シリーズ化された夢の数々
私が見る夢には、いくつかのシリーズがある。
幼い頃から、折々に繰り返し現れる夢たちだ。
ひとつは、トイレの夢。
トイレを探している。やっと見つけても、狭すぎたり、人が並びすぎていたり、仕切りがなかったり、水浸しだったり、ガラス張りだったり。
決まって安心して使えない。
何かが足りないか、何かがおかしい。
不快さと焦りを抱えたまま、目が覚める。
次に、青い水の夢。
セピア色の世界の中で、ただ一箇所だけ、鮮やかな青い水がある。
海だったり湖だったり、狭い水場だったり。
あまりに美しくて、近づきたくなる。触れたい、写真に撮りたいと思う。
だが、いつも何かが起こり、触れられないまま終わる。
夢の中で、「前もこうだった」と思い出している自分がいる。
それに似た、極彩色の虹の夢。
空いっぱいに広がる、毒々しいほど鮮やかなねじれた虹。
なんとか記録しようとするが、シャッターが切れない。
映らない。
そうしているうちに消えてしまう。
これもまた、前にも見た夢だと夢の中で思い出している。
そして、空を飛ぶ夢。
雲に乗ったり、傘でふわりと跳ねたり、グライダーのように滑空したり、翼のようなもので地面すれすれを飛んだり。
高さも方法も毎回違う。
だが、不思議なほどリアルで、夢らしさが薄い。
飛んでいる感覚だけは、確かにそこにある。
舞台の夢もある。
幕が開くのに、何を踊るのかわからない。
振付を知らない。衣装がない。靴がない。
急かされ、青ざめ、震えている。
出なければならないのに、準備ができていない。
目が覚めると、ぐったりと疲れている。
そして「ああ、夢でよかった」とつぶやく。
最後に、テストの夢。
数学の試験。公式を覚えていない。
証明問題の意味がわからない。
何一つ解けない。
この試験をパスできなければ留年する、という焦燥感。
学生時代から繰り返し見る悪夢だ。
ほかにも夢はあるが、主なものはこの五つ。
夢の中で私は、以前の夢を思い出している。
現実では忘れていても、夢の中では「またこれだ」と気づく。
目が覚めるたび、
夢でよかったと思う。
このシリーズは、まだまだ続くのだろうか。
そして、なぜ続くのだろう。