人生のハンドルを握る
“自分の人生のハンドルを握っていない人はどえらい大波に巻き込まれる”
そういう流れなんだな。
好きとか嫌いとか、凄いとか凄くないとか関係なく。
たぶん誰しも、その感触を感じ取っているはず。
湧き上がっているモヤモヤやグルグルは、もしかしたらそれは時代の流れを感じ取っているのかも。
私は去年「自分の知っているで生きる。誰かに教えてもらうのでなくて。」と決めて、自らモヤモヤやグルグルに飛び込んで自分とガッツリ向き合う一年を過ごした。
自分というものに大した確信もないまま、それでも何となく誰かや何かと一緒のことをしていれば安心で安全のような気がしていることなんかに、何となく・・・いや・・・結構な違和感を感じていて。
人の声は聞こえても、自分の声は聞こえない。
そんな自分にどんな技術を上乗せしても、自分の声は聞こえないこと、自分というものに大した確信がないということの空虚感は埋められない。
それに気付いてしまったんよね。
こんな自分を望んでいたのか?
ちょっと焦りすら感じていた。
自分と向き合って自分の声を聞くこと、それが未来どうなるのかなんていう予測もなければキラキラした未来になるという保証も何もないけど、違和感に気付いたまま同じことを繰り返すことは出来なくて。自分の内なる声(気付き)に従って行動するって決めたんよね。
何も聞こえないし何もわからないというスタート。
それでも「誰の声でもない自分の声を聞く」という選択を行動していくと、次第に開いていく道っていうのがあって。
自分の声=気付きを信頼するという道の先で、いつの間にか私『自分の人生のハンドル』の上に手を乗せてたよ。
こんなことやってまだほんの一年だけど。
今は乗せてるだけだけど。
自分次第感ハンパないけど。
でも自分の人生のハンドルに自分の手を乗せるのは、不安というより充実感が圧倒的。外付けの知識や技術で得られるもので補える種類のものではないことがわかったら、むやみやたらに外に意味を探すこともしなくなった。
これは私だけに起きてることではない気がする。
みんなどこかで何らかの違和感を感じて、方向転換しているよね。
私は全体で、全体は私でもある。
私は大きな全体の流れの一部で、全体の流れは私でもある。
誰かのように、誰かのために、誰かのせいで、、、、
時代はそこを手放そうとしてる。世界も地球も。
私たち個人の生き方、在り方も、パラダイムシフトする時なんだろうな。
この流れの先は、きっと今まで見たことのない世界。
しっかり自分の人生のハンドルを握って未来に向かいたいね。