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Fashion Source: Art of Being

30年前の「記憶との対話」。

2026.02.22 23:00

母が新聞広告を見て言った。

「これ、行きたいんだけど。」

四日前のこと。

急遽予約して、東京文化会館の小ホールへ向かった。

イタリアの若い指揮者によるチェンバーオーケストラ。

大きすぎない編成だからこそ、音が近い。

弦の震えも、強弱の差も、くっきりと届く。


ロッシーニ、ワーグナーと続き、

そして現れたのが

野平一郎《静岡トリロジーⅠ「記憶と対話」》。


旋律が美しい、というよりも、

音と音の“間”が残る作品だった。


弦とチェンバロが、

互いに主張するのではなく、

何かを思い出すように、呼びかける。


不協和に近いのに、不安ではない。

記憶という曖昧なものが、

音になったらこうなるのかもしれない。

先週観た映画『ブゴニア』のBGMにも似ていた。


不思議で、少し宇宙的で、

でもどこか静かだった。


コンサート前、

私はChatGPTに予習をお願いしていた。

曲の背景や作曲家について調べてもらい、

野平一郎さんの写真も見ていた。


だから《記憶と対話》が終わり、

客席から舞台へ上がる男性を見た瞬間、

「あ、野平さんだ。」

とすぐに分かった。


数時間前にGPTの画面で見た顔が、

現実の空間に立ち上がる。

これもまた、記憶と対話だった。


さらに、日本初演の

シルビア・コラサンティ《アリア》。


パーカッションが主役のように立ち上がる。

見たことのない太鼓、

弦で振動させるシンバルのような楽器。

空間が震える。


そして最後はベートーヴェン第4番。

王道の安心感で締めくくられた。


とても良いコンサートだった。


そして、30年前の

記憶との対話がはじまった。


数列前に、見覚えのある顔。

知っている。

確実に知っている。

でも、名前が出てこない。


スーツ姿で、きっと年齢より若々しく見える。

後で分かったが、66歳だった。

それもまた驚きだった。


コンサート後、

韓国料理を夕食を食べ、

カフェで抹茶ティラミスを前に、本格的に検索が始まる。


母が言う。

「ChatGPTに聞いてみたら?」

「自分のGPTで聞きなさいよ。」

「なんか、こんなこと聞くのちょっと恥ずかしい。」

80代、AIに遠慮する。

GPTに名前で呼ばれているからだ。(笑)


私のGPTに、記憶の断片を並べる。

テレビ朝日。

スポーツ。

バラエティー。

フリーアナウンサー。

60代。

短髪。


「どこで見かけましたか?」と、GPTに聞かれ、

「クラシックコンサート」と答える。

でも、なぜそう聞かれたのか?と謎に思う。


出ない。

何度やっても出ない。

情報は揃っているのに、

最後の接続が起きない。


そのとき母が言った。

「“朝”がつく気がする。」

「いやいや、それは、テレ朝だからじゃない?」

「4文字だった気がする…」

「え?苗字が?」


意味ではなく、音。

論理ではなく、感覚。


GPTを諦めて、

「フリーアナウンサー男性」と入力し、

画像検索を開く。

写真からは、なかなか見つからない。


ところが、ある画像は、
名簿のようになっていた。

「あ!朝・・・」

私も文字を見たら、きっと思い出せると思っていた。

母が言っていたとおり、「朝」とついていた!(笑)


ああ、この人だ。

顔と名前が重なる。

母と二人で大笑いした。


母が、なぜ覚えていたのかは分からない。

ただ母は、私の小学校の友達のことも、

私以上に覚えているところがある。

顔と「朝」だけが残っていたなんて!

とくに推しでもないのに。(笑)


あとからChatGPTに言われた。

「音楽に関わっているという情報を入れれば、

絞れたかもしれませんね。」

なるほど。

だから、GPTがどこで見かけたかを訊いてきたのかもしれない。


AIは情報で照合する。

条件が揃えば辿り着く。

母は、断片で辿り着いた。


顔。

一文字。

雰囲気。


人間の記憶は、データベースではない。

断片が対話を始めたとき、

存在が立ち上がる。

《記憶と対話》。


あの夜、ホールの中で起きていたことは、

カフェでも起きていた。


思い出せなかったものが、

断片どうしの対話でつながった。


思い出せたから面白かったのではない。

断片が接続された瞬間、

身体がすっと軽くなった。


それが、いちばん印象に残っている。

記憶と対話を聴いた夜、

私たちもまた、記憶と対話していた。

抹茶ティラミス付きで。