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RAVISH MOTOR WORKS

震災から15年、昔と今

2026.03.11 13:26

今日は東日本大震災から15年でしたね。

被災地域岩手県でお店をやらせてもらっている店主も色々想いがあります。


15年前、店主は某テレビ局の音声&照明マンのアルバイトをしていました。

3.11直前にあった前震、3.9の取材が一段落して一息ついたころ

あの時ってなんだか胸騒ぎがしたんですよ、これだけじゃ終わらない気がするって。

そしたらあの揺れが来て、混乱の中第一報の取材に局周辺を走り回る。


盛岡にいたけどモニター越しで見た各地の惨状。

父親が転勤族だったのと、母方が海沿いの出身だったので

幼少の記憶は半分以上が岩手県の海沿いの事ばかり


盛岡周辺の状況も分からないまま真っ先に海沿いの町まで走る。

道路があちこち寸断されていて到着したのは夜。


停電で明かりのない避難所にすし詰めの避難者。

取材のために取材用のライトを点けると群衆から「明かりだ!おお!!」と声が上がる。

取材が終わりライトを消す、周りから残念な声や泣きそうな子供の声が漏れる。

心が痛んだ。


場所を変え、深夜に到着した県立大船渡病院の駐車場で一夜を明かす。

ガス爆発の音が止まない、病院内も避難者であふれかえっている、皆不安な顔。

中継クルーが持ってきてくれた賞味期限切れのカップヌードルの味は今でも忘れられない。

自分たちだけ食ってていいのかと罪悪感も含めて。


明け方、自衛隊が津波浸水区域へ救助へ向かう。

まだ大津波警報が解除されていないところへ取材クルーとして一緒に向かう。

生きた心地がしない、いろんなことが頭によぎる。

生存者、ご遺体、人も、人以外もたくさん目にした。


宮古市田老も通った。

堤防の影響で湾内の土砂やゴミが市内に滞留したまま。

自衛隊が重機で道を作ってくれて、そこを歩いた。

行きと帰りで自衛隊が掘り起こしているところ、独特のにおいで何をしているかすぐに分かった。


釜石市鵜住居のがれきの中にも行った。

倒壊して流された住居、二階部分だけ漂着。

そこからずっと音がしていると思い見てみると、火災報知機が鳴り続けている。

人間の生活が奪われた場所へその音だけが鳴り響く冷徹な世界を見た。


他にも

現地の方たちの人間模様、生きるために必死にたたかう姿、やりきれない思いを漏らす声

沢山、本当に沢山見聞きした。


それでね、前置きが長くなっちゃったんですけど

ウチが今このお店をやってる理由もここにあって


当時取材で釜石に向かうとき、警察署に被災して回収された車が並べてあって

そこにすごく綺麗な33GT-Rがあったんです。

その車は津波にのまれて使用不能、他は本当にきれいなのにスクラップになる運命。


当時の店主の心中は、なんのスキルもないのにこの車を救えないか毎日考えてたんですけど

結局何もできないままその車はスクラップに運ばれて行って。

そこで思いついたのが、自分が鈑金塗装屋になってその車以外の車を

オーナーと一緒に一日でも長く一緒にいられるようにサポートできるようになろう。

車はロット生産だから、ロットが兄弟って考えると該当の車はダメだったかもしれないけど

その前後の兄弟が代わりに走ってくれたり、楽しんでくれたら素晴らしいと思って

そこから5年後

鈑金塗装屋さんでの修行を経てRAVISH MOTOR WORKSを開業して現在に至ります。


昔話、ごめんなさいね。

けどウチの経営理念というか、想いというか。

「オーナーと車がどちらも楽しんでくれる、ワクワクしてくれるものを提供する」

てのがベースです。

RAVISHは「狂喜させる」という意味、ここからきてます。


震災、マイナスな話が目立つけど

僕はあれがあったから立ち上がって今これをやらせてもらってる。

憎い、けど、感謝。

今の妻にもこれがきっかけで出会えたし(これは後で書きます)


まとまらないので今日はこの辺で。

明日からも皆様よろしくお願いします。

読んでいただきありとう。