華厳の道 第三章 『火風水(ひふみ)の理 第二義』
火風水(ひふみ)の理 第二義 摂理~八岐大蛇と神風の劔
自然に・・・
在るべくして在る「在り方」がある
それを『摂理』というのである
その『摂理』に調和し行くのが「神の道」
神とは『摂理』そのものなのであるから
いかに「善」に見えていようとも
『摂理』を乱すものは【悪】である
いかに善人であろうとも
いかに優しくとも
いかに穏やかであるとも
いかに賢くとも
いかに美しくとも
『摂理』に調和せぬものは【穢れ】である
『善』であることが『摂理』より上にある
「天地逆さ」の人間意識
『摂理』を破壊し『自然』を破壊し『調和』を破壊する【穢れ】が【悪】を産む
まだわからぬか?
在るべくして在る摂理に「調和する道」が『神の道』である
人は『善』の前にひれ伏して、「調和」の『摂理』を壊しているだろう
『神の道』は『善の道』ではない
【摂理と調和する道】である
人間だけの『善』は「神の道」においての『善』に非ず
人間だけには『悪』に見えようとも「摂理」と『調和』するのが『神の善』である
在るべくして在る「在り方」を見ておらぬ
自然を 世界を見ておらぬから「天地逆さ」となり【穢れ】となる
『穢れた善人』だらけの世であることが見えず
自ら『穢れた善人』に倣いそこへ向かう「道」を行く人々
巨大な穢れた『オロチ』の一部となり
神に背く『悪魔』の行列と化した善人たち
善の旗を掲げれば『摂理』を破壊してもいいと
【穢れ】を湧かせて『摂理』を破壊し行く人々の群れ
自分の『在り方』すらわからなくなった人々の群れ
『自然の摂理』すら見えなくなった目闇な蛇の群れ
すでに自分が『摂理』から外れた人々の群れである
霊長類の『長』であることを忘れ
他の霊長類を虐げゆく行いは
『悪魔』そのものである
自分が『悪魔憑き』であることもわからずに
『善』を掲げ『正義』を掲げ『調和』を破壊し行く者ども
自分の『在り方』がわからずに『善』に縋る愚か者ども
目を開き世界を見ず、自分が「何を」見ているかも知らぬ者ども
目闇な「闇(病み)」に『善』なる光を掲げられて
目を閉じたまま「妄追」しゆく者ども
神から見ればそなたらは【穢れ】であり【悪】である
『目覚め』とは『目を開ける』だけのことである
目を開いて世界を見ることである
目を閉じ目闇滅法に『善』を妄信することではない
目を開けぬから世界が見えず
巡りが見えず調和できない
摂理を踏みにじり調和を破壊していることも気付かない
それは『自然』がわからぬからである
自分は『自然』であるか?
本当に『自然』であるか?
自分の『自然』とは何ぞや?
『自然の摂理』とは【神】そのもの
【神】とは【火水】である
『自然』とは【神風】である
自分の命の巡りは【神風】であるか?
自然の「火(霊)」が「水(身)」に合して起こる「風(命)」が【神風】である
自然の「火(霊)」とは?
不自然なる「火(霊)」とは?
その「怒りの火」はどこから来た?
その「恐れの火」はどこから来た?
その「喜びの火」はどこから来た?
その「悲しみの火」はどこから来た?
自然か?
自分から自然に湧いたか?
何を見てどのようにその「火」が湧いたか?
「火」の元は何であるか?
そこに「自然」と「不自然」が混同し【穢れ】が湧いているのである
「善の火」は自分の中心から湧いたものか?
外から入ってきた「善の火」ではないのか?
「目闇」とは「自分の火」に目をつぶっている『闇(病み)』である
「目覚め」とは「自分の火」を見ることである
「火」は「霊」であり「日」である『太陽』
目闇に外から掲げられる「火」は『闇夜の星』
『宵の明星』
『明けの明星』
そこに『偽りの光』を魅せる
宵の明星は『水星』
『情報』である
明けの明星は『金星』
『美』である
『偽りの情報』を光とし
『偽りの美』を光とする
その『光』を「自分の火」としている目闇な者ども
偽りの『宵の明星』の火(光)は『知恵』である
『知恵』で『摂理』の『認知を歪めた』エデンの園の『蛇』
ゆえに人は楽園を追放された
偽りの『明けの明星』の火(光)は『金(カネ)』である
『金』で『摂理』の『土台を歪めた』エデンの園の『蛇』
ゆえに人は『餓鬼道』『畜生道』『修羅道』に堕ちた
翼の生えた『偽りの天使』をもって『光』を歪め『善』を歪め『摂理の破壊者』となった人々の群れ
天地逆さの『火(霊)』を自らの『水(身)』に宿し、『悪魔』を産み続ける人々
『魔風』を吹かせ『命』する人はもはや『穢れ』そのものなのである
水星の『宵の明星』は「水(身)の理(摂理)」を示す光
太陽の光を最初に受け取るのが水星
それは「日の光」を受けるということを教える『摂理の智』である
水星の輝きは「太陽の光」であるという『摂理の智』である
太陽に最も近きゆえ最も輝く星であると知らしめる『智』である
金星の『明けの明星』は「心(シン)の理(摂理)」を示す光
金星の「金」は「カネ」に非ず「金剛(ダイアモンド)」である
透明な透き通った金剛に「太陽の光」が差して『輝く』という『心の在り方』を教えるもの
穢れ無き、濁り無き透明な心は、『神(摂理)の火』をそのまま映して輝きを放つ『金剛』である
不動明王の『金剛力』とは『穢れ無き純粋無垢』なる心に『神の火』がそのまま輝くことである
太陽に近き二つの惑星の輝きは、闇夜に於いて『太陽の光』を示すもの
星自らが光を放つことはない
さて
『自然な自分』とは?
『摂理』に調和した『自分』とは?
『自分の火』とは?
『自分の霊』とは?
何の『火(霊)』を『水(身)』に宿し『風(命)』を謳歌している?
自分の命は何であるか?
自分は誰であるか?
自分の火は何であるか?
水(身)に「燻る火」を『自然』としているのではないか?
その「燻る火」は何の火であるか?
どこから来た「火」であるか?
自分の『智』は『摂理の智』か?
それとも『蛇の知恵』か?
自分の『土台』は穢れ無き『金剛』か?
それとも『金(カネ)』か?
宵の明星と明けの明星の『偽りの輝き』に歪められて
『心の軸』が「天地逆さ」の『逆立ちした心』となっていないか?
『摂理』から外れた自分では
いつまでたっても【神の火(霊)】は宿らぬ
【神の火(霊)】が宿らぬ【水(身)】には・・・
さて「何が」宿っているのだろうか
『八岐大蛇』を切り裂くのは【神風の劔】である
それは【摂理の劔】であり【調和の劔】
殺して産みだす【天之尾羽張(アメノオハバリ)】
【十拳劔】ともいう
【十拳劔】とは【十種神寶】
一二三四五六七八九十と結んで
十九八七六五四三二一と還す劔
九十九の劔
宇賀之御魂の劔である
【十拳劔】にて【八岐大蛇】を切り裂き産まれるのは【草薙劔】
【草薙劔】とは
真の目覚め・・・である