にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険 ~ディスクール~・第2話『Demon』
『鬼』とは本来、死者の魂を指す中国語でした。それが日本に輸入されたとき、陰陽五行説のフィルターを通して、牛の角と虎の皮を纏うデモニッシュな異形へと変貌したといいます。
では、昔話の鬼はすべてその「外来の怪異」で説明がつくのでしょうか。よく語られるのは、大和朝廷に従わぬ「まつろわぬ民」の投影であるという説です。蝦夷(えみし)や土蜘蛛といった辺境の民が、中央の秩序を脅かす『鬼』としてレッテルを貼られた歴史。
あるいは、住人の財を奪う鬼を、重税を課す封建領主の暗喩と見る視点。鬼に対して抵抗運動するメンバーたち、「臼」や「牛のクソ」や「針」などのキャラクターは、虐げられた職能集団(臼は農業、牛のクソは酪農、針は繊維関係)の連帯の象徴かもしれません。
酒呑童子のように、固有名詞がある鬼は、実在した何かをモデルにしたお話かもしれませんし、住民の財産を没収する鬼は、封建領主の重税を寓話化した話かもしれまん。
しかし、それでも説明しきれない存在がいます。日本で最も有名な鬼退治――『桃太郎』の鬼です。
物語の中の彼らは、住民の財産を没収するわけでもないし、村娘を連れ去るようなこともしていません。それはただ、理由もなく「討たれるべき恐怖」としてそこに置かれています。私はこの鬼を、人類学の古典として知られている『金枝篇』で論じられている『森の王』と考えます。
森の奥深くで、ただ自分を殺しに来る者を待ち続ける孤独な聖王。その王を殺し、次なる王となる権利を有するのは、皮肉にも社会の最底辺に位置する『逃亡奴隷』だけです。
川上から流れてきた桃から生まれた桃太郎。桃を女性性の象徴とするなら、彼は名もない母から生まれ、身分も持たぬままシステムの外側に漂着した存在です。その『身分なき者』は、まさに管理・監視の網から零れ落ちた『逃亡奴隷』という記号と置換可能ではないでしょうか。
奴隷とは、自由を剥奪され、絶え間なく監視される存在です。
今、政府が進めようとしている「スパイ防止法」は国民の動静を捕捉する網となり、「緊急事態条項」は私たちの権利をいとも容易く停止させます。管理され、監視されるだけの「従順な身体」へと私たちが作り替えられていくとき、かつての桃太郎が持っていたはずの野性的な逃亡者の魂は、どこへ消えてしまうのでしょうか。このまま、王という名の巨大な監視システムの一部になってしまうのでしょうか? ……そんな不穏な現代の神話が、今、私たちの眼前に突きつけられています。
「監視」といえば、我が家のチャーリーも負けてはいません。私が晩酌を始めると、どこからともなく現れて、皿の上のマグロを逃さぬよう鋭い眼光を向けてきます。自由を愛する逃亡奴隷の魂も、空腹という名の規律には勝てないようです。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。