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死ぬ瞬間 死とその過程について

2026.03.06 10:00

     「死ぬ瞬間」。。。なんとなく重いタイトルですよね、誰にでもいつか訪れる「死」。でも日常の生活でそのことを考える人って普通の人ならまずいないと思います。普段の生活では考えることはないのでが、高齢になって体が弱ったり、重篤な病気になったり、または自分のごく身近な親族が亡くなった時、、そういった時、「死」はごく身近なものになり、否応なく考えされられるものになるのではないでしょうか。。かくいう私も普段あまり「死」に接することのないせいか、本書も積読状態のままなんとなく、読むのを後回しにしていたのですが、今回思い切って今回本書「死ぬ瞬間」を読んでみました。

  なんくなく陰気な感じでページをめくっていったのですが、でも正直なところ、読後の感想は、本書を読んでとてもよかったということでした。どこが良かったと言うと、一つは、「死」を日常的に考える人(重篤な病気の患者さんなど)や、もうすぐ死を迎える高齢者にとって、「死」という出来事を自分のものとして受け入れるには、実はとても深い、深い溝があること。そして、その「死」を自ら悟って受け入れた後も、そこ(「死」)へ最終到達するには、心理的な段階をいくつか通過(経過)しなければ理想的な(穏やかな)迎え方ができないことがわかったことです。

  それは、本人だけにとどまらず、本人の周りの親族やごく親しい人々にも影響を与えることで、本人と本人の周りの人々が、本人の「死」を受け入れ、その準備をすることにより本人と周りの人々が、穏やかな心をもって永遠の別れを迎えることができる。また、それが(本人の死を迎える)お互いのための理想のあり方なのだ、と著者は静かに語っています。逆に言えば、本人や周りの人びとが(自然で)平穏な心の状態で本人の死を迎え入れる、ということは、実はそれなりの準備が必要なのです。

  一方、人びと(患者さん)の死と日常的に接する末期医療の病院、そこにおける医療の在り方について、(当時の)アメリカの医療現場における現状が本書の最初で語られていますが、それは信じられないほど、日本の医療の現場に近いと思いました。つまり医者の意見重視で、まず医師の判断ありき、そして、次に家族がその判断を受け入れ、患者さんへの末期医療の方法が決められます。私の個人的な記憶(母の場合)も同様で、母の死期が近づいた時、その最終医療の判断をするのは当人ではなく、主治医と家族であった記憶があります。そこでは、患者さんへの一日でも長い延命治療が重視される傾向にありますが、実は、その延命治療は本人の意志とは関係のない延命になっています。

  でもそれは、自然なことなのでしょうか。。。

  例えば、古代ローマ、、まだ医療も現代のように発達していなかった当時、死期の近づいた人びと(高齢者、重篤患者)は、いよいよ死期が近いのを悟ると、徐々に人と接するのを控え、自分の部屋にこもり、家族・親族とも接見を控え、食事も避けながら一種の衰退死を迎えていったようです。

  本書は、当時医師を志していた女性(著者 / エリザベス・キューブラー・ロスさん)が自分のキャリアを病院の看護婦勤務からスタートさせ、そこで、前述したような、医療偏重で、患者の意志を尊重しない医療に反発を憶え、そこから死期の近づいている人々に寄り添った医療を実現させようと、多数の末期患者へインタビューを試み、その彼らの言葉から独自の末期医療を発達させるに至った体験を綴ったものです。彼女は末期患者とのインタビューで、多くの患者が、「死」を宣告されてから死去するまで、共通の段階を通過していることを発見します。

  まず第一段階は、「否認と隔離」。患者さんが医師から「死」の宣告を受けて最初に示す反応は、自分の死を否定することです。なぜ、自分だけが。。とその宣告を受け入れることができないのです。そして第二段階「怒り」において、患者さんは、まわりの人が普通に生活をしているのになぜ、自分だけが死ななければいけないのか?と告げられた状況を受け入れられない、という反応を怒りによって表します。第三段階は「取り引き」、この段階では、患者さんは自分の状況を改善するために何かを犠牲にすることを考えます。(つまり、自分の持っている何かを犠牲にしてでも状況を改善したい、と考えるのです。)例えば神様に「もし私が治るなら、もっと良いことをします。」という、お祈りがそれにあたります。第四段階は「抑鬱(よくうつ)」。患者さんがいよいよ自分の状況を受け入れ始めると、悲しみや絶望感が心を支配する時間が多くなります。そして、第五段階「受容」、患者さんが死を受け入れると、死に対する考え方が「永遠の別れ」から「休息」に変わる傾向が見られ、感情の起伏が穏やかになることが多く見られます。

  自分の親(母)の時をかえりみると、自分のことで忙しく、看病に行く、いけないとか、そのような実務的なことばかりが頭の中を占め、本人が今どんなことを考えているのか(上のどの段階を経過しているのか)、そして、自分はどうやったら、その時その時の本人の想いを本人とシェア・共感し心の負担を軽減させてあげられるのかとか、そいうった母の心の状態(つまり前述の5段階)については考えてあげられず、最後の毎日を平穏に過ごさせられるか、、など、果たしてどこまで本人の心に寄り添って、あるいは、理解をしようとしていたのか、今思うと恥ずかしい思いがします。

  本書を読んだ今だとわかるのですが、当時の記憶をさかのぼると、病院で母に寄り添っている時の母がずっと黙っている時間、孫のことを語りかける時間、あるいは、夢とも現実ともはっきりしない(幼少の思い出?)を語っている時、、そういった時間、時間で、当時の母は、自分の最後の時を迎えるための(前述した)心の準備のステップをふんでいたのだと思います。 当時の自分は、そいうったこともわからずにただ漠然と母から問いかけられたことに、話しかけているだけだったように思います。当時この本を読んでいれば、もっと母の心の経過に寄り添えた会話ができたのではないか、、とも思います。

  本書が日本で紹介されてしばらくすると、日本でも末期患者さんを対象としたホスピス医療が立ち上げられましたが、そのホスピス医療を開拓した、東京・築地の聖路加病院の日野原重明さんも本書の影響を受けた一人です。本書には、我々みながどうしたら人生最後の瞬間を、平穏に迎えられるか、、そのヒントがあるように思います。「死」を余計に軽んじたり、または避けたり、或いは、恐ろしがったりするのではなく、もっとリスペクトし、患者さんと患者さんのまわりの人たちが、患者さんの死に至るステップを一緒にシェアし・通過していき、本人の最後の瞬間を皆で迎えられたら、残された人びとにとっても、安らかなままで本人の最後の時を迎えられるような気がします。