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オムツと涙とハーバード

制度の充実と社会的育てやすさはイコールではない:育てやすい社会を作るために。

2019.03.10 05:51

今日は、千代田区のママの集まりである「ちよママ」の

「海外での子育て」というテーマでのディスカッションに

TV電話で登壇させて頂いた。


他の海外子育て経験者の皆さんと一緒に、

僭越ながら短い自分の海外子育て経験で感じたことを

お話したのだが、


改めてボストンで子育てしていて、

「いいな」と思うことは以下のようなことだなー、

と振り返る機会となった。


1) 社会の目のあたたかさ


ボストン(多分アメリカ、欧米全般)は子供に対する目があたたかい。


都内で電車やバスに乗る時や

レストランで子供が騒いだ時などの冷たい目線への恐怖、


ベビーカーでエレベーターに乗りたくても譲ってもらえない無念さ、


エレベーターが無いから子供とベビーカーとデカイ荷物を

泣きそうになりながら必死で抱えていても、

誰も声をかけてくれない悲しさ、


・・・とか、そう言う経験をすることは、まずない。


 レストランも、大体ほとんどの店に子連れでも入れるし、

すぐベビーチェアを出してくれる。


入りやすいだけでなく、

たとえレストランで泣き出してしまって、

「あ、しまった」とか焦っていると、


「元気でいい子ねー、心配しなくて大丈夫よ、

みんなが通る道なんだから」とか、

他のお客さんでわざわざ声をかけてくれる人が、

必ずいる。


店員さんも、子供がいるとニコニコあやしてくれたり、

「クラッカーいる?」とか聞いてくれたりする。


ドアは必ず開けてくれるし、

大荷物と子供を抱えていたりすると、

同じ道を歩いていた見知らぬ若人が持ってくれたりする。


大学院の授業でさえ、

ベビーシッターが来れなくて困っていたら

教授が「子供を連れてきていい」と言ってれたり、

雪で保育園が閉園して困って相談した時は

すぐさま「授業はビデオを撮るので後で家で見るように」

と言ってくれたりする。


 なぜ日本であんなに怯えて、

不便に思って生きていたのか不思議なくらいだ。


2) 個人を尊重した多様な生き方の許容ができる。


子供の保育園でもアンチ・バイアス教育がされているくらい、

多様性の許容、を重要視している。

(リベラルなマサチューセッツだからという要素は少なからずあるものの。)


 アンチ・バイアス教育では、


「あの子はお弁当は、毎日お米、この子はパスタ。」

「あの子はママがいなくてパパが2人、

この子のママはいつも頭にスカーフを巻いている。」

「あの子はクリスマスを祝う、この子はお正月を祝う。」


「みんな違いがあるね。

でも、『違う自分』を好きでいていいし、

『違うお友達』を好きになろう。

それが素敵なことだよ、、」と教える。


子育ても自分のやり方を尊重してくれる。


おしゃぶりを結構大きくなるまで使う子もいるし、

母乳・ミルクで悩んだり責めたりしない。


「こうあるべき」という常識にとらわれることなく、

自分にとって最適だと思う選択を尊重し、

そして色々な選択肢を許容してくれる。


3) 自分のことを大切にする、そして自分で変えていく。


夫婦で夜ベビーシッターさんに預けて食事をしたり、

パーティに参加したりすることが普通だ。


お母さん・お父さんがいたい自分でいられるように、

ヨガや運動をする時間を作る、

子供に誇れる仕事をする、

など、子供と同じくらい自分も大切にする意識がある。


そして、何より、以前紹介した通り、

整っていない制度や設備について、

文句を言うだけではなくて、

自分たちが動いて変えていく!と言う意識がある。



一方で、最大のマイナス面は、

公的制度が全然整っていないこと。

育休しかり、保育園の値段(月30万円くらい)しかり。


資本主義的にお金を出せば沢山のサービスがあるが、

それでも保育園は待機児童が沢山。


ベビーシッターさんも、

玉石混合なので

きちんと自分で信頼できるソースを探したり、

面接したり、情報を要求したり、

きちんと調べたりすることが求められる。


***


他の海外子育て経験のある方や、

東京で育てていらっしゃるママ・パパの

子育ての悩みを聞きながら、


東京(特に千代田区)は制度は充実しているけれど、

社会的育てやすさと言う意味ですごく窮屈で、


アメリカは制度はボロボロだけど、

個人の選択と責任(と資金力)次第で

色々な自分らしい生き方が尊重される。


そんな違いが見えてきた。


***


行動経済学の有名なランダム化比較実験で、

イスラエルの保育園で、

園児のお迎えの時間に遅れることを防ぐために、


少額の罰金を導入した場合と、しなかった場合、

親のお迎え時間はどうなったか、と言う実験がある。


結論は、

経済学の原理や設計者の意図に反して、

罰金を導入した方が遅れてくる割合が増える、

と言うものだ。


罰金を払うことで、免罪符のように

遅延が許されるものだと言う意識になってしまうからのようだ。


「制度はあるけど、すごい窮屈」

という今の東京の子育て環境を思って、

この実験を思い出した。


制度や設備があることは、大前提で大切な第一歩だけれど、

制度があることだけでは、必ずしも育てやすさには繋がらない。


入れ物作ったから、もういいやー、ということではなくて、

その中身を充実させていくことが大事だ。


そして、そのために自分ができることは何か?


例えば、

*まずは、率先して子連れの人に優しくする行動をとる。

 *若い頃からのベビーシッター体験、男性の育休取得など、

 周囲の人の子育て経験の接地面を増やす方向に。


都心に住んでいると、周りの子供達と触れ合う機会もなく、

自分も子供を育てるまで、

子供や子育てをする親御さんの大変さに対する理解は

ほぼ皆無だったと思う。

(私も電車で冷たい視線を送っていた一部だったかもと思うと辛い。)

理解者を増やすこと、

理解しようとすることはすごく大切なことだ。

そしてそれは子育てだけではなくて、

色々な境遇(障がい、病気、外国人、LGBTQ)について言えること。


* 不確実な情報や、世間で信じられている根拠のない常識を見極めて、

自分なりの生き方、子育てを選択して、

後悔の無いように、罪悪感を感じないように楽しむ。


例えば、たまに子供を預けて

夫婦で美味しいものを食べにいく時間を作流ようなことは、

(これは、私にとって美味しいものを

夫と食べにいくのが一番の幸せだから言っているだけで、

他のことでも良いと思う。)

もっとあっていい。


***


千代田区のママ達が、

ママになっても利害関係なく付き合える友人を作って、

楽しんだり活動したい!と

自分たちでネットワークを作ったのが

「ちよママ」だそうで、

とてもアクティブ。

素敵なエネルギーをもらった。


こっちにいて日本の課題ばかり検討していると、

人口減だー、高齢化だー、医療費だー、負債だー、プレゼンスだー、軍事脅威だー、、、、

と、暗い話ばかりになりがちなのだが、


このママ達のエネルギーと、

ママ達と一緒に参加しているパパ達と、

会場の中を元気に走り回ってはしゃぐ子供達から


日本の未来の明るさを感じ、

元気をもらった。


(ケネディ・スクールのロゴの上に乗って遊ぶ。)