サイクリング
最近は少しだけ寒さも和らいできて、過ごしやすい日が続いております。
ですので私は休日になるとサイクリングに出かけます。
サイクリングと言っても、だいぶ古くなったママチャリに乗って近所の半径3キロ圏内くらいを30分〜1時間程度、街並みを見ながらゆっくり走るというものです。
通っていた小学校やその近くにある通っていたそろばん教室(4級までは頑張りました)の細い裏道を通ったりすると、当時の気持ちやや、良い思い出や良くない思い出が次々と湧き上がってきて、あんな事があった、こんな事もあったと少しニヤニヤしながら走っているので変な人に見えることと思います。
よく遊ばしてもらった友達の家の前を通ると、ここはYの家ここはRの家、ここはNちゃんの家、懐かしい気持ちが湧き上がってきます。
Mの家ではじめてイチゴ大福をごちそうになり、こんな美味いものがあるのかと感動したこと、sの家の前のドフにハマり泣きながら帰ったこと、Nちゃん家でお誕生日会をしたこと、Fの家で仲間外れにされたこと、色んなことがありました。
あれから35年以上が過ぎ去り、色んなものが変化しています。友達の家が新しいオシャレな家になっていたり、えらい草生えていたり、更地になっていたり
子供だった頃を思うと、まっすぐに人を見る目を持っていたそんな気がします
4畳2間の家に家族4人で暮らしている友達がいました。とても大きな鉄筋の綺麗な家に住んでいる友達がいました。大きな庭があり大きな白い犬がおりました。親子2人で古いアパートに暮らす友達がおりました。お父さんが大きなビルを経営している友達がおりました。わたしは父の働く会社のぼろぼろの社宅にくらしており、お風呂は共同風呂でした。色んな友達がいたけれどその子のことをまっすぐに見つめることができていた。その子の背景にあるいろいろは関係なかったし、私の背景にあるいろいろも関係なかった
人の内側には静かで温かな場所があり子供の頃はいつもそこにいて、いつも安らいでいて、自分にも友達にも優しくすることができた。
そこには活力の元が潜んでいる。そこには優しさいたわり温もり安らぎ静かさや喜び、色んな良いのが潜んでいる。そんな良いのが全ての人の内側にある。そこにいる自分は自然の中のいろんなものとひと繋がりで、どんなにか辛く嫌な出来事もその中で共有され、溶けて混ざり薄らいでいく
大人になり社会的な自分が少しずつ形づくられていく 、彼女が出来た自分彼氏が出来た自分、部下になり仕事を教わる自分、上司になり仕事を教える自分、誰かの親になった自分、それら社会的に作られた自分はとても表面のことで内側にある温かな部分によったて支えられている。
その場所への道を忘れてしまっても、それはいつもそこにあり扉は開かれている。
そこから離れれば離れるほどに不安はつのり大きくなっていく。どれほど歳を重ねてもその場所に帰ることで今日を生きる活力を補充することができる。
体がエネルギーでいっぱいな時、悲しみや不安に惑わされない
悲しみや不安は過剰な頭にくっついているだけの糸くずだと知る。ほんとなんだ
帰り道を思い出すのに必要なこと、それは何かの原因によって湧き上がるる、悲しみや怒りを大切にすることなんだ 活力を失くしていく人はいつも怒っている人ではないよ。怒っているその気持ちを大切にしない人なんだ
何かに腹が立ったらその気持ちに名前を付けてみよう! その気持ちと柔らかな2人掛けのソファーに座り少し黙っていてみよう その気持ちと散歩に出かけてみよう その気持ちをクローゼットの奥のほうにしまい込んではいけない 解決策や打開策を考えたいなら後で好きなだけ考えればいい 大切なのは今の気持ちなんだ
何かに腹が立ったらその気持ちをじっと見つめて、よう来たなと話かけてみよう そんなこと出来るわけないやろ!そう思う気持ちをじっと見つめて、一緒にお茶を飲もう そう言ってあげよう
私達は綿密に練り上げられた自然のルールの中に生きている
こうすればこうなるという完璧な規則の中に