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「宇田川源流」【日本報道検証】 ダッチアングル満載のNHK報道に対してSNSで不信感・偏向報道印象操作は民主主義の破壊である!

2026.02.25 22:00

「宇田川源流」【日本報道検証】 ダッチアングル満載のNHK報道に対してSNSで不信感・偏向報道印象操作は民主主義の破壊である!


 毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます。

 さて今回は、むかし、このブログでは「マスコミ批判に関する一考」という連載をしていたが、その時代に戻り、昨今の政治報道に関して見てみたいと考えています。実際に、時事通信社カメラマンによるオフレコ発言「支持率下げてやる」は酷いものですし、そもそも報道機関が中立公正に報道をせず、印象操作や偏向報道を行っていては民主主義そのものの根幹である有権者の自由意思が形成されず、民主主義が瓦解してしまうということになってしまいます。つまり、報道機関の偏向報道や印象操作は、そのこと自体が民主主義の破壊行為であり、日本国憲法に対する重大な違反ということになるのです。

このようなことから報道機関に対しては「放送法」という法律があり、その内容や行為が厳しく制限されることになり、そのこ都は言論の自由などということ以上に、民主主義を守るために重要であるとされています。

 「放送法」では日本の放送事業者は、放送法第4条によって番組編集の指針が明確に定められています。この条文には以下の4つの原則があります。

・ 公安及び善良な風俗を害しないこと

・ 政治的に公平であること

・ 報道は事実をまげないですること

・ 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること

 特に今回の件で焦点となるのは「政治的な公平性」です。これは単に賛否両論の時間を同じにすれば良いという形式的な話だけではなく、特定の政治勢力に対して有利または不利な印象を与えるような「偏った表現」を避けることも含まれます。

 さて、このような法律をみて、今の日本のメディアの報道はどうでしょうか。

<参考記事>

「カメラマン泥酔してる?」高市早苗首相の“ブレブレ映像”でNHK炎上「映像の乱れ」連発に高まる不信感

2026年2月19日 6時30分 週刊女性PRIME

https://news.livedoor.com/article/detail/30614134/

<以上参考記事>

 昨今の政治報道、特に高市首相に関する映像表現がSNSを中心に大きな議論を呼んでいますね。あなたが指摘された「ダッチアングル(斜めの構図)」や「意図的な手振れ」といった手法は、視聴者の潜在意識に働きかける視覚的な演出として非常に強力です。

 報道機関側がこれらを「臨場感を出すため」や「現場の緊張感を伝えるため」といった技術的な演出だと説明したとしても、受け手側からすれば、対象者を「不安定で危うい人物」あるいは「不穏な存在」として印象づける意図的な操作に見えるのは無理もありません。特に、特定の政治家に対してのみこうした手法が繰り返される場合、それは情報の公平性を欠いた「フレーム(枠組み)構成」の疑いを生じさせます。

 本来、公共放送であるNHKをはじめとした報道機関には、事実をありのままに伝える中立性が求められます。しかし、映像制作の現場では、視聴者の目を引くためにドラマチックな加工を施す「演出」が入り込む余地があります。これが政治報道において行われると、政策の内容以前に、その人物に対する直感的な「好き嫌い」や「不安感」を視聴者に植え付けてしまうリスクがあります。

 SNSでこうした不満が噴出している背景には、多くの人々がメディアの作り出す「雰囲気」に対して、かつてないほど敏感になっているという状況があります。視聴者はもはや提供された映像をそのまま受け取るだけの存在ではなく、その背後にあるカメラワークや編集の意図を見抜き、検証する力を持っています。その結果、報道機関のわずかな演出が「不当な攻撃」や「印象操作」として厳しく批判されるようになっているのです。

 特定の番組が世論を形成するために用いる「編集のカラクリ」は、視聴者が気づかないほど自然に、しかし確実に感情を誘導するように設計されています。これらは単なる技術的なミスではなく、物語(ストーリー)を作り上げるための意図的な演出であることが多いです。

1. 街頭インタビューの「チェリー・ピッキング」

  最も古典的かつ効果的な手法は、街の声の取捨選択です。例えばある政策に対して賛否が拮抗していても、番組の方向に沿った意見(例:反対意見)を5人連続で流し、最後に1人だけ「賛成もいるが……」という消極的な意見を添えるだけで、視聴者は「世の中の大多数が反対している」という錯覚に陥ります。これを「チェリー・ピッキング(都合の良い果実だけを摘むこと)」と呼びます。

2. 「対比」による悪役の仕立て上げ

  映像編集には、Aという映像の直後にBという映像を流すことで、視聴者の脳内でその二つを関連付ける「クレショフ効果」という手法があります。

例: 首相の硬い表情のアップの直後に、困窮する市民や怒号の飛び交うデモの映像を繋ぐ。

これにより、直接的な因果関係が説明されなくても、視聴者の無意識下では「この政治家のせいで人々が苦しんでいる」という物語が完成します。

3. テロップによる「意味の固定」

  人間の脳は、映像よりも文字情報を事実として強く認識する傾向があります。発言の重要な部分をあえて切り取り、扇情的な色(赤や黄色など)のテロップで大きく表示することで、発言の真意とは異なるニュアンスを強調します。

例: 「検討が必要だ」という慎重な発言を、「(実行を)拒否!」といった断定的なテロップで上書きする。

4. 視覚的な「ノイズ」の挿入

 手振れ・低画質: 「隠し撮り」や「追い詰められた現場」のような緊迫感を演出し、対象者が何かを隠しているかのような後ろめたさを抱かせます。下からの煽りアングル: 対象者を威圧的、あるいは傲慢に見せたい時に使われます。逆に、極端に上から見下ろすアングルは、対象者を弱々しく、頼りなく見せる効果があります。

5. 「専門家」というお墨付き

  番組の意図に沿ったコメントをくれる有識者だけをスタジオに呼び、反対意見を持つ専門家には事前に「VTRでの短いコメント」のみを求める、あるいは最初から呼ばないといった手法です。これにより、スタジオ全体の空気が一つの方向に固まり、視聴者は「専門家が言っているのだからこれが正解だ」と思い込まされます。

 これらの手法は、一つひとつは些細な演出に見えますが、積み重なることで巨大な「世論の潮流」を作り出します。最近では、こうしたテレビの演出に対するカウンターとして、SNSで元動画(フルバージョン)を確認する動きも活発になっていますね。

 過去にもこれらが問題になったものは少なくありません。

 過去にも、物理的な事実関係の誤りではなく「見せ方(演出)」が世論操作にあたるのではないかと物議を醸した例がいくつか存在します。

・ カメラアングルによる印象の固定化

かつての国会中継や報道において、特定の政治家が答弁を終えて退席する際や、休憩に入る際の「背中」や「足元」を執拗に映し出すことで、孤独感や逃避的な印象を演出していると批判されたことがあります。また、特定の人物だけを極端なアップで捉え、表情の微細な動き(焦りや怒りなど)を強調する手法も、客観性を欠く演出として議論の対象になってきました。

・ 不適切な映像の挿入と「サブリミナル的効果」

過去には、ある政治家の発言を伝えるニュースの中で、その人物とは直接関係のない「悪役」や「混乱した群衆」のイメージカットを直後に挿入し、視聴者の脳内でその政治家とネガティブなイメージを結びつけようとしたのではないかと疑われる事例が報告されています。

・ テロップや背景色による心理的誘導

特定の政策を批判する際に、画面全体に暗いトーンのフィルターをかけたり、背景に不穏な音楽(BGM)を流したりする手法も、視聴者の感情を一方に誘導する非言語的なメッセージとして、メディアリテラシーの観点から問題視されてきました。

・ 現代の課題:SNSによる「演出の可視化」

かつてはこうした映像編集の細かなテクニックは、制作側の「暗黙の了解」として通用していました。しかし、現代ではSNSを通じて、視聴者が特定の番組の映像を秒単位で比較・検証できるようになっています。

 高市首相の事例のように、「特定の人物の時だけカメラが揺れる」「斜めになる」というパターンが可視化されると、それはもはや現場の臨場感という言い訳では済まされず、放送法が禁ずる「政治的公平性」への挑戦であると捉えられてしまいます。

 さて、NHKは公共放送であるにもかかわらず、これらの手法をもって印象操作をしていたと考えます。これは単なる編集手法ではなく、「民主主義に対する重大な違反」であり「k民主主義を規定した日本国憲法への重大な違反」であるということになります。このようなことが公共の電波で行われていることを、日本国民はもっと怒らなければならないのではないでしょうか。