木曽街道六十九次 岐岨街道 鴻巣 吹上冨士遠望
渓斎英泉/岐阻街道六十九次 岐阻街道桶川宿曠原之景
きそかいどう おけがわじゅく ひろはらのけい
【つね吉】2024年〜2025年ごろ、水彩にて模写
「岐阻街道六十九次」は1835年〜1837年ごろ 歌川広重と渓斎英泉が連作で描いた浮世絵のシリーズです。 (木曽海道・木曽街道と表記されることもあります) 江戸・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ69箇所の宿場 そして出発地点の日本橋 合計70枚で成り立っています。 「名所江戸百景」全120枚を描き終えた、つね吉が 次に挑戦したのがこちらになります。
鴻巣宿は現在の埼玉県鴻巣市にあり、江戸時代に整えられて発展した宿です。
1843年の時点で人口2274人、家が566件、旅籠が58件ありました。
また鴻巣には徳川家康が鷹狩りの際に休憩する場所として「鴻巣御殿」が建てられ、家康・秀忠・家光が利用していたそうです。
この辺りの農家では農閑期(農作業が暇となる時期)に雛人形を作り、それが鴻巣雛として江戸周辺で人気を得ていました。
現在も近辺では雛人形の製造が進んでいます。
手前にあるのは榎の木。その向こうを虚無僧と旅人がすれ違うところです。
遠くに見える富士山は雪を被っています。この白い色も、つね吉は丹念に塗っています。
表情がスマイルっぽくて可愛らしい旅人たちは、つね吉ワールドの住人です。
一里塚といって、幕府は四キロ(一里)ごとに広く土を盛り、そこに榎や松を植えました。
旅人たちにとって距離を知る目印になったり、休憩する場所とされていたようです。
江戸時代、榎は御神木とされ各地で多く植えられた樹木なのです。
民家が見えないこの辺りは鴻巣宿から離れた吹上周辺になります。
昔はこうして皆徒歩で旅をしながら、土地の空気や景色をしみじみと感じていたことでしょう。
木々に茂る葉や地面の草を、つね吉が非常に細かく仕上げています。
人々の活気を見守る富士山が周囲を清廉な雰囲気にしています。