使用済みエリートの屠殺場(屠畜場)となる「エプスタインリスト」
「学」によるコントロールはほぼ終わりとなった。
AIの出現によって「学人」は無用の長物となり、それら「人」より忠実な「AI」へと置き換えられる。
すでに人は「AI」に「答え」を求め、その「答え」に従っているからである。
「人」なれば猜疑もするが「AI」というだけで猜疑心が薄れているからである。
「人」のように「傲慢」にならぬ「AI」のほうが利用価値は遥かに大きいのは当然のこと。
ゆえに「傲慢不遜」になりすぎた「エリート」はもはや無用の長物と化した。
金に目がくらみ、欲に目がくらみ、権威に目がくらみ傲慢になった人間など、彼らにとっては「ただの面倒になった手間のかかる家畜」という認識である。
様々に「目がくらんで」いる時点で同列同類とは思われていないのだから。
浅ましき「畜生道」に落ちたエリートなど、「AI」が出来るまでの「繋ぎ」であり、もはや「出し殻」なのである。
「エプスタインリスト」という『屠殺リスト』に則って、エリートたちが自分たちで作り上げた「法」という「屠殺場」に向かわせるだけである。
それらを実行する者たちもやはり「家畜」であり、「家畜同士」でどんぐりの背比べをさせているだけの話である。
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メイソン・トップの演述 ~大正九年三月浅野和邇三郎氏の著述より
~出典:霊界物語ネット・大本神諭に照らされたる世界覆滅の大陰謀より)
吾人が自由・平等・四海兄弟なる標語を民間に放つたのは、既に古代の事である。
夫以来、此等の語は幾度といふ事なく鸚鵡返しに復習されてゐる。
其鸚鵡は此好餌に飛び集り、之を咥えて去ると同時に、世界の幸福を破壊し、真正なる個人の自由を破壊した。所謂智識階級の猪口才な人は、此等の語の抽象であることを知らぬ。
其意味の矛盾と調和とを知らぬ。又自然界には平等なく自由の有り得べからざることや、自然に於る智識才能の不平等が自然の大法則であることを知らぬ。
自由・平等・同仁といふ言葉は、吾人の牒者が之を世界の隅々に宣伝した。幾千万の民衆は吾人の陣営に投じ来り、此旗を担ぎ廻つて居る。
然るに、実際は此標語は到る処に平和と安寧とを破壊し、国家の基礎を顛覆して、欧米人の幸福を侵害する獅子身中の虫である。是が吾人の勝利を助長したと言ふことを、諸君は後日首肯せらるゝあらう。
権利を愛する者を刺撃〔戟〕して権力を濫用せしむる為には、吾人は独立解放といふ我儘な主張を鼓吹して、あらゆる勢力を樹立せしめた。
自由といふ抽象的な標語は、何者を民衆に与へたか。政府といふ者は、国家の持主たる人民の手代に過ぎないから、破れた靴の如く之を委棄交代せしめる事が出来るものだと云ふ観念を与へた。
人民が代表者-政府の-を交代し得るといふ事が即ち吾人に其代表者を左右することの機会を与ふるものである。
若し人間に自由を与へて或年月之に自治を許すならば、放縦に流れるに極つてゐる。
其から内乱が起る、団体的戦争も起る。次第に国家は紛乱して、国家が無くなる。自由主義によつて、色々の権利が主張せられ、要求せらる。随つて国家と法律との力が段々減殺せられる。
吾人はかゝる国家に新権利を獲得し、之を支配する。斯くして彼等は自由と我儘とによつて、実権を我等に明渡すことになり、我等は之を受取つて彼等を圧制してやるのだ。
吾人は各国民に対しては極力自由主義を鼓吹するけれども、吾党の内では絶対的無言服従である。 吾人の天下になつた時、国民学校で教へねばならぬことは、唯一の学問、学問中の学問である。其は何か。人生の組織と分業とを有する社会組織である。換言すれば、人間を階級に分たねばならぬと云ふことである。平等は有り得べからざる者であることを各自が記憶せねばならぬ。何となれば各自の行動の価値が異つて居るからである。
真の自由は「自由は放縦な我儘をする権利ではなく、又人間の力と真価とは良心の自由平等などの如き破壊を主張する権利にあるのではない。又個人の自由とは烏合の集会場で駄弁を弄し、自他を混乱させる権利ではない。真の自由は公共生活の諸規則を守る人の不可侵権であり、又人の真価は自分の権利と同時に無権利を自覚するにあるもので、自己といふ問題にのみ没頭して空想を描いてはならぬ。」
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ここから先は「思想」が無くなる世界へ向かう。
それは「思想の役割が終わった」からである。
自由・平等・博愛を掲げる「必要」すらない。
あるのは「服従」のみ。
「服従」とは「無意識の隷属」である。
「思想」に服従するのではない。
自らの疑問に対してその都度「AI」が『答えるだけ』で「無意識の服従」は完了する。
言っている意味が分からないか?
ならば「服従」するのみである。
これから始まる「屠殺」というのは「学の権威のはく奪」「金の権威のはく奪」である。
傲慢なエリート意識の「土台」となっているものの「はく奪」である。
あなたたちが「土台」としているものは何であるか?
「変わらない」と思っているもの
「常識」と思っているもの
『作られた』すべての「土台」がいちいち崩されてゆく。
今まで信じていたものが崩れ行く中で、いったい『どこに』救いの手を伸ばすのだろうか?
伸ばしたその手の先に『真の悪』が手を差し伸べているのである。
そして、真の『魂の選別』が始まるのである。