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天之&PhylmerMussert

性質に関する形而上学の見解

2026.02.21 15:00

性質論について/普遍者/唯名論とバリエーション/トロープという折衷案/

トロープの欠点/トロープを評価/モデルの創出/科学と哲学


性質論の背景、及び、幾つかの論とトロープの導入

  この世のあらゆるものには何らかの性質が備わっており、我々はそれを利用して世界を認識する。例えば,色鉛筆,消しゴム,画用紙...これらは文房具といういかにも自然な区分けが為されている.消しゴムが床へ転がり落ちたとき,その原因は丸さという性質によるものである.またこの丸さは,使い古して形状が変化したからであるだろう.これを受けて今度は机から落ちないように新品を買おう,と学習するかもしれない.

  このように物事の性質によって世界は特徴づけられ,この世界をこの世界たらしめていると言える.したがって性質の正体について考えることは,この世界の重大な要素を考えることにつながるため形而上学としてに非常に有益である.以上のような論考を深めていくことを性質論といい,この論争には伝統的に2つの立場がある.

  まず,普遍者実在論と呼ばれる立場では,個物の性質は「普遍者」という存在が担っていると主張する.例えば,鉛筆と万年筆は筆記具という同一の普遍者をもっていると言える.また逆に,筆記具という性質の普遍者が鉛筆や万年筆に例化されているとも言える.

  普遍者の存在については幾つかの解釈があり,例として抽象的な存在か,もしくは具体的な存在かというものである.

  前者の考えは直感的に理解しやすいが,超越的な存在を安易に認めるべきでないという意見が存在するため完全無欠とは言えない.

  また,具体的な存在であるとしても問題が生じる.具体的な存在とは,すなわち,時空間位置が指定できるような存在である.普遍者は,どの個物に例化されていても均質な存在である必要がある.このように考えたとき,目の前の机の上にある鉛筆がもつ普遍者と,向こうの机の上にある鉛筆のもつ普遍者は同一の存在でなければならない.このとき,全く同じ具体的存在が異なった場所に同時に存在することになるため,不適である.

  唯名論と呼ばれる立場では,普遍者の存在を否定して性質の正体を探る.唯名論にはいくつかのバージョンがあり,述語が性質を担うとする述語唯名論や,類似性のある要素の集合で性質を論じるクラス唯名論などがある.しかしこれらにも一定の問題点があることが指摘されている.

 述語唯名論では,ある個物を表す述語の存在が言語に依存するため,性質というものを説明する客観性に欠ける.また,述語によって個物をラベリングしたとき,それは普遍者の種類によって分類したことと大差ないため,唯名論の前提に反することになる. 

 クラス唯名論では,クラスの分類が自然に為されたとして 

  ①共外延性によって十分に区分されないクラスの問題 

  ②個物間で集合が閉じていることによる要素数の変化に対するクラス自体の変化 

  ③クラス分けの根拠となる観点の問題 

など様々なエラーが存在している.①と②の具体例については後述する. 

  以上のように,それぞれの立場や論でも性質について完全に論じることは非常に困難である.そこで,両者の利点を併せ持つような論として,トロープという概念が導入された. 


トロープ唯名論の利点 

 トロープ唯名論では,個物の有する性質を個別的なものと認め,トロープという存在に帰属させる.すなわち,ある2つの鉛筆は,「目の前の机にある」「鉛筆」,「向こうの机にある」「鉛筆」として区別できるのである.このように考えたとき,普遍者実在論での問題点は解消されたように見える. 

 また類似性をトロープで捉えれば,個物が複数のトロープを有すると考えられるため,区分できない性質はなくなり,①共外延性の問題もクリアできる.すなわち,例えばこの世の円錐形すべてが黄色だった場合,類似性唯名論ではたった一括りのクラスに帰属されてしまうが,類似性トロープでは「黄色い」「円錐形」と適切に区別して認識される. 


指摘されている問題点と疑問 

 一方で幾つかの問題点も指摘されている.トロープは2つの立場のいいとこどりであるが,同時に悪いとこどりをしているようにも見える. 

 まずひとつとして,実在論で挙げられた抽象的存在に関する疑問が依然として残っている.すなわち,トロープという存在が何者であるのかということである.唯名論として抽象的な存在としての普遍者を退けた反面,トロープという同じく抽象的で,なおかつ不可解な存在を導入した.この点において,普遍者実在論と同様に完全無欠な論ではないように思われる. 

 また,唯名論としての問題点も引き継いでいる.クラス唯名論で触れた②の問題点である.トロープによる類似性クラスもまた,類似性のクラス唯名論と同様に,集合がその要素間で閉じている.そのため,例えば「球体」トロープがn個で成立するクラスaに,新たに3つの球体が加わった場合,「球体」トロープがn+3個で成立するクラスbが規定される.この場合,クラスaとクラスbは別のクラスとなる.したがって,クラス唯名論の問題が解決されていないのである. 

 また,トロープ間の類似性についても重大な問題がある.例えばトロープA,B,Cの中で,A-B間にR[1],B-C間にR[2],C-A間にR[3]なる類似性トロープがあるとする.類似性トロープR[1],R[2],R[3]の中には,R[1]-R[2]間にR[4],R[2]-R[3]間にR[5],R[3]-R[1]間にR[6]のように新たな類似性トロープが現れ,このプロセスが無限に続くことになる.


トロープ唯名論への評価 

 以上に述べた歴史的背景から,折衷案としてのトロープ唯名論は非常に効果的なものであると予想された.実際,普遍者実在論と唯名論のそれぞれの利点を引き継ぐことでその有用性を示した.しかしながら多くの欠点も引き継いでおり,性質論はさらに複雑なものになった. 

 トロープ唯名論がもつ性質論に対する説得力は,あまり大きくはないと考える.それは性質論の課題解決に向けて練られた折衷案が,見事に問題点も受け継いでいるからである.しかしそれは,トロープが無価値であることを意味しない.すなわち,トロープ唯名論に次ぐ新たな論の土台となり得るからである.実際,トロープという概念は2つの論のハイブリッドであり長く続いた性質論争の平衡の中では非常に新規性があったのではないだろうか.この状況はまさに自然科学におけるモデルの構築とその否定に似ており,例えば,古代から20世紀までの間に物質の最小要素にあたる存在を知るべく,数々のモデルが考案されては否定された.自然科学と哲学とでは理論の実証やそのアプローチなどに大きな違いがあるが,等しく学術研究であるため,巨人の肩から世界を見渡すことができる.その意味では,トロープ唯名論も非常に潜在力があり,有益なモデルと考えられる. 


参考