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【OSHINO DEAD SP 2/CHINA CATS TRIPS BAND( 石井“K”&村岡“oharu”雄治) インタビュー】アドリブからもたらされるグルーブ

2026.03.16 05:51

1980年代前半に活動を開始したCHINA CATS TRIPS BAND。88年8月に開催された「いのちの祭り」をはじめ、日本各地で行われてきたマツリと呼ばれる野外フェスが、このバンドのライブ活動の主軸だったと言っても過言ではない。グレイトフル・デッド〜カウンターカルチャーから受け継いだものとは何か。7年ぶりに開催されるOSHINO DEADでも彼らは独自のスタンスを変えずにステージに立つ。


––– まずチナ・キャッツ結成のことからお聞きしたいのですが。

O 77年ごろから俺とマサ(韮澤雅晴)は熊本にあったLOVE家(ラブケ)というコミューンにいて。そのころから俺とマサとハッツァン(橋本昌明)は熊本でバンドをやってたの。ある日、鹿児島のハイカグラという店でライブをやることになって、ハイカグラで働いていたOjoさんを訪ねて東京から来ていたかっちゃんとはじめて会って。

K 約50年前の話だよ。東京でもグレイトフル・デッドの曲を演奏するバンドなんてない時代に、デッドの曲をカバーしていたんだよ。話しかけたのは、「熊本から来た」と言ってたから。鹿児島に来て1ヶ月くらい経っていて、鹿児島での日々が飽きていたから、新しい場所に行きたいと思ってたんだよ。それで熊本に行けるかなって思って話しかけた。

O なぜだかわかんないけど、意気投合しちゃって。そしてかっちゃんは熊本にちゃんと来て。

K ヒッチハイクして行ったんだよ。当時、ヒッチでの旅は当たり前だったから。

––– オハルさんのバンドはデッドの曲をカバーしていたんですね。

O その頃は「Me and Bobby McGee」と「One More Saturday Night」の2曲だけだったけど。

K コミューンがあったから、俺たちの世代は高校生の頃からデッドの音楽を聞いてんのよ。

O コミューンにはアメリカ帰りの旅人もいっぱい出入りしていたしね。

K オハルたちのライブが熊本で決まってて、スタジオに入るっていうんで、俺も遊びに行って、一緒にスタジオで遊んでいた。それがきっかけと言えばきっかけ。その時は、結局3ヶ月九州をウロウロしてた。新宿で部屋を借りていたから、東京に戻ったのよ。オハルたちには「また来るよ」って言ったけど、戻ってきたら電気が止められていたりだとか、いろいろ大変なことがあって。そんなときに「いつ来るの?」って九州のオハルから電話が来た。俺は行けそうにないってことを伝えたと記憶しているんだけど、そこははっきりしてない。ある日突然、九州から段ボールが10箱くらい届いて。

O かっちゃんが居候していた家に荷物を送ったんだよね。

––– そこで共同生活がはじまったのですね。

K  下落合のアパート。まさに神田川の世界だよ(笑)。

O そこは狭いんで、代々木八幡のちょっと広めのマンションに移って。

K 代々木八幡には半年くらいいたかな。偶然に国立で住むところが決まって。

O それが70年代の終わりころのことで、国立に越してきてから、なんとなくバンドとしてはじまっていって。

––– 一緒にいることで、バンドとしても活動していくことになっていったということなのですね。

O チナとしての最初のライブは、80年に能登半島で開催された「海といのちの祭」。

K ローカルの小さな野外イベントばっかりに行ってた。ライブハウスではほとんどやらなかったからね。交通費がやっと出るくらいのイベント。全然出ないことも多かったね。けれどそんな野外イベントを、やってくれるだけでありがたくて。なんでバンドをやったのか、やってたのかっていうと、楽しくてしょうがなかったんだよ。ヒッピーやフーテンと呼ばれているような奴らもいっぱいいた。自分と同じような連中が、そこにはいっぱいいた。それがおもしろかったんだよ。

––– 80年代前半には、今でもマツリと呼ばれるような小さな野外イベントが全国で開催されていたのですか。

K あったね。栃木とか群馬の榛名湖とか長野とか。だけど東京じゃなかなかできない。チナが全国から呼ばれるようになったのは、やっぱり88年の「いのちの祭り(ハチハチ)」から。

O ハチハチはやっぱりおもしろかったですよ。同窓会みたいに「おお久しぶりー」っていう再会があちこちで起きていて。

K そこではじめて会ったバンドも多かったしね。

––– チナキャッツは「OSHINO DEAD」には初回から出演しています。

K 何がおもしろいって言ったら、やっぱり人との出会いだよね。だからどのイベントに行くかの俺の判断は、誰がやっているか、誰が誘ってくれるのか。いろんな奴がいて、いろんな奴と出会って、ふとしたことで意気投合する。山中湖でもそういうことが起こった。山中湖での俺たちのライブに小野ちゃん(小野志郎)も来ていて。しばらくして、忍野にあるEggs & Shep Studioっていうところにレコーディングに来ないかって小野ちゃんが誘ってくれた。そこは細野(晴臣)さんも使ってたスタジオ。広くて、設備もいいんだよ。プロトゥースが出たばかりのころで、デジタル機材を使って、そのスタジオでどんな音が録れるのか、試してみたかったらしいんだよ。それで俺たちが呼ばれた。泊まれる場所もあったし、断る理由はないからね。それでレコーディングしている合間に表を散歩していたら、庭の隅にステージがあって。「ステージを使えるの?」って、スタジオの支配人だった井上さんっていう人に聞いたら、「使えますよ」と。それで小野ちゃんに「春にここで野外イベントをやろうよ」っていう話を漠然として。井上さんも小野ちゃんも乗ってくれたんだけど、小野ちゃんはほどなくして亡くなっちゃった。俺たちはバンドであって、プロモーターではないから、その話はうやむやになっていたんだよ。そしてその話を引き継いだのがtanIyanたちのFIRE MOUNTAIN BOYS。小野ちゃん、井上さん、FIRE MOUNTAIN BOYS…。誰かひとりでもかけていたら、「OSHINO DEAD」はできなかったと思う。だから最初は「OSHINO DEAD」のDEADはグレイトフル・デッドのDEADじゃなかったんだよ。忍野で小野ちゃんを偲ぶ。だから「OSHINO DEAD ONO LOVE」。

––– 「OSHINO DEAD」が小野さんを偲んだ1回だけではなく、続いていったのはどんな理由があったと思います?

O 1回やったらすごく感じが良かったから、次もやりたくなったんじゃないかな。

K ライブをしていて、とにかく音がいいんだよ。モニターもいらない。針葉樹の中にポンってあるステージだから。ライブで一番なのは音がいいこと。特に野外はね。出演したバンドも、みんな乗ったんじゃないかな。バンドが乗れば、客も楽しめるからね。

––– 野外でのフェスを楽しむためは、そこにいる人の一体感も大切なように思います。その意味では「OSHINO DEAD」はグレイトフル・デッドという共通項もありますから、みなさんの思いも通じているというか。

K  いろんな野外イベントに行っているけど、「OSHINO DEAD」が一番問題ないかな。機嫌が悪い人がいない(笑)。

––– チナキャッツでは、セットリストはどうやって決めているのですか。

O 俺とハッツァンで決めることが多いね。

K 最終的にはステージで決めている。俺たちひとりひとりに拒否権があるから。

––– 拒否権? この曲はやらないということですか?

K 本当にアドリブをやりたい時があるんだよ。何も決めないでやる。45年以上やってきて、それでうまくいったことを何回も経験している。それがグルーブなんだけど。それに変えられるものがないね。

O 予定調和じゃないっていうね。

K どんな音楽でもグルーブは出せる。結局は論理的じゃないところ、コンフォートゾーンじゃないところに行けるかどうかってことが、音楽では重要なんだよ。

––– ライブはそこがおもしろさの本質というか、ダイナミズムというか。

O その魅力には勝てないよね。

K 覚悟しなきゃいけないのは、カッコ悪い、ダメダメを見せることもあるっていうこと。どうしようもない時もあるからね。そんな時は不機嫌になって、ステージから降りてきて怒ったりもする。

––– それでも、聞いている我々が「良かった」と感じることもあると思います。

K それは誤解だね(笑)。楽しみ方って自由だから。音楽って人それぞれの好みだし、それぞれが楽しめるかどうか。楽しみ方もいろいろあるし。

––– 今年の「OSHINO DEAD」のセットリストはどうなりそうですか。

O tanIyanの照明でやれることが、自分たちにとっては楽しいんですよ。それをイメージしてセットリストを考えると思う。そしてかっちゃんのフリーのギターをどこに入れるか。それがチナの聴かせどころのひとつだから。かっちゃんが爆発してくれれば、チナの色がガーンと出るので。

K 拒否権があるけどね(笑)。ステージでは、同じことが起こったとしても、決して同じにはならないから。

––– 今年の「OSHINO DEAD」に期待していることはありますか。

K 俺たちにとって、野外でやってくれるだけでありがたい。だから協力できることは協力する。30代とかの若いころは、ステージを作ることも手伝ったりしていたけど、そんなことはもう無理だから、それは卒業させてもらって、できる範囲で。

O 新しい場所だし、やってみないとわからないことがあるけれど、それも楽しみっていうか。野外の場合はやはり自然を仲間にしてやりたいね。

––– 最後にバンド名ってどうやって決めたのですか。

K 適当(笑)。もちろんグレイトフル・デッドの「China Cat Sunflower」も理由のひとつだけど、俺は招き猫のイメージが強かったな。

O 外国人に「チャイナで何をイメージするか」って聞くと、国よりも陶器っていう人が多いんですよ。いわゆるボーンチャイナ。

K 最初の頃は「チャイナキャッツ」って名乗っていたんだけど、ある人から「チナ」にしろと。それから「チナキャッツ」。名前なんてなんでもいいと思ってたの。名前ってバンドが作っていくものだからね。


OSHINO DEAD 2026

at AUTOCAMP MOGURA ーNumazu, Shizuoka

3月20(金)-22(日)

Gates Open 3/20 9:00/ Festival Starts 12:30

Ends 3/22 15:00

TICKET ¥18,000[税込]SOLD OUT!(会場完売のみあり)

500枚限定 / 3日券のみ

▶︎Info:DEAL

https://www.dealmagazine.net/pages/9329229/OSHINODEAD