富山遠征第1弾 池原隧道群 観音堂の示すもの編
なにかも目のような独特なシルエット。
これは恐らく反対側と同じように、別の被覆をされているのでしょう。
てことは両側で復員減少か・・・。
そういえばこの隧道、落書きは少ないですね。
不良たちもわざわざこの奥まで突入はしなかったか。
そういえばここ、怪談話もあるそうです。
雰囲気は抜群だからね。
振り返ればえげつない復員減少。
特に高さがえげつない。
これは事前説明に偽りなしですわ。
疑ってすいませんでした。
さぁとりあえず脱出です。
こちらのお顔を拝見せねば。
隧道はやはり両側を見て完遂と言えるのです。
片方だけじゃ寂しいもんね。
池原第1隧道
全長 121m
高さ 2.2 m
幅 1.48 m
やはり1号が最も狭かった。
そして高さがある場所のせいで、やたら狭く見えるというのもポイント高い。
さらに、こちらの坑門、立地が凄いな。
岩に食われてます。
さぁ、これで池原隧道の全てをご覧に入れたわけです。
これから僕は来た道を戻ります。
それはそれとして、どうしてこの隧道群が掘られたのか。
その歴史が気になりました。
そもそもこの隧道群がいつできたのか。
1号から順次掘削していったとのことなので、1号が古く3号が新しいと判断できます。
しかしそんなものは誤差でしかないのです。
この隧道群の竣工年。
昭和8年
余裕の戦前!
歴史の生き証人です。
かつて寺家と小佐波の間には、池原集落という集落があったとのことです。
恐らく下の写真の観音堂があるあたりかと思われます。
寺家から池原、小佐波から池原、その交通は隧道がなければ非常に大回りをしなければならないものでしょう。
この構図は同じ富山県の利賀村の交通不便と似ています。
その不便を解消するには、穴を穿つしかなかったわけです。
しかし、ちょっと小さすぎたようで、昭和40年代に廃村となったようです。
もろにモータリゼーションの時期ですね。
狭すぎたんだ・・・。
かつては多くの往来があったという池原集落。
それを見守った観音様は何を思うのでしょうか。
今なお、花が供えられる観音堂。
何とも言えない侘しさがありました。
なんかここ、また来たいな。
以上、池原隧道群編