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偉人『紫式部』

2026.03.13 00:00

今回の人物はを記事にしようと思いつつなんだかんだと流れに流れ、頭の片隅にいつも鎮座していた。明日は愛のお返しを行うホワイトデーということもあり、主人公光源氏の恋愛や人生、そして彼の死後の世代まで続く人間関係を描いた女流作家紫式部を取り上げる。この偉人記事をどのような切り口で話を進めるか絞りきれない時には頭の中での滞空時間が発生し、その時間が長ければ長いほど失墜してしまうことが多い。そうならぬために手を動かし簡単な柱を数本建ててから記事を書く。しかし今回は鎮座時間が数年ということもあり、アナログ派の私であっても脳内でプロトタイプを組むことによりスムーズに行けそうである。ならば50分ほどで書き上げてしまおうと今まさにカチャカチャ指を動かしているのである。

さて平安時代に活躍した紫式部は本名ではなく、作品の登場人物「紫の上」と父の役職「式部丞」から付いた呼び名といわれている。父は学者で役人の 藤原為時、貴族の出ではあったが易々と仕事に就くことができず、というよりも仕事に恵まれず生活にゆとりはなかった。貴族でありながら数人の使用にしかおらず日々のやりくりには苦労していたようだ。が子供の教育はしっかりとしており、娘紫式部は父の教育で当時の女性としては珍しく、漢文などの学問にも精通したかなりの知識人であり文化人として育った。

紫式部は結婚から間も無く夫を亡くし娘を育てるために一条天皇の中宮彰子に仕える女官となった。宮廷では文学や和歌の才能を発揮し、現代では日本文学だけでなく世界文学史でも重要な作家として海外の大学でも研究されている。ところが超がつくほどの頭脳でありながら史実史料ではかなり人間くさい面を自らの日記『紫式部日記』に記してしまった。その中でも痛烈な批判の矛先を向けられたのが『枕草子』を書いたライバルの清少納言である。二人は入れ違いで宮廷に入ってきているため直接火花を散らすことはなかったが、紫式部は清少納言のことを辛辣な言葉で批判した。

「清少納言は利口振って漢字を書き散らしておりますが、まだまだ足りないことが多い。人より優れていると思いたがる人は、必ず人より見劣りするし、将来は悪くなるだけ。」またこうも記している。「風流ぶっている人は本当につまらない時でも感動しているように振る舞うから自然と不誠実な態度になってしまうに違いありません。」と言う具合だ。清少納言の『枕草子』を多くの貴族が読んだことが気に食わなかったようではあるが、それにしてもなかなかの批判である。

ではこの辛辣さはどこからくるのかを考える前に紫式部の観察眼の鋭さを理解できる作品に焦点を当ててみよう。日本人は中学・高校と源氏物語を学ぶ。しっかりと学んだ人は人物描写に優れていることに気づいたであろう。紫式部の非常に鋭い観察力が『源氏物語』だけではなく『紫式部日記』でも読み取ることができる。例えば『源氏物語』では恋愛での微妙な心の揺れ動き、貴族社会での見栄や権力争い、女性同士の嫉妬やプライドの高さなど細かく描かれており、これは単なる想像だけでは描くことができない。つまり宮廷に女官として仕えていたからこそ実際に見聞きした人間関係をよく観察し文章に反映することができた。また『紫式部日記』では紫式部が仕えた 藤原彰子 の宮廷での出来事や人々の様子が記されており、他の女房たちの性格や宮廷の噂話、儀式や行事での人々の振る舞いなどかなり冷静かつ辛口な表現で観察した内容が記されている。「あの方は教養があるが軽薄」、また別の女官については「漢詩は上手だが人柄は苦手」、「あの人は騒がしいだけで中身がない」「この人は品がない」「あの人は字が下手」かなり率直な評価をしており、これらのことから紫式部は人をよく見て観察し分析する性格だったことが窺い知れる。

ではなぜ紫式部はこのような鋭い観察眼を身につけたのか。私の憶測ではあるがその理由をいくつか挙げておこう。

まず一つ目は分析力。それは. 学者の家に生まれ、漢文学・和歌・歴史などの教育を受け、これらの知的な学びに触れることにより人や社会を分析的に見る力が育ったと考えている。事実父為時は「この子が男だったらよかったのに」と語ったとされている。この教育的環境は対象を分析する力の育ちであり観察眼の種まき的学びである。


二つ目が紫式部の内向的面である。『紫式部日記』を読んでいくと人付き合いが得意ではなく物静かで周囲を冷静に見ており、人の輪の中心にいると言うよりも一歩引いて周囲を観察するタイプであったことが容易に想像できる。このような人物は自然と観察力が長けてくると同時に直感力も研ぎ澄まされる傾向がある。内向的は時に自らの内声に耳を傾けることができるため冷静沈着に物事が判断できるとも言えるだろう。


宮廷では外側の人だったということが三つ目の理由である。紫式部は藤原彰子に仕え、華やかな宮廷社会に入ったものの有力な家柄ではなく、政治的な派閥の中心でもない。つまり宮廷の中心にいる家柄や人物的なもので蚊帳の外であった。つまり家柄や華やかさの中心にいる人物から少し距離を取る立場にあり、観察者としての立ち位置でじっくりと人間観察ができたのだ。だからこそ複雑な人間関係から距離を取ることができ、嫉妬や権力争いに巻き込まれることもなく冷静に物事を見抜き見極める力が培われたのである。


そして最後の四つ目は夫の早い死、そして一家を支え子供と離れて宮仕えなどの選択を否応なく取らざる得なかったことが人を観察した上で辛辣な批判をしたことに深く関係している。裕福で恵まれた貴族女性とは真逆の厳しさを味わったことが、紫式部にとって鋭い観察眼と鮮やかな分析力、そして人生の無情さを味わう心のささくれを彼女の中に残したように感じてならない。若かりし頃の本当の意味での苦労を味わっていない純粋な時の紫式部の魅力とは一線を画したもう一人の紫式部が形成されたのが結婚後である。夫に早く先立たれ、幼い娘を育てなくてはならず、実家も頼れない、なんなら実家も支えなくてはならない状況である。娘を実家に残し宮廷に仕える母親の想いに至れば、母とし自分の手で育てることも叶わず、娘の将来のため実家を支えるため現実的な決断を下す以外方法はなかったはずである。紫式部の「母としての愛情」と「生きていくための選択」を自分の心の中で推測ってみても、貴族の譫言を並べる生活など取るに足らないものだったであろう。そう考えると公然と悪口を言うのではなく、辛辣な言葉を日記に綴るくらい許してもいいのではないだろうか。

紫式部の辛辣さは彼女の人生そのものである。人間性というものはその人の歩んできた人生の影響を大きく受け、なおかつその人が持つもの全てが表面化するものである。どのような人になるのか、どのような人生を歩むのか、子供達の未来はいく様にも描くことができる。子供達の未来のキャンパスにどの様な風景が描かれ、子供達の人生の原稿用紙にどの様な文章が書き綴られるのかは今まさに育っているものが下絵となって、文章の柱立てとなっているのである。豊かな人生となるために深く物事を見聞きし、自分の意見が持てるように、関わる人々との良い関係性を持てるようにと親が教え導き、共に帆を進めてほしいものである。


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