自分の喜びに赦しを出すことで
私は自分の喜びがわからずに生きてきました。
幼少期、かなりの天真爛漫だったことから、常識を重んじるように育てられた経緯もあり、
自分の気持ちというのは、反発心だけが育っていったと言っても過言ではないと思います。
なので、何が自分にとって大切なのかわからない、何がしたいのかわからないという時期が長かったのです。
楽しいと思って笑っていても、何かが違う。
仕事を頑張っていても、何かが違う。
私のやりたいことはこれではない、という思いがずっと腹の底でうごめいていたのです。
今から思えば、自分の喜びというものを感じたのは、美しい石の結晶に出会った時でした。
眺めれば眺めるほど美しく、見つめるたびに表情が変わる。
その中に生命を見出すというか、石というものにも意識があるのではないかと思った瞬間でもありました。
もともと新しいことを始めるのは大好きでしたが、
「美しいものを見つめる、手に入れることが罪」だと思い込んでいる自分にも気付いたのです。
何かその未知のものに出会った時のワクワクが、それを赦すきっかけを作ってくれました。
美しいものを手に入れてはいけない、綺麗なものを意識してはいけない、
そんな呪いのような思いが私の世界を狭めていました。
しかし、世界は見れば見るほど美しい。
自分にわずかな赦しを始めた直後から、空の美しさに惹かれて写真を撮り始めました。
空の次は緑。石はなかなか美しさをうまく写真に収められないので、直に見ることが一番ですね。
その点でも人に似ているなと思います。
人も直に会えるのが一番美しさがわかりますからね。
話は逸れましたが、自分の中は思ったよりいろいろ制限しているものです。
本当に見たいものを見て生きたいと今は意識して思います。
人でも石でも、生き生きしている様子は美しい。それを見ることが私の喜びなのだと思います。
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