Jindo basketball 6 -Basketball Tourism-
2026年は北スマトラ全土を対象として、メダン市内以外にも巡業クリニックに出かけている。
今週末にRantau Prapatでコーチングクリニックを行った。(Youtubeは後日下に貼る予定)
メダンから東へ電車で6時間ほどの場所にある。
前回行ったSiantarと似ている雰囲気を感じた。
2日目のセッション2は大雨が降って途中で中止となってしまったが、
2日間しっかり子どもたちは練習に励んでくれたように思う。
今回はアウトドアコートだったにも関わらずギャラリーの保護者は子どもたちが多かった。
わざわざ足を運んでもらってありがたい限りだった。
CPが私のためにわざわざ組んでくれた「バスケットボールツアー」は本当に楽しい。
色々な街に行き、色々な人と出会い、色々な選手に教え、色々なハプニングに遭遇し、
まるで毎回違うダンジョンに、違うクエストに行くようなRPGをインドネシアで味わえるからである。
いつも練習1日目の夜は呼んでくれたバスケットボール協会の人と晩御飯を食べる。
インドネシアではご飯でもてなすのは礼儀であり文化なのでいつでもこれでもかというぐらい食べさせてくれる(クリニックの時は太りやすくなるのが今後の課題である)
この時に関係者の彼らと話すたわいもない雑談が、インドネシア研究している私にとって本当に貴重である。メダン(私の所属している街や協会)のバスケはどうだ?であったり、行く先々の街の特色やバスケットボールの話を教えてくれる。私が北スマトラ協会を代表してくる事によって、不思議とネットワーキングや普段なかなかメダンに来れない彼らも私の同僚たちとオンラインでReunionするきっかけを作ることができる。「わざわざこんなところまで来てくれたな」という温かい受け入れが私にとっては大切なモチベーションになる。
インドネシアはたくさんの島があり、一つの島も本当に大きい。日本のように交通の便もあるわけではないのでなかなか簡単に皆が集えるような機会はないのだけれど、こうして私が代行ツーリズムすることで、自分の協会のプロモーションと何より現地の人が私を介して日本に触れることができる。
名前ぐらいしか知らない日本という存在や文化、バスケットボールスタイルを感じ取ってもらえることは、彼らにとっては新鮮で喜びに変わる。普段の彼らからしたらきっと私はありえないバスケを強いているかもしれないが、それで良いと思っている。現地の人がするようなバスケをしてもそれは普段の日常と変わらないので、できるだけ彼らにとっての「ハレ」になるような非日常のバスケットボールを展開するように心がけている。
もうひとつ。巡業するときは私の仲間(この場合はアシスタントコーチ)が行く街によっていつも変わるということである。メダンの時も違えば行く先々で、一緒に組むコーチが変わるので、それもまたRPGのような毎回タッグを組む新鮮さと大変さで毎回オーダーメイドのようなクリニックを行わないと行けない。いつも自分の本拠地でクリニックをする場合はコーチがいるが彼らは協会専任ではないので、本業が忙しい時は難しい。特に地方に一緒に来てもらうことは難しいので今回は大学生2人と一緒に行く事になった。1人はいつも一緒に巡業してくれる彼と、この街が地元なのでOBということで来てくれたもう一人である。
いつも来てくれている彼は私のクリニックでだいぶ私の意図や趣旨やドリルのHow toをすでに覚えているので、私が指示さえ出せばほぼネイティブの言葉でしっかりと再現してくれる。
(どうしても私のインドネシア語の発音や語彙の少なさでは子供達も苦労するので)
もう一人の彼も何か細かな調整があった時には地元の利を生かしてすぐに調整をしてくれる頼もしい存在である。私にとっては彼らもZ世代の未確認生命物体であることは変わりないのだけれど、彼らを育てることは北スマトラの指導者育成であり、私がいなくなった後に少しでもサステナビリティが残るようにという取り組みなので、できるだけ私が主体になってオーバーコーチングにならないように彼らと一緒にコミュニケーションを取りながら「彼らのためのコーチングクリニック」にもなるように役割を振りながら練習を設計をしている。
国際協力に日本人のリーダーシップは必要であるがそれと同じぐらい彼らに役割と責任、自覚と自信を持ってもらうことも重要である。「あなたの説明が悪ければ子どもたちは理解に苦しむ事になるからどうすれば理解してもらえるか考えて説明してください」「彼らからスキル上達やコミュニケーションを促進できなかったらコーチの責任です」
「魚を釣るか、釣り方を教えるか」というのが途上国であるあるの例えだが、
1 「まず魚を釣ってお腹いっぱいにさせる。これは撒き餌も含む。まずはフックが大切」
2 「魚の釣り方をしっかりセオリーとして合理的に教える。再現性や理解度が深まるように」
3 「どうすればもっと魚を釣ることが楽しくなるか、モチベーションを与えて自分一人で釣りたくなるようなきっかけを与える」
4 私がいなくなってあとも、魚がいなくならないように、たくさんの魚を卵から孵して釣竿を用意しておく
いつだって自分がいなくなった時のことを考えて支援すること。単発の自己満足のイベントで終わらないように、たくさんの人とコミュニケーションをとって「持続可能」というよりは「Feasibility of Reunion」の可能性をしっかりと形成しておくことである。
15年ぶりに私が教え子が指導者として立派に教えているのを見る機会があるかもしれないと信じて、この暑トロピカルアイランドにひたすら種を蒔く作業である。
私に教えられたことなど小学生の彼らは間違いなく忘れる。
きっと大人になってバスケットボールに勤しんでいることもないだろう。
それでも間違いなくあの瞬間に、彼らが仲間たちと協働してバスケットボールをしたことが、
何十年後にいつか財産になるように。
バスケットボールの技術ではなくて、彼らがバスケットボールを通してどのようにこれからの彼らの生活を豊かにしていくことができるのか、そこに焦点を当て少しでもその一点に貢献できるように私はこのクリニックを続けていけたらいいなと思う。
ある日、私が家で目が覚めて下に降りるとコートでは大会を行っていた。
朝から賑やかだと思っていたら「コーチ! コーチ!」とどっかで見たことのある乳歯が抜けている少年とあった。見たことあるが思い出せないと思っていたら、近くにいた親が目配せしてくれた。「あーそうだ地方に行ったあの時の子どもだ」と、彼ははるばる田舎から私の街まで試合の応援に来たようだ。
こうしてまた再会することができるのである。1回きりだと思っていた、もう2度と会うこともないと思っていたコーチングクリニックは忘れた頃にふとした形でまた私に「あの時の記憶は彼に残っているんだな」と思い出させてくれる。
そんなリマインダーを残りの任期で私がどれだけ作られるかが課題でもある。
日本人のエゴではない、現地の人と最善ではなくても、遠回りしてでも一緒に作り出していく国際協力でありたいと思う。
今週はまた自分の街でクリニックが始まる。
自分の街にも、自分の島にもいろんなところに顔を出せるこのフォーマットを作ってくれたCPには感謝の意は尽きない。