「宇田川源流」【土曜日のエロ】 買春刑罰化に反対する人々の言い分
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 買春刑罰化に反対する人々の言い分
今週も土曜日のエロの日になった。選挙などで世の中が止まっていたが、またやっと動き出した感じであろう。それにしても、野党はいまだにスキャンダル、それも法的に問題のないことのスキャンダルかを大騒ぎしています。法的に問題があるのであれば、警察などの捜査機関に告発すれば済むことであり、国会の貴重な審議時間を使って行う話ではないというように考えられるし、そのようなスキャンダルを出して、本来の審議事項を審議せずに「審議時間が足りない」などという意味不明なことを言っていて、其れで世の中の人々が納得すると思っているところが、実に滑稽名のではないでしょうか。今回の総選挙で、そのような矛盾した、そして国民の目線と全く異なることで、国民の期待する活動を行っていないということを、「多くの人の落選」ということで結果が出ていることが全くわかっていないということになると思いますが、その結果が出てきていないということになりますね。まあ、国民の心がわかっていない「特権階級的な政治家」は滅びる方向に行くのでしょう。そういえば、昔の民主党も、民主党政権が終わり、その政権の総括やとりまとめ、そして反省が全く行われなかったということが、国民の批判に晒されていますが、今回の選挙の総括も、できないのでしょうね。
さて、一方で世界ではイランの核交渉に、ロシアのウクライナ侵攻の4年、そして中国の日本企業に対する輸出規制というようなことが出てきています。
はっきり言ってしまって、中国と日本の関係はアメリカが対中国姿勢を明確に示した時から、つまり、トランプ政権の第一次政権の時代から、すでに10年近く大きな問題になっているということになっています。それにもかかわらず、三菱などの工場は関係ないふりをしてそのまま中国に工場を置き続けていたということにあります。実際に、俺らの工場を置いている企業が、米中関係の間(今回は高市発言が原因ですが)に挟まって苦しむということになります。株価が日経平均59000円の時代に、これらの企業だけは株価が下がってゆくということになるのでしょう。多分、中国に工場のある企業だけが徐々に業績が落ち込むというような時代が来るのではないかという気がします。
時代の流れといえば、売春防止法と買春処罰に関する内容です。これも国際的な圧力や、あるいは、人権という「時流」ということになりますが、一方で建前だけでは動けないものもあるのではないでしょうか。
<参考記事>
「買春の刑罰化は、誰のためにもならない」“買う側”の処罰法制定を国が検討も…セックスワーカー支援団体が「反対」する理由
2026年2月16日 9時57分 弁護士JPニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/30591668/
<以上参考記事>
歴史的な視点に立つと、古代から近世にかけての日本文化において、性に対する考え方は必ずしも現代の西洋的な「罪」の意識に基づいたものではありませんでした。かつての日本には公認の遊郭が存在し、性が文化や芸術の一部として、あるいは一種の産業として社会に組み込まれていた側面があります。そのため、現代の厳格な法規制を、日本古来の価値観とは異質な、外圧やキリスト教的な道徳観による「押し付け」のように感じ、違和感を抱く人々がいるのも事実です。実際に吉原遊郭などは、昨年の大河ドラマ「べらぼう」で書かれています。ある意味で残酷な人権無視というような部分もありますが、一方で、田舎の飢饉で多くの人が死んでしまっている時も、吉原遊郭で人が餓死している描写はなかったのではないでしょうか。ある意味で吉原遊郭というか、性産業性売買は、江戸時代の「セーフティーネット」であったことは間違いない事実なのです。
実際に性産業・性売買は、男女関わらず「元手」「資本」のいらない世界最古の商売であり、また、その行為がなければ、少子化が進んでしまうということになります。そして、そのことは間違いなく「人間の本能に根ざした」産業であるということになるのでしょう。もちろん現在それで管理売春をすることを是認するものではありませんが、一方で必要以上の性的な産業の規制は、人間の本能を否定するものであり、なおかつ、生活困窮者のセーフティーネットを一つ失うものであるということになります。同時に、そのようなことを望む人々、とくに若い男性の「犯罪」を増やすことになるのではないでしょうか。
今回の買春処罰に関する法律の議論は、先日のタイ人の少女売春に関する問題が一つのきっかけになっていると言えます。
買春の刑罰化を巡る議論は、人権、社会秩序、そして日本が歩んできた文化的な背景が複雑に絡み合っており、一筋縄ではいかない問題ですね。この議論において、刑罰化が誰のためにもならないという意見が出る大きな理由は、性風俗が法的に厳しく制限されることで活動が地下に潜り、かえって当事者たちが危険にさらされるという懸念にあります。具体的には、公的な監視が届かない場所で性取引が行われるようになると、暴力や病気、あるいは犯罪組織による搾取が横行しやすくなり、被害に遭っても警察に助けを求めることが難しくなるという負の連鎖が生まれます。
一方で、刑罰化が必要だと主張する人々は、いわゆる「北欧モデル」のように、買う側を罰することで需要そのものを抑制し、人身売買や若年層への搾取を根本から断つべきだと考えています。性取引を個人の自由な選択ではなく、構造的な暴力や不平等の現れと捉える立場からは、法による厳格な禁止こそが社会的な倫理を守り、弱い立場にある人々を救う手段になるとされています。
現在の売春防止法が不十分とされる理由は、その成り立ちと構造にあります。この法律は「売春はしてはならない」と宣言しつつも、売春行為そのものや単純な買春に対する直接的な罰則が極めて限定的で、主に勧誘や場所の提供、あるいは管理売春といった「媒介者」を処罰することに主眼を置いています。そのため、現代のSNSを介した個人間の取引や、法律の隙間を縫うような新しい形態の性風俗(いわゆるグレーゾーンのサービス)に対して、現行法では実効性のある抑止力が働いていないという指摘が絶えません。
少子化との関連について言えば、買春の刑罰化が直接的に出生率を下げるとする客観的なデータは乏しいのが現実です。むしろ、性の商品化が蔓延することで、本来の人間関係の構築や家族形成に対する関心が薄れるという意見もあります。しかし、一方で、社会全体が性に不寛容になり、男女の出会いやコミュニケーションのハードルが上がることで、結果として未婚化や少子化が加速するのではないかと危惧する声も根強くあります。このように、この問題は単なる法律の是非を超えて、私たちがどのような社会を築きたいのかという、国家のあり方そのものを問うていると言えるでしょう。
「買う側」のみを処罰するこの仕組みは、一般的に「北欧モデル」または「スウェーデン・モデル」と呼ばれています。1999年にスウェーデンが世界で初めて導入したこの政策は、性売買を「女性に対する暴力」および「ジェンダー不平等」の結果と位置づけ、需要を断つことで供給を減らすという画期的なアプローチでした。このモデルを採用した国々、例えばスウェーデンやフランス、ノルウェーなどで起きた社会的な変化は、肯定的な側面と否定的な側面の両方において非常に顕著です。
まず、目に見える変化として最も大きいのは、路上での公然とした勧誘行為の大幅な減少です。スウェーデンでは法律の導入後、ストリートでの性取引が目に見えて減り、社会全体で「性を買うことは恥ずべきこと、あるいは違法な搾取である」という意識が定着しました。特に若い世代の間で、性取引に対する拒絶感が強まったことは、この法律が目指した「社会規範の変革」という点では大きな成功を収めたと言えるでしょう。また、国家が性売買を「個人の自由」ではなく「不平等の象徴」と断じたことで、人身売買などの組織犯罪に対する監視の目が厳しくなったという側面もあります。
しかし、その一方で深刻な副作用も報告されています。最も懸念されているのが、性取引の「不可視化」と「地下化」です。路上から姿を消した取引は、インターネットやクローズドなアプリを介したものへと移行しました。これにより、外部からの監視や保護の手が届きにくくなり、性労働者たちがより孤立した状況に置かれるようになりました。具体的には、買う側が逮捕を恐れて素早く交渉を済ませようとするため、性労働者が相手の身元を確認したり、危険な人物かどうかを判断したりする時間が奪われ、結果として暴力や強盗の被害が増加したという指摘がフランスなどの当事者団体から強く上がっています。
さらに、法的には売る側は罰せられないことになっていても、現実には社会的なスティグマ(偏見)が強化されたという側面も無視できません。買う側が犯罪者とされることで、その取引自体が「犯罪行為」の現場となり、警察の取り締まりが強化されます。その結果、性労働者は警察を避けるようになり、暴力を受けても被害届を出せなくなるという皮肉な現象が起きています。また、ノルウェーなどでは、売春を助長する場所の提供を禁じる法律(家主を罰する規定など)により、性労働者が住居を追い出されたり、不当に高い家賃を要求されたりといった居住権の侵害も問題視されています。
このように、北欧モデルは「需要を抑える」という道徳的・倫理的な目標においては一定の成果を上げましたが、一方で「現場の安全」という観点では新たなリスクを生み出したという複雑な結果を招いています。フランスでは2016年の刑罰化以降、性労働者の約4割が「以前よりも状況が悪化した」と回答した調査結果もあり、憲法裁判所でこの法律の是非が争われる事態にもなっています。
このように人間は欲望ということが強くなり、そこを満足させるところが無くなれば、そのことによって犯罪に走るということになります。建前では物事は動かないし、そもそも「少子化」ということの解決法は性行為以外にはないという前提が必要になります。そのことを考えて、本来何をしなければならないか。このように法で処罰することではなく、道徳を学ばせることの重要性などしっかりと「国家の在り方」を考えるべきではないでしょうか。