ジュゼッペ・ヴェルディ ――妻子の悲劇を乗り越えて、歌姫と結んだ愛 2026.02.23 12:07 序章 冬のバスセット 霧の降りるバスセットの朝は、いつも灰色だった。 若き日のヴェルディは、まだ世界を震わせる旋律の主ではなく、地方の教会でオルガンを弾く一人の青年にすぎなかった。 だが、彼の胸の奥には、音楽よりも大切なものが芽吹いていた。 妻マルゲリータと、幼い二人の子どもたち。 貧しくとも、笑い声の絶えぬ家。 暖炉の火に照らされる妻の横顔。 それは、後年の壮大な合唱よりも静かな幸福だった。 しかし幸福は、音もなく崩れ落ちる。 第一部 奪われた光 1838年。 長女ヴィルジニアが病に倒れる。 小さな身体は、まるで蝋燭の火のように消えた。 翌年、長男イチリオも続く。 そして、最後に――妻マルゲリータ。 三人の死は、三つの音ではなかった。 それは、和音だった。 重なり、胸を裂く和音。 若きヴェルディは、沈黙した。 彼は友人に言う。 「音楽は、もう私のためには存在しない。」 当時取り組んでいたオペラ《一日だけの王様》。 喜劇であるはずの作品は、悲嘆の底にいる彼の手では、空虚な紙片に過ぎなかった。 初演は失敗。 嘲笑。 失意。 劇場の闇の中、彼は思う。 ――なぜ私は生きている? 生き残った者の罪悪感は、やがて怒りへ変わる。 神へ。 運命へ。 世界へ。 その怒りが、やがて音になる。 第二部 《ナブッコ》という復活 1842年、ナブッコ 初演。 有名な合唱「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」。 これは単なる愛国の歌ではない。 それは、喪失の叫びだった。 故郷を失ったユダヤ人の嘆きは、 家族を失ったヴェルディ自身の魂だった。 観客は総立ちになった。 だが彼の心は、まだ凍ったままだった。 成功は温度を持たない。 喝采は、妻の手の温もりに比べれば、空虚だった。 第三部 歌姫との出会い その舞台に立っていた一人の女性。 ジュゼッピーナ・ストレッポーニ。 彼女はアビガイッレを歌った。 強く、激しく、破滅的な女性。 舞台裏での彼女は、世間の噂に満ちていた。 未婚の母。 恋愛遍歴。 「道徳に欠ける女」。 だがヴェルディは見た。 声の奥に潜む疲労。 孤独。 そして、戦い抜いてきた女の静かな誇り。 彼は最初、距離を取った。 彼は傷つきたくなかった。 もう二度と。 だが彼女は、彼の沈黙を恐れなかった。 ある夜、ストレッポーニは言う。 「あなたの音楽は、怒りの中に光を持っています。」 その言葉は、慰めではなかった。 理解だった。 彼は初めて、自分の悲しみを言葉にした。 第四部 スキャンダルの愛 二人はやがて同居する。 だが19世紀のイタリア社会は、冷酷だった。 未婚で同居する作曲家と歌姫。 故郷バスセットの人々は、彼女を拒絶した。 教会は冷たい視線を向け、 町は噂で満ちた。 ヴェルディは怒る。 彼はついに故郷を離れ、サンタガタの農園に移る。 そこは、彼と彼女だけの世界。 ストレッポーニは、ただの恋人ではなかった。 彼女は秘書であり、助言者であり、批評家であり、戦友だった。 彼女は彼の楽譜を読み、 彼の気難しさを受け止め、 彼の沈黙を理解した。 彼は次第に、柔らかくなる。 第五部 音楽に宿る彼女 《椿姫》 椿姫 のヴィオレッタは、 世間に非難されながらも愛を選ぶ女性。 それはストレッポーニの影だった。 世間に拒まれ、 それでも誇りを持つ女。 ヴェルディは、彼女を守るために、彼女を音楽に昇華した。 そして晩年。 《オテロ》。 オテロ 《ファルスタッフ》。 ファルスタッフ そこにあるのは、若き日の怒りではない。 円熟。 赦し。 笑い。 それは、彼女と共に生きた年月の結晶だった。 第六部 別れと静寂 1897年。 ストレッポーニ、死去。 彼女の死は、かつての悲劇のように彼を壊さなかった。 なぜか。 彼は知っていたからだ。 愛は失われても、消えないことを。 彼は彼女の部屋をそのままにし、 日記を読み、 静かに祈る。 1901年、ヴェルディ死去。 ミラノの街は沈黙した。 彼の葬儀で、再び「行け、我が想いよ」が歌われる。 今度は、彼のために。 終章 愛は創造を救うのか 若き日の彼は、 愛によって壊れた。 晩年の彼は、 愛によって救われた。 だが真実は、その中間にある。 愛は、破壊もする。 だが同時に、 破壊された魂に意味を与える。 ヴェルディの旋律が今も響くのは、 それが単なる技巧ではなく、 喪失と再生の物語だからだ。 妻と子を失った男が、 歌姫と出会い、 世間に抗い、 音楽の中で赦しに至った。 それは、英雄譚ではない。 それは、人間の物語だ。 そして私たちもまた、 悲劇を経て、 誰かと手を取り、 再び生きる。 音楽のように。 静かに、 しかし確かに。