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一号館一○一教室

アハロン・ケシャレス他 監督『オオカミは嘘をつく』

2026.02.18 08:48

そのイスラエル映画が
明かしてみせるものは?


771時限目◎映画



堀間ロクなな


 たぶん、わたしが鑑賞した唯一のイスラエル映画だろう。アハロン・ケシャレス&ナボット・パプシャド監督の『オオカミは嘘をつく』(2013年)だ。もちろん、劇中の言語がヘブライ語とはいえ、主要な登場人物はみな白人だし、道具立ても風景もとくに珍しくないにもかかわらず、目の前でこれまで知らなかった扉が開かれた思いに襲われた。そこに見出したのは、ヨーロッパやアメリカのキリスト教文化圏とは異なる、いや、むしろ真っ向から対立するかのような世界観だったのだ。



 ざっくりとストーリーを追ってみよう。イスラエルのある都市で少女の連続誘拐殺害事件が起きる。世間では中学校で「聖書」の授業を受け持つ教師のドロール(ロテム・ケイナン)が犯人とのウワサが立ち、地元警察の刑事ミッキ(リオル・アシュケナージ)も容疑者と見なしてきたもののいまだに逮捕できずにいた。そうしたなか、被害者のひとりの少女の父親ギディ(ツァヒ・グラッド)はみずからの決断を実行に移す。あえてアラブ人たちが住むエリアに地下室のある別荘を求め、不動産業者から物件を紹介されると即金で購入した。そして、ミッキとドロールが現場検証しているところを拉致し、ふたりを別荘へ連れていくと、地下室の椅子にドロールを縛りつけて、ギティはこんなふうに告げる。



 「貴様に物語を聞かせてやろう」



 そして、長広舌をふるうのだ。



 「オオカミは少女たちを丸呑みするだけでは満足しなかった。まず睡眠薬の入ったお菓子を与えて、少女が深い眠りに入ると、オオカミはすぐさまペニスを突っ込んだ。欲望を満たしたオオカミは少女が目覚めるのを待つ。ここからが真の悪夢だ。オオカミは可愛い指を一本ずつ折っていき、少女はあまりの痛さに気を失う。そのあとサド野郎は? 少女が目を覚ますと、今度は靴と靴下を脱がせて両足の爪をすべて剥ぎ取った。少女はふたたび気を失う。そして、ふたたび意識を取り戻すと、オオカミはおもむろに首を切りはじめる。ノコギリは錆びていて途中で交換したこともあったし、首を切られながらまだ意識のあった少女もいた。あげく、オオカミは切り取った頭部をどこかに隠した……。そこで、貴様にはふたつの選択肢がある。クズのまま死ぬか、償ってから死ぬかだ」



 こうしてギティは、ミッキに手伝わせて、ドロールに娘の失われた頭部のありかを自供するよう迫る。あくまでも潔白を主張する相手の言葉に耳を貸すことなく。そのために、オオカミが少女たちに行った段取りで(レイプだけは省いたものの)両手の指をへし折り、両足の爪をペンチで一枚ずつ剥ぎ取り……。ことほどさように酸鼻きわまるストーリーが進行していくのだが、半面では、上記のセリフにも窺われるとおり、あたかもグリム兄弟の残酷童話を思わせるような、どこか現実離れしたフォークロアの雰囲気も立ち込めているのだ。これは一体、何を意味するのだろうか? 



 わたしはふいに思い当たった。この地下室の椅子に縛りつけられた教師ドロールとは、ゴルゴダの丘の十字架にかけられたイエス・キリストの似姿ではないか、と――。だとするなら、父親ギティや刑事ミッキはイエスを弾劾したユダヤ教のパリサイ派やサドカイ派を表し、「聖書」(キリスト教からすれば「旧約聖書」)の教師が無垢な少女を凌辱するとは、イエスが神聖な教えを冒涜して新たな教えを唱えたことのアナロジーであって、かれらにとってそれはまさに死罪に相当しよう。すなわち、ここに描かれているのはユダヤ教の側から眺めた「新約聖書」のドラマに他ならず、それはキリスト教文化圏で決して語られなかったものではないのか。



 映画はいっそうフォークロアめいた装いを帯びていき、突如、ギティの父親、つまり殺された少女の祖父までが地下室にやってきて、孫娘の復讐に手を貸そうとする。そのときに交わされる対話。



 「こいつはハエも殺せないような顔だな」

 「だから少女を狙うんだ」



 実のところ、2000年前のイスラエルで起こった人類史上空前の宗教をめぐる葛藤が今日に至ってもなお尾を引いていることを、この映画は明かしてみせているように思えてならないのである。