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一号館一○一教室

小津安二郎 監督『お茶漬の味』

2026.03.14 07:00

女優・木暮実千代と
電話機のただならぬ関係


777時限目◎映画



堀間ロクなな


 先般、往年の名女優・木暮実千代にわたしがインタビュー取材した45年前のエピソードを記事にしたのをきっかけに、木暮の孫のsatoさまとのあいだにやりとりが生じた。



 それによると、わたしが訪問した際の東京・田園調布の邸宅はもの静かな雰囲気だったものの、当時、木暮が保護司として支えていたおじさんたちや数名のお手伝いさん、10匹ばかりの犬猫もいて、いつもはたいそう賑やかだったとの由。さらに興味深かったのは、あのとき1時間の予定の取材が約4時間におよんだのを踏まえて、ふだんから木暮が話し好きだったのかを尋ねたことへの回答だった。「超おしゃべりで寂しがり屋」の祖母は、毎日何時間も娘(satoさまの母)に電話して親子喧嘩をしていたことが思い出されます、と――。



 そこで、忽然と脳裏によみがえったのは、木暮が出演した唯一の小津安二郎監督作品、『お茶漬の味』(1952年)のシーンだ。



 裕福な家庭に生まれ育った佐竹妙子(木暮)は何不自由ない暮らしのなかで、商社の機械部長をつとめる夫・茂吉(佐分利信)の地味な性格が肌に合わず、その目を盗んではあれこれと気晴らしをしていた。ある日、学生時代の友人のアヤ(淡島千景)や高子(上原葉子)、姪の節子(津島恵子)とつるんで修善寺温泉へ繰り出すことになった。妙子は茂吉にかれも面識のある高子が修善寺で盲腸炎を起こしたのを見舞うためと偽って出発し、旅先の宿では「鈍感さん」と友人たちに向かって笑いものにしたあげく、夜になって座敷の電話機を取り上げると自宅の夫へアリバイづくりの連絡をするのだった。



 「モシモシ、あなた? あたし。あのね、5時ごろ着きましたの、修善寺。高子さん、やっぱり盲腸でした。ええ、さっきまで大変痛がっていましたけど、やっと落ち着いて、いまスヤスヤと寝ていますの〔友人たちにペロリと舌を出してみせる〕。え? いいえ、手術しなくても済みそうなの。ええ、たぶん明日は帰れますわ、少し遅くなるかもしれないけど……。ええ、じゃ、おやすみなさい。さよなら〔またペロリと舌を出す〕」



 この場面、木暮の演じる妙子は嬉々として、まるで受話器と戯れているかのようだ。実際、心の通わない茂吉と、嘘八百とはいえこんなふうにしゃべりできるのも電話だからこそで、翌日帰宅して、ふたたび夫と顔を突き合わせれば会話らしい会話も成り立たず、おたがい気まずい沈黙のなかに引きこもるより仕方ないのだった。そうしたところ、突然、会社の命令で茂吉が南米ウルグアイへ出張することになり、友人のアヤや高子、姪の節子は羽田空港まで見送りに出向いたのに、妻の妙子はすっぽかしてしまう……。



 実は、小津安二郎監督はもともとこの作品を日中戦争のさなかに企画して、そこでは夫に召集令状が届いて戦地に向かうという設定だったところ、検閲当局に却下されて実現できなかったのを惜しんで、戦後にシナリオを改めて映画化したのだった。一方の木暮実千代(本名・和田つま)はすでに女優として活躍していた戦時下にあって、20歳年上の従兄で作家の日出吉から求婚されると手に手を取って満洲(現・中国東北部)へ渡り、敗戦により九死に一生を得て帰国したのち、娘の日実子(satoさまの母)を出産する。つまり、映画の役柄とはまるで反対の生きざまだったといえよう。



 妙子は、旅客機のエンジン・トラブルで舞い戻ってきた茂吉を迎えて、いっしょにお茶漬けをすすりながら夫婦の絆を見つめ直すことに。そして、後日、自宅に遊びにやってきたアヤ、高子、節子に向かって夫についてこんなふうにこう告げるのだ。



 「知ってんのよ、なんだって。驚いちゃった。いつかの修善寺、ちゃあんと知ってんの。嘘つくならもっとうまくやれって。うまい嘘より、へたな本当のほうがいい。あとで心配がないだけ、よっぽどいいじゃないかって」



 いかにも小津作品らしいペーソスあふれる成り行きに、家庭の内と外をつなぐ電話機は格好の小道具だったろう、今日のような個人と個人を直結する携帯電話やLINEではこうしたドラマは起こせなかったのに違いない。まさにそうやって人生の哀歓を巧みに表現してみせた木暮が、現実の夫・日出吉を看取ったのちの晩年に至って、毎日娘と電話機で親子喧嘩していたとはなんとも微笑ましいではないか。さらに、satoさまはこう教えてくれたのである。だから、祖母が亡くなったときには棺桶に電話機を入れてあげました、と――。わたしは有名無名を問わず、電話機とともに昇天していった人物を他に知らない。