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幕末島津研究室

大名行列を見分ける専門職がいた

2026.03.08 08:00

下座見

 前回の話で旧広島藩主の浅野長勲(ながこと)が、江戸市中では大名行列どうしが出会うことが始終あり、そのばあい「向うから行列を見ると、上杉弾正大弼様というふうに、先におる者が知らせる」と語っていたことを紹介しました。

この「先におる者」というのが「下座見(げざみ)」です。

一般的には、「下座見は江戸城諸門の門番下役で、登城行列の鑑別を行なった」とされていますが、大名行列にも下座見がいました。

大名行列での下座見の役割 について、國學院大學の根岸教授は

「先払いは『下座見』ともいわれ、通行の先触れだけではなく、近づいてくる他の行列を、その行粧や槍印で判断し対応を決める能力を要求されていた」 

と解説しています。【真田宝物館の特別展「真田家の大名行列」図録109頁】

「通行の先触れ」というのは、時代劇で大名行列が進むときに言う「下にい~、下にい~」ですが、実際には「控えろ~」とか「よけろ~」のように、わかりやすい言葉だったようです。

それ以上に重要な役目が、「近づいてくる他の行列を、その行粧や槍印で判断」することでした。

浅野長勲が語っていたように、向こうから来る行列が一般の大名ならすれ違いざまに駕籠の戸をあけて目礼するだけですが、御三家クラスなら駕籠をおりて平伏しなければなりません。

そのため、もし遠目に見える行列が御三家であればコースを変更し、脇道に入って出会いを回避する必要がありました。

下座見の責任は重かったのです。

下の錦絵は毛利家の行列を描いたものですが、先頭にいる二人が下座見です。

周延『温故東の花 旧諸侯参勤御入府之図』(国立国会図書館デジタルコレクション)


見分けの専門職

先触れについて、実際に大声を上げるのは行列本体より少し先を行く中間(ちゅうげん)、つまり雇われ人足たちです。

下座見のメインの仕事は先触れではありません。

斉彬の馬廻役をつとめた本田孫右衛門が、明治37年の史談会の質疑応答でこのように語っています。 

寺師(宗徳) 国主大名と譜代大名の御会釈振は如何でありましたか。 
岡谷(繁実) それは譜代の方で譲る、下座見がチャンと見て居る。 
本田(孫右衛門) 道具と六尺の印しを知らねばならぬ。 
【本田孫右衛門「島津斉彬公逸事問答数条」『史談会速記録 第169輯』】

本田は、「下座見が見損なってはならぬから、そればかりの職掌である」とも語っています。

つまり下座見というのは、向こうから来るのが誰の行列なのかをすばやく見分ける専門職でした。

見分ける基準は本田が言うように、「道具(槍、長刀)と六尺の印し(中間の衣服)」です。

そのなかでも、ひときわ目立つのが「槍」でした。

というのも、槍は立てて持つので遠くからでも目立つ上に、鞘の形が家によって異なっていたからです。

下座見は前方からくる行列にかかげられている槍鞘の形を遠くからみて、「ナントカカントカ様~」と呼びあげ、それを聞いた行列のコントローラー(おそらく供頭)は相手が誰かによって対応を変えました。

もしそれが御三家だったら、急いで脇道を探したことでしょう。


武鑑でも槍鞘を表示

槍鞘はこのように重要な目印となるので、大名名鑑である『武鑑』では、藩主名のすぐ近くに槍鞘と長刀鞘の形状が表示されています。

たとえば、薩摩藩の場合はこうです。

『安政大成武鑑』島津斉彬冒頭部分(ブログ主蔵)


以前も書きましたが『武鑑』は大名行列見物ガイドブックの機能もあったので、家紋と並んで大名判別の重要なポイントである槍鞘が名前の近くに書かれています。

残念ながら薩摩藩の槍鞘は現存していないため武鑑との照合ができませんが、さいわい松代藩真田家の博物館である「真田宝物館」には真田家の道具類が残っており、槍鞘も実物と武鑑をくらべて見ることができます。

松代藩真田家槍鞘 (真田宝物館『松代藩の参勤交代』図録61頁)

『安政大成武鑑』真田家槍鞘部分

左の槍鞘には「山鳥の毛」右の槍鞘には「黒らしや」の注記がある


ついでに陸尺(ろくしゃく、六尺)の衣装も見てみましょう。

松代藩真田家陸尺衣服 (真田宝物館『松代藩の参勤交代』図録63頁)

『安政大成武鑑』真田家陸尺部分(上左は写真左の衣装柄、下は右の衣装)



錦絵でも正確に描写

冒頭にあげた錦絵『温故東の花第四篇 旧諸侯参勤御入府之図 』は明治22年(1889)に製作されたものですが、槍鞘が武鑑どおりに描かれています。

周延『温故東の花 旧諸侯参勤御入府之図(部分)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

『安政大成武鑑』にある毛利家の槍鞘


作者の楊州周延(ようしゅう ちかのぶ)は天保9年(1838)生まれの旧高田藩士で、慶応元年(1865)の第2次長州戦争にも参加していますから、大名行列も実際に見ていたでしょう。

製作されたのは明治22年でも、江戸時代の行列をできるだけ忠実に再現したのだと思います。

日本人の気質でしょうが、リアリティーを求めるという考え方は昔から変わりません。

現在でも時代劇にはかならず「時代考証」の担当がいますし、「時代考証学会」という学会まであります。

歴史はファンタジーだと考えている国や、歴史はプロパガンダだと考えている国も日本の近くにはあるようですが、真実を追求する姿勢は失いたくないものです。