ヒント/可能性について考える
年に1度か2度くらい市外から来られる参加者(以下Aさん)が、一年前に来られた時に「可能性について考えること(が大切だ)」と言われたことを最近思い出した。
その時、Aさんは、豊橋で予定されていた映画『ぼくたちの哲学教室』上映会&対話会の宣伝を兼ねての参加だった。(イベントは既に終了2025.7月)
Aさんは、自分も地元で哲学対話の会を開催している。岡崎とは少しやり方が違って、哲学カフェと呼ばれるものに近く、進行係を置いて話をすすめる方式だ。
地元の哲学対話との違いから、ある発言をされて、それに対して質問をした答えが「可能性について考えること」だった。
前段となる話は、「みんな(意見が)違っていい、というところで終わらせないという意識が大切だ」「みんな違っていいだけだと、単に相対主義的な態度になってしまう(すると、問題解決の基盤となる共感は生まれない)」というようなことだった。
相対主義とは違う話の目的地、哲学対話の方向性は何なんだろうと思って、質問したのだった。隣に座っていたので、休憩の時に聞いたのかもしれない。
「可能性を追求する」という言葉自体はカッコいいと思ったが、はて、何を追求したら可能性を追求したことになるのだろうか? というところは私の理解は霧の中だった。
その霧の中かから、最近になって「可能性を追求する」が姿を現した。
何冊かの本を読んで、最後、「画竜に点睛を入れた」のが岡田英弘の『世界史の誕生』だった。本の重要な視点を一言で言えば、未来を語る言葉が存在しないということだ。「歴史」という概念を一度終焉させて新たな「世界史」を創造することで、未来が語れるようになるのだ。と私は理解した。
その「未来の可能性」を追求することが「可能性を追求する」ということなのだと思った。「私たちの未来の社会はどのようになり得るか?」ということだ。