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偉人『アメデオ・モディリアーニ』

2026.02.20 00:00

アメデオ・モディリアーニ、彼の作品はピカソについで2番目に高額な金額で売買された経歴を持つ。面長な顔に長い首、アーモンド型の眼に瞳が描かれていない。どこか物憂げな表情に初めて見る人は違和感を感じる。見方によってはゾッと背筋が寒くなると耳にしたこともある。しかし彼の作品と人生を紐解いていけばそうおどろおどろしいものはなく、アフリカの原始美術に影響を受け、さらに彼の心境が反映されている作品が多い。しかしその作品以上にセンセーショナルな彼の人生は破滅と破壊、不安と落胆へと自ら転がり落ちたことに胸がいたむ。短くも激しい人生から親としてこれだけは絶対に譲ってはいけないということを紐解いて行く。

アメディオ・クレメンテ・モディリアーニは1884年7月12日 イタリア・トスカーナ地方の港町リヴォルノで4人兄弟の末っ子として誕生。モディリアーニ家は代々商家として栄えた家で父フラミニオ・モディリアーニは成功した実業家であった。母エウジェニア・ガルシンはスペイン・ポルトガル系のユダヤ人の血を引く人物である。約3万エーカーの土地を所有する裕福な家であったが、景気後退の煽りを受け父の事業が破綻する。当時のユダ法によると生まれたばかりの子供を持つ母親や妊婦がいる家庭の財産は没収されないという救済法が制定されており、モディリアーニが誕生したことで財産の没収は免れたのである。とはいえ以前のような豊かな暮らしはできず貧しい暮らしを余儀なくされた。また病弱であったモディリアーニは母が家庭で教育を行った。

11歳で重い肋膜炎、14歳で腸チフスに罹患し肺炎も併発。健康問題に人生が左右されることを予感させる子供時代を送る。この頃デッサンを学びはじめたが15歳で再び肋膜炎を患い肺結核の兆候が現れる。16歳で肺結核を患い17歳で母と共に療養の旅に出て、そこでイタリア古典美術に触れた。19歳で美術学校に進学するもここで大麻を使用してしまう。その後は人生の坂道を下り始める。いかがわしい場所へ立ち入りアカデミックな芸術を否定し、人生に反旗を翻すような反抗的態度を至る所で見せるようになる。酒と薬物に溺れ以前の容姿端麗な姿はなく、日々酒と薬物の量は増えて行き酒に泥酔し、薬物によるトリップ状態(幻覚状態)に陥ると所構わず全裸になり暴れるなどの奇行が見受けられるようになる。このような状態では結核は良くなるわけもなく悪化の一途を辿った。当時は結核に対する有効な治療法がなく、常に体調不良や痛み不安を抱え、痛みの緩和や咳の苦しさから逃れるためそして精神的な不安を忘却するために酒や薬物に手を出したと考えられている。またモンパルナスで活躍中の芸術家らはアルコール度の高いアブサンや大麻草から抽出されるハシシなども使用する者も多く、モディリアーニも必然とその輪に加わっていったようである。

ここで少しアルコール依存や薬物中毒について考えてみたいと思う。先日もゾンビタバコというものでプロ野球選手が逮捕されたが、これは対岸の火事でもなく我が子がいつ何時巻き込まれてもおかしくない状況にあるのが昨今である。つまり誰にでも起こりうる問題であり「性格が弱いから」「仲間に誘われて断れないから」などという単純な理由では済まされない。このような状況に置かれた人物は強いストレスやトラウマを抱えていたり、失敗を引きずっていたり、他人の評価を過度に気にするあまり逃避的選択としたり、周囲に飲酒・薬物使用が多く断りにくい人間関係があったり、うつや不安障害などの精神疾患を抱えている場合に使用することもあるらしい。また若年層では一時の好奇心や衝動性からその場の感情で行動してしまうこともあると言われている。ではモディリアーニはどうだったか。19歳でアカデミックな美術界や画壇に反抗するというきっかけから一気に生活が乱れていったことが大きな要因だと考えられている。10代の未熟な青年期にいかがわしい場所へ足を運ぶことさえなければ、彼の芸術的人生は大きく変わっていたであろう。たとえいかがわしい場所へ足を運ばざる得なかったとしても一線を越えてはいけないという考え方が彼の中に育っていたら人生を破滅へと誘うものに手を出さずにすんでいたであろう。

では一線を越えてはならぬということを人間はいつ学ぶのであろうか。

私の考えでは子供の好ましくない行動言動に親が「なぜダメなのか」という理由を付けをし伝え、子供がその理由を少し理解できるようになるのが3歳である。その土台があってこそ4、5歳の子供がルールの意味をより理解できるようになり、社会的な約束やマナーを学びだす。この時期から私は酒タバコに手を出させないという教育をしてきた。思春期になる直前でいいのではないか?との意見を受けたこともあるが私はそうは考えていない。私が行ってきたのは未就学児の4歳から「違法薬物」について話すのではなく、知らないものを口に入れない、知らない人から貰ったものを口にしないという「安全教育」が中心であった。その後小学校低学年で少しずつ具体的に「世の中には体に悪いものがある」「癖になり自分の意思でやめられなくなるものがある」「子供の体に酒やタバコは悪影響を及ぼし体や脳を壊す」そして「自分の体は自分で守る」ということを伝えてきた。そして小学校高学年以降には違法薬物(大麻・覚醒剤など)、酒タバコ依存症など具体的に話してきた。

しかしそれだけではいざという時適切な判断は難しい場合もある。よって「もし誘われたらどうする?」というロールプレイも行った。親が側にいればそのような誘惑も跳ね除けることは容易かも知れぬが、万が一の場合大抵親はその場所にはいない。親の目が届かないからこそ子供には小さい頃から「自分の体を大事にすること」「自分の体は自分で守ること」「危ないものが世の中にあり誘惑してくること」などを教えておくことは大変重要なことだ。

モディリアーニが母親と結核の療養に出た時に、溢れる絵画に対する状況だけを優先させずにしっかりと病を治すことや自分の体を労わることを教えていれば、堕落し病が悪化していく息子の姿を見なくてすんだかも知れぬ。そして息子の伴侶が身を投げをし娘一人を残して両親が旅立つこともなかったかも知れぬ。もしかするとモディリアーニの母は末っ子として可愛がるあまり強く言い聞かせることができなかったのか、家を救った息子の奇跡を再度信じ死を連想させ結核を遠ざける意識が働いていたのかと色々と考えてしまう。しかし息子を見ていればあの危なっかしさには気づいていたと思うのである。イタリアの母と息子の絆は日本人から見ても異常なほど強いものであるのだから彼にブレーキをかける役目は母だったのではと残念である。

私たち現代を生きる母親もまたモディリアーニのような人生を辿れせてしまう悪の誘惑が背中合わせであることを理解して、そうならぬために子供には何をどう伝えるかということを今から準備し伝えていくべきではないだろうか。今回はモディリアーニの破滅へと向かってしまった人生から、自分自身の子供をそうさせないために何ができるのかを考えてみて欲しいものである。