地域、政治、人種、民族、宗教などが違っていても、お互いをリスペクトしてたすけ合うことが陽気ぐらしなのだ。
幸せを作る努力は必要である。しかし、その過程にある仕合せに気づく事の方が大切なのである。
ボクはまた北欧の長者屋敷を訪問したくなり、フィンランド語の勉強を再開した。今度はムーミンに会えるかな。