プルータルコス『英雄伝』にかんする論文集
プルータルコスの『英雄伝』は、僕の「好きなギリシア・ラテン文学ランキング」の上位に入る作品だ。学部生の頃、ギリシア・ローマものを日本語訳で読み漁っていたが、群を抜いて面白かったのが、河野与一の訳による『プルターク英雄伝』(岩波文庫、全12冊)と柳沼重剛の訳による『プルタルコス 英雄伝』(西洋古典叢書、3分冊)だった。博覧強記の異才が残したこの一大伝記集に出会っていなければ、ひょっとすると僕は西洋古典学の道に進むことはなかったかもしれない。
さて、それほどの味わい深さをもつ『英雄伝』だが、このたび、京都大学学術出版会より、『『英雄伝』の挑戦―新たなプルタルコス像に迫る』という書物が刊行された。これは、書名が示すとおり、プルータルコスの『英雄伝』を研究対象とした、9人の専門家(蛇足ながら、僕も末席を汚している)による論文集である。日本における『英雄伝』の受容のあり方は、一言でいえば翻訳重視(上で述べた河野や柳沼の仕事がその代表例)で、「研究」と呼びうるものはほぼ皆無の状態であったので、このたび出版された論文集は、本国のプルータルコス研究を前進させるきっかけになるものだと思っている。
個々の論文についてはぜひ読んでいただくこととして、ここでは、書名にみえる「挑戦」のもつ意味について少しだけ話をしたい。執筆者の一人としていわせてもらうと、僕たちは、この言葉をつねに意識しながら、担当の章を書き進めていった。編者である小池登氏が、「序章」のなかでこのキーワードについて詳しく説明しているので、以下、該当部分を引用しよう。
…本書の狙いは…統一性をもった新たなプルタルコス像を描き出すことにある。誤解を恐れずに言うなら、それは挑戦者としてのプルタルコスと言えるのではないだろうか。その要点は概ね次の3つになる。すなわち、プルタルコスは過去の哲学・歴史・文学といった西洋古典世界の知的伝統によく通じているのみならず、これを積極的に取捨選択し活用しているのだということ、そして彼の作品は帝政ローマ下のギリシアという同時代の歴史状況を考慮しそれに応えるかたちで書かれているのだということ、さらにその作品には新たな文学ジャンルや表現形式を開拓しようとする模索が随所に見られるということである。言い換えれば、歴史情報の信憑性が疑わしく、哲学的な独自性を欠き、文学的な深みにも乏しいといった従来しばしば見られたプルタルコスの低評価に反して、『英雄伝』は過去を引き受け、現在に応え、未来を切り開くというそのいずれの面においても挑戦の書と言えるのではないだろうか。(5頁、下線筆者)
プルータルコスは一人の作家であったのであり、そうである以上、『英雄伝』を、ほかのどの作品とも異なる、独自性のあるものにしたいと願っていたはずだ(もっといえば、プルータルコスが生きていた「第二次ソフィスト時代」は、知識人が互いに苛烈な競争を行う時代であったため、プルータルコスは闘争心を胸に執筆をしていたはずだ)。『英雄伝』は、「挑戦」という観点からとらえられたときはじめて、その真の魅力をみせてくれるのだ。
『『英雄伝』の挑戦』というこの本自体が「挑戦の書」であるかもしれない。その試みが上手くいっているかどうかは、読者の判断にまかせたいと思う。