「宇田川源流」【土曜日のエロ】 中学生が最多「ディープフェイク」の問題
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 中学生が最多「ディープフェイク」の問題
今週も土曜日のエロの日になった。まあ、エロもデジタルの時代になってきて、そのまま何かほかの話になってくるのではないかという気がします。
さて、そのエロの話の前に今週何があったかを見てゆきましょう。
今週の話といえば、2月28日から始まったイスラエルとアメリカによるイラン攻撃でしょう。アメリカとイスラエルの攻撃に関しては、日本で報道されていつものと、全く報道されていない内容の二つがあるようです。実際に、「核問題」という事や「イランの体制変換」ということがあげられていますが、ではなぜ「イランの体制変換」が突然出てきたのかということなどがしっかりとわかっていないとアメリカの本音や、作戦の詳細はわからないのではないでしょうか。残念ながら、日本にはそのようなことをしっ回と解説できる人がいないようです。
それくらいのこともわからないで、スパイ防止法や国家情報局に反対する人がマスメディアの中に多いということが、あまりにも滑稽で笑ってしまいます。そもそも、イランといえば「シーア派の国」というようなことを言いますが、では「本当にシーア派の人しかいないのか」とい簡単な疑問にこたることができない人が少なくないのです。そのような「その国に行けば当たり前の情報」が全くわかっていないということが、大きな問題になるのですが、日本はすでにそれらの情報をしっかりとわかっていないとならないということになります。
態度だけ大国で情報もろくにわからないということでは、本当に子供と一緒でしかなく、そのような人々であれば、すぐにフェイク情報に流されてしまうのではないでしょうか。
<参考記事>
「性的ディープフェイク」被害は中学生が最多 「性被害」低年齢化の傾向
2026年2月26日 15時32分 日テレNEWS NNN
https://news.livedoor.com/article/detail/30656904/
<以上参考記事>
性的ディープフェイクの被害が中学生に広がっているというニュースは、非常に深刻で、親世代やそれ以上の世代の方々にとっても衝撃的な内容だと思います。なぜこれほどまでに低年齢化が進んでいるのか、そしてご質問にある「昔の妄想や手描きの絵」と「現代のディープフェイク」にはどのような決定的な違いがあるのか、その背景を紐解いていきます。
まず、中学生の被害が目立つ大きな理由は、彼らの生活がスマートフォンやSNSと切り離せないものになっており、そこで共有される「日常の写真」がそのまま悪意ある技術の素材になってしまうからです。今の子供たちは友人同士で自撮り写真を送り合ったり、SNSに顔写真をアップロードしたりすることが当たり前になっています。かつては個人のアルバムに収まっていたような写真が、今はデジタルデータとしてネット上に溢れており、それが悪意を持つ者の手に渡りやすくなっています。さらに、ディープフェイクを作成するAIツールが簡略化され、専門知識がなくても、誰でも数秒で精巧な偽画像を作れるようになったことが、この被害を爆発的に増やした要因です。
さて、ちなみに、私たちオッサンが小さいころ、まあ、中学生時代などの「性的な妄想がもっとも盛んであった時」等は、好きな女性の裸などを妄想していたり、江の上手い人はその絵を描いてみたり、または、他のヌード写真と組み合わせる(私はやらなかったなあ)などのことが会ったと思います。まあ、ある意味で、中学生くらいの若者にとって性的に興味が出るということはそれほどおかしな話ではないし、また、そのようなことは大人が止めても止まらないということが普通なのではないかと思います。とくに私のような男子校にいた場合は、女性などは妄想でしか存在しない状態でありそれ以外は犯罪の域に達してしまうので、今のディープフェイクのような「思考」はいくらでもあったような気がします。
「好きな人を妄想して絵を描くこと」と「ディープフェイク」の最も大きな違いは、その「リアリティ」と「拡散性」、そして「被害者の人格の侵害度」にあります。
かつての妄想や手描きの絵は、あくまで個人の頭の中や、物理的な紙の上という限定的な範囲にとどまるものでした。そこには描き手の主観が入り、ある種の「空想」としての境界線が明確に存在していました。しかし、ディープフェイクは本人の実際の顔写真を利用し、AIによって精巧に合成されるため、パッと見ただけでは本物か偽物かの区別がつきません。これは、単なる「想像」の域を超えて、あたかも本人が実際にその行為をしたかのような「視覚的証拠」を捏造されることに等しいのです。
また、手描きの絵は物理的な実体があるため、勝手に増殖することはありません。一方でデジタルデータであるディープフェイクは、一度ネット上に流出すれば、瞬時に世界中に広まり、完全に消去することはほぼ不可能です。被害を受けた中学生にとっては、自分の顔が知らないところで性的な対象として消費され、しかもそれが一生消えないかもしれないという恐怖は、単なる「隠れて絵を描かれる」といったこととは比較にならないほどの精神的ダメージを与えます。
つまり、昔の妄想が個人の内面における「自由な想像」であったのに対し、現代のディープフェイクは、他人の顔という個人情報を勝手に使い、その尊厳をデジタルの力で徹底的に踏みにじる「暴力」へと変質してしまっているのです。技術が進化して便利になった反面、人の尊厳を守るための境界線が、デジタルによって極めて脆くなっているのが現状といえます。
さて、ある意味で「自由な妄想」が、いつの間にか犯罪になってしまうというようなことになってしまうのはよくないのではないかと思いますし、また規制するだけでは意味がありません。今の文部科学省や社会はただ規制するだけ、「見せない」「タブー視する」などということでは、犯罪が地下化するだけであろうと思います。実際に、私たちの年代は、「エロ本」等は身近にあり、いけないものであると思いながらも隠れてみていたのは間違いない事実でしょうし、そのような経験をしていた人は少なくないはずです。現在、スマートフォンのようにそのようなコンテンツが身近にある若者に何をすべきかということを考えてみましょう。
現代において、中学生の性的なエネルギーと健全な社会を再調整するためには、以下の三つの視点が重要になると考えられます。
まず一つ目は、「想像力」の対象を「実在の個人」から切り離す教育です。昔の妄想や手描きの絵が許容されていたのは、それが一個人の尊厳を直接的に破壊する武器になり得なかったからです。しかし今は、スマホ一つでクラスメイトを「素材」にできてしまいます。中学生に対して「性的な関心を持つな」と言うのは無理がありますが、「実在する身近な人間を、本人の同意なく性的に加工して消費することは、単なるエロではなく人格の否定であり、暴力である」という倫理的な境界線を明確に教える必要があります。まあ、考えてみれば、昔も「18歳未満禁止」と書かれた本屋貸しビデオのコーナーがあったような気がします。そこに意識して入ってゆくのですが、まあ、それはある意味で勇気のいる行為で一つの抑止力になっていたのではないでしょうか。
二つ目は、デジタル・プラットフォーム側の「インフラとしての責任」です。個人のモラルだけに頼るのではなく、AIが生成した画像には自動的に「これは合成である」という電子的な刻印(ウォーターマーク)を強制したり、実在の人物の顔を性的に加工する行為を技術的にブロックする仕組みを整えたりすることが不可欠です。中学生が「隠れてやる」ことを物理的に難しくする、あるいは「それは偽物である」と誰の目にも明らかな状態にすることが、被害者を守るセーフティネットになります。まあ、本屋、ビデオ店等での抑止力でしょう。これも、今ではそのような責任が難しいですが、昔は本屋やレンタルビデオ店の店員が若いきれいな女性であったりすると、より抑止力が強く働いたことを思い出します。
三つ目に、大人が「性の話題」をタブー視しすぎないことです。規制を強めれば強めるほど、子供たちは大人に相談できなくなり、ネット上の歪んだ情報だけを頼りにするようになります。中学生という多感な時期に、性的な欲求や関心を持つこと自体は自然な成長の証であることを認めつつ、それを「他者を傷つけない形でどう扱うか」を親子や学校でオープンに語れる空気感が必要です。かつての「大らかな時代」にあった、適度な距離感と寛容さを、デジタルのルールの中にどう組み込むかが鍵となります。実際に我々は、大人だけではなく様々なところで、そのような「大人の話題」の中にあったのではないでしょうか。我々も今の若者も同じであると考えれば、もっとオープンに話をしてしまうことが重要ではないかと思います。
規制という「壁」を作るだけでなく、正しい知識という「地図」を渡すこと。そして、技術という「道具」の危うさを教えること。このバランスこそが、今の時代に求められる健全さではないでしょうか。