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にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険   ~ディスクール~・第3話『Foxy Lady』

2026.02.28 06:15

 昔話に登場する狐にはいくつかの変奏がありますが、私は以下の3つのパターンに強い関心を抱きます。


Ⅰ.   稲荷神などの神の眷属として、豊作(や財)を約束するもの
Ⅱ. 〝狐憑き〟
Ⅲ. 男をたぶらかす(あるいは喜ばす)「女狐」


 Ⅰ については、収穫期に狐が山から下りてくる様が、豊穣の予兆として結びつけられたのでしょう。

 Ⅱ については、村落共同体において、かつては必要とされていた〝狂気〟が、近代的な「病名」を与えられ、隔離されてきたという歴史。これは本シリーズの核心に触れるテーマです。

 そして今回、私がスポットを当てたいのは Ⅲ です。なぜならそこには、消えゆく「中世芸能民」の象徴が潜んでいると思えるからです。

 河原で男の袖を引く女や、神社に住み着き、村の青年と情を重ねる「女乞食」が、実は狐の化身だった…… という物語。これらは明らかに、歩き巫女や白拍子といった存在を寓話化したものでしょう。本来は天皇や社寺の直属民であった彼女たちは、なぜ蔑視の対象へと零落したのでしょうか。

 その背景には、支配システムの構造的変化、すなわち武家権力が強まり、貨幣経済が軌道に乗った時期の〝エピステーメー〟の変容があるのではないでしょうか。定住生活を営む者が「良民」として公認されるにつれ、場所から場所へと移動し続ける芸能民は、次第に秩序を乱す狂気の側へと分類されていったのです。

 日本の村落共同体、いわゆる〝ウチ〟は、穢れを極度に嫌い、恐れます。戦国時代のような多死社会を経て、〝ソト〟から境界を越えてくる異邦者に対し、「穢れを纏っているのではないか」という過剰な恐怖が刷り込まれていったのかもしれません。

 戦後、エピステーメーは更新され、日本は民主主義を標榜しました。しかし現在、政権は独裁の色を強め、この国を再び戦前へと回帰させようとしているように見えます。その旗を振る人物の姿が、私にはどこか『狐に憑かれたメスゴリラ』に見えてしまうのです。

 そんな私の危惧をよそに、我が家の「境界の住人」は、今日も軽やかに世界を直観しています。彼にとっては、ウチもソトも、あるいは良民も芸能民も関係ありません。ただ、そこに心地よい日差しと、一皿の美味しいものがあれば、この世界は概ね美しいらしいです。

 今再び、私たちの自由が制限され、境界の外へと追いやられる時代が、すぐそこまで来ているのかもしれませんが、チャーリーの自由な世界観を止めることはできないでしょう。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。