時代が追いつく、ということ
最近、ようやく言葉になったことがある。
「時代が追いつく」ということだ。
この言葉を、私は長いこと少し曖昧に受け取っていた。
早すぎた人が、あとから評価されること。
そんな意味で捉えていた気がする。
しかし今、自分の身に起きていることは、それとは少し違っていた。
それは、
自分が昔からやりたかったことが、ようやく実装できる時代になった
ということである。
これは、単に便利になったという話ではない。
もっと大きな変化である。
対話の中に、ずっと見えていたもの
私は昔から、対話の中で起きていることを見ていた。
誰かの見え方が少し変わる瞬間。
問題だと思っていたものが、別の構造として見え始める瞬間。
以前の私は、それを90日というまとまった時間の中で受け取っていた。
クライアント自身に変化のストーリーを書いてもらい、私はそれを編集し、公開していた。
Hitomism ひとみずむという読み物である。
しかし本当は、もっと短い時間の中にも、その人のかなりの部分が入っていることを、ずっと感じていたのだと思う。
30分。
1時間。
ただ話しているだけのようでいて、その数十分の中に、その人の前提も、怖さも、癖も、可能性も、かなり入ってしまう。
たぶん私は、昔からそれをやりたかったのだ。
ただ、それをそのまま作品として残すには、前の時代は少し重すぎた。
文字起こしに時間がかかる。
整えるにも手間がかかる。
形にする前に、熱が冷めてしまう。
ここにあったのは、発想の不足ではなく、実装の重さであった。
しかし今は違う。
AIがあることで、対話をすぐに文字にできる。
そこから読み物にできる。
タイトルも導線も整えられる。
シリーズとして公開することもできる。
つまり、
頭の中にあったものを、熱があるうちに現実に置けるようになった。
これが大きいのである。
Etsyでも、同じことが起きていた
そしてこれは、対話の仕事だけの話ではない。
たとえば、Etsyで商品を見せる時もそうだった。
私は昔から、ただ商品を置くのではなく、コーディネートや空気ごと見せたいと思っていた。
アパレル店長をしていた頃、実際にスタッフに服を着せ、写真を撮り、世界観ごと見せて売っていた。
だから、「そう見せたい」という感覚そのものは、昔からあったのである。
ただ、それを自分ひとりでやるのは難しかった。
モデルが必要で、服が必要で、撮影の手間も必要だったからだ。
実装コストが高すぎたのである。
それが今は、AIでできるようになった。
つまりここでも、
やりたいことが変わったのではなく、
やりたかったことを実装できるようになった。
ということが起きている。
軽くなったのは、能力が増えたからではなかった
さらに面白いのは、軽くなった理由が「能力が増えたから」ではないということである。
たとえば私は、長いこと料理をほとんどしてこなかった。
理由はたくさんあった。
調味料を揃えるのが面倒。
材料が余るのが嫌。
一人分を作るのが難しい。
何を作ればいいのかわからない。
つまり、料理が嫌いだったというより、
料理をしない理由が山ほどあったのである。
しかしChatGPTが出てきて、それが変わった。
冷蔵庫にあるもので何が作れるか教えてくれる。
買い物の時にどれを選べばいいかも教えてくれる。
手順まで細かく示してくれる。
そうなると、料理が好きになったというより、
料理をしない理由がなくなった。
これもまた、「時代が追いつく」ということの一つであった。
人が軽くなるのは、気合いが入る時ではない
人が軽くなるのは、気合いが入る時ではないのだと思う。
重かった理由が消える時である。
やらない理由。
できない理由。
一人で全部抱えなければいけない、という前提。
そうしたものが外れていく時、人は軽くなる。]
そして軽くなると、現実が動き始める。
メールレターが書ける。
新しい読み物が公開できる。
対話が作品になる。
昔のスキルが再起動する。
これらは別々の出来事ではない。
前提が変わったことで起きている、一続きの変化なのである。
私にとっての「時代が追いつく」
たぶん「時代が追いつく」とは、単にあとから評価されることではない。
昔から持っていた感覚や、やりたかった方法が、
ようやく今の道具と結びつき、現実に実装できるようになること。
それが、私にとっての「時代が追いつく」である。
だから今の私は、新しいことを無理やり始めている感覚ではない。
むしろ、
ようやく、昔からやりたかったことが普通にできるようになってきた
という感覚のほうが近い。
もし今、自分の中に何か重いものがあるなら、
それはやる気がないからではなく、
重くなる理由を抱えたまま動こうとしているだけかもしれない。
そして、その理由が外れた時、
昔から眠っていたものもまた、動き出すのだと思う。
時代が追いつくとは、
そういうことなのだと思う。