777円の野菜セットと、ずれの話。
ヨガの先生から、こんな小話を聞きました。
近所の八百屋さんで、
小松菜、レタス、人参、ピーマンのセットが777円だった日のこと。
嬉しくて帰宅してから夫に話したら、
レシートを眺めながら「ああ、安いね」と一言。
それだけだったそうです。
会話のズレ。
ヨガの先生も「あ、違うんだな」と
心の中で苦笑いしたそうです。
この話を聞きながら、
私は別のことを考えていました。
「1つずつ買ったら、うちのスーパーだとだいたい…」と、
頭の中で自動的に計算が始まっていたのです。
先生はラッキーナンバーに喜んだ。
夫は「安い」で完結した。
私は合計金額を検算し始めた。
同じ777円を前にして、
3人とも違う世界にいた。
私たちは、自分が育ってきた環境や経験によって、
「何が大切か」「何が好きで何が苦手か」と
いった独自の基準を作り上げています。
その基準が他人と衝突したとき、
私たちは「小さな小さなストレス」
を積み重ねてしまうのです。
ヨガが教える「この世は幻想」という視点
ヨガの教えでは、私たちが目に見えているこの世界は、
すべて「幻想(マヤ)」であると言われています。
形あるものは、いつか必ずなくなってしまいます。
形あるものに依存した喜びは一時的なものであり、
それが失われたとき、喜びは苦しみへと変わってしまいます。
「安く買えた」という喜びも、
あるいは「思い通りにいかない」という悩みも、
ある意味では移ろいゆく幻のようなものに
一喜一憂している状態なのかもしれません。
だからといって、
感情を消せという話ではありません。
ただ、心が乱されたとき、少しだけ立ち止まって——
「これは、私の経験が作り出した幻かもしれない。」
そう思えると、ずれのストレスが、少し軽くなります。
ところで、この「見ている世界が違う」という話、
先日のヨガの先生の話にもありました。
「目の前に壺があります。これは何ですか?」
「壺」と答えると——形が固定される。
用途も、役割も。
でも「土です」と答えた瞬間、話が変わる。
土はお皿にもなれるし、また練り直すこともできる。
つまり、土というOSが違うから、
見ている世界が、変わっていく。
それだけのことかもしれない、と思えると——
なんか、軽くなりませんか。