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170g?

2026.02.27 02:27

私の本質というか、自分はどういう人間なのかということは、

青年期からずっと問い続けているような気もするのですが、

最近は「ハイブリッド(でありたい)」ということが最も自分を表すのではないかと、思うようになりました。

と書いて、英語で表す必要性は全くないなと思ったので別の言い方で言えば、

あらゆることを自分の内面に取り込んでおきたい、混合させたいという願望です。


心理臨床の世界はあらゆる学派や理論というものがあって、

その中でも何か自分が依って立つものがあると見立てと介入方針が持ちやすいということがあります。

大学院在学中も修了後も、ずっとそれを探し求めていたような気がします。研修に出たり本を読んだりするのですが、一貫性がない。一体君は何に興味があるのかと自分に言いたくなる。

少し前に、私は一体どんな臨床観・アセスメント観を持っているのだろうと整理したくなり、

パワーポイントを使って図にしてみたことがあります。つまりどんな視点から人間を理解しようとして、どんなスタンスで考え、具体的にはどのように介入するのか、私なりのケースフォーミュレーションを自分に対して図解してみようと試みたのです。

そうすることで、自分が関心を持っているもの、大事にしている概念が割と明確に浮き上がってきました。その中には勿論かねてより研究している「葛藤の扱い方」もあれば、精神医学もあれば、社会福祉・ソーシャルワーク的な視点もありました。

たまにその一枚のスライドを眺めるのですが、この一貫性のなさが自分そのものなのではないかと思うこともあるわけです。そしてそれは、あまり青年期の頃から変わっていないのではないかと思ったのです。一貫性のなさが一貫しているのではないか、という気付きです。


自己が多面化することは必ずしも不健康なことではない、という主張や研究も近年見られます。正確に言えば多面化しているだけでは不十分であり、それをある程度ゆるやかにまとめることが重要なのではないかと考えられるわけですが、

しかしこれもなんだかピンとこない自分がいます。まとめる、ことは本当に大事なのだろうかと。


相反するものを内面に住まわせることは大変なことで、常に葛藤があるということなのですが、そもそも他者の人生(臨床)にも自分の人生にも絶対的な正解があるわけではないはずです。

そういう価値観が根底にあるので、黒と言われたら白と言いたくなり、白と言われたら黒と言いたくなる、そういう人間なのだと思います。グレーだと言えば楽なのですが、それは逃げのような気もして、最近はあまり使わない言葉になりました。

リビングハウスというお店で買ったリンゴの置物がお気に入りで、インテリアとして職場に置いているのですが、なんとなくこれを触って少しだけ持ち上げることが出勤した朝のルーティンみたいになっています。

日によっては重いと感じ、また別の日には軽いと感じます。そしてこれもなんとなくのルーティンで、重いと感じた日は物事を少し軽く考えてみようと決め、軽いと感じた日は少し重く受け止めてみようと決めるのです。

本当はこのリンゴはいつも変わらず170gなのだけど、この主観の多重性が自分にとって大事なことなのです。

重い―軽い 黒い―白い 浅い―深い

…と、あらゆる基準がこの世にはありますが、

そのどちらもが正しいかもしれない、同時に成り立つかもしれないと、可能性を残しておくことが大事なのではないか。

可能性を残しておくことは、偏りへの危険性を薄めることに繋がるはずです。

つまりは、あらゆる可能性(仮説)を混合させておきたいという願望があるのです。

だからこそ生きづらかったのだろうし、むしろこれからは生きやすくなれるかもしれないとも思うのです。

悩むことの意義は、悩んだ結果として正解を出すこと、人生を選び取ることだと思っていましたが、自分が奥底で感じていることはそう単純ではないのかもしれません。

正反対にあるように見えるもの、対立しているように見えるものが世の中にはたくさんあります。自分はどちらの立場に立つかを表明しないといけないときも人生にはあるのでしょうが、

もう少し自由に生きたいと感じます。


前回、自由の難しさというのを書いたことを思い出しました。

自由に生きたい、自由は難しい、これもまた葛藤を生み出すわけですが…

結局その揺れ動き自体を今は楽しんでいるところがあります。

夢中に考えている。

明日は、170グラムかどうか。